質問(22/6/10講義)②

みや竹:
唯物論的独我論者Aとは①「各人の体(脳)に違いはない。それぞれの人が、それぞれの人にとって現象しているだけ。私もその一人にすぎない」とは考えずに、②「なぜAの体だけ実際に現象するのか」という正しい疑問に思い至ったうえで、③「Aの体にだけ他とリアルな違いがあるから実際に現象する」と考える人のことと思いますが、そもそも唯物論的独我論者Aは、「私とはAという人間のこと」と認めているのでしょうか。
もし認めているならAが叩かれた時だけ痛い事に疑問を抱かないのではないでしょうか(私を「Aという人間のこと」と認めるならば、Aが叩かれたときだけ私が痛いのは当然で、このような疑問を抱く余地はないでしょうから)。
認めていないなら、既に唯物論に反する事実を前提しており、今更(唯物論を守るために)唯物論的方向での解(リアルな違いや体内物質等)を求めようとしないのではないでしょうか。
実際、(この問題を正しく把握した上での)唯物論的独我論者など実際にいないのは、
・多くの人は「私とはこの人間のこと」と考えていて、それと矛盾する「なぜ私だけアクチュアルに現象するのか」という問題には思い至らない。
・「なぜ私だけアクチュアルに現象するのか」という問題に思い至った人は、すでに「私とはこの人間のこと」という考えを放棄しており(放棄せざるを得ず)、今さら「この人間」に属する何かにこの問題の解決の糸口を求めたりはしない(ないし「できない」)、からではないでしょうか。

と考えれば、唯物論的独我論者が実際にいないことは不思議ではないのではないでしょうか。


永井:③に対する答え:もちろん認めています。そして、そのこと自体になぜそうなのかと疑問を抱いているわけです。
「もし認めているならAが叩かれた時だけ痛い事に疑問を抱かないのではないでしょうか」に対する答え:ですから、まさにAが叩かれた時だけ痛い事に疑問を抱いているわけです。それは③に対する疑問と同じです。
「認めていないなら、既に唯物論に反する事実を前提しており、今更(唯物論を守るために)唯物論的方向での解(リアルな違いや体内物質等)を求めようとしないのではないでしょうか。」は、「認めていない」ことが「既に唯物論に反する事実を前提しており」の意味がわかりません。認めていないなら、むしろ普通の(独我論的ではない)唯物論者なのでは?
「・多くの人は「私とはこの人間のこと」と考えていて、それと矛盾する「なぜ私だけアクチュアルに現象するのか」という問題には思い至らない。」も「それと矛盾する」の意味がわかりません。「私とはこの人間のこと」と考えることと「私だけアクチュアルに現象する」ことは矛盾しない、どころか同じことなのでは??
「・「なぜ私だけアクチュアルに現象するのか」という問題に思い至った人は、すでに「私とはこの人間のこと」という考えを放棄しており(放棄せざるを得ず)、」も、したがって、私には意味わかりません。「私だけアクチュアルに現象する」ことと「私とはこの人間のこと」とは同じことだと思いますので。
したがって、「なぜ私だけアクチュアルに現象するのか」という問題に思い至った人は、すでに「私とはこの人間のこと」という考えを放棄しており(放棄せざるを得ず)」ということはありえないと思います。その二つは同じことなので。それ故当然、「この人間」に属する何かにこの問題の解決の糸口を求めるのが当然だろうと思います。

そして、鈴木康夫さんもぷらにつぁーちぇりさんも、その道筋を通って唯物論的独我論者であったのだと思います。唯物論的独我論者がいないというのは、哲学史上に有名な唯物論的独我論者がいないという意味で、実際には意外に居ると思われます。

※関連リンク「哲学探究3 第4回」


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