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https://twitter.com/hitoshinagai1 メールでのご連絡、お問い合わせは yamakakkojyuku@gmail.com

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  • 塾生の方へのお知らせ

    山括弧塾事務局から塾生の皆さんへのお知らせです。

  • 山括弧塾について

    塾についての説明です。

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    山括弧塾生の皆さんからお寄せいただいたご質問に、永井均が答えました。

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    無料公開の講義などの動画をアーカイブします。

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山括弧塾 はじめました

「山括弧塾、はじめます」と宣言してから早くも2年が経ってしまいましたが、あらためて私塾を始めようと思っています。まだ手探り状態ではありますが、以下の2形態を並行して運営していこうかなと考えています。 ◇オンライン塾 ZOOMにて開催。平日の夜に1時間半程度。基本的に私が講義をするスタイルです。最後に質疑応答もします。さしあたっては、Web春秋に連載してきた「哲学探究3」の第1回から第10回までをテキストにして、それについて解説的な講義をして行く予定です。 ◇リアル塾

    • 24年秋季 山括弧塾(入不二基義先生追加講義)について(事務局からのお知らせ)

      山括弧塾事務局です。9月に行われたご講義の際に「近いうちに続編を」と入不二先生ご自身がおっしゃっていた、その「続編」をご案内いたします。詳細は山括弧塾公式Twitterでアップデートしてまいります。みなさまのご参加お待ちしております! 開催概要:現実性の円環モデル入門2▼講義要項: 入不二哲学では、「現に」という無内包の現実性の働き方を、円環モデルを利用しつつ追跡する。現在、『現実性の問題』(筑摩書房、2020年)の続編として、『現実性の問題 II』を執筆中であり、現実性

      • 24年秋季 山括弧塾について(事務局からのお知らせ)※追記あり

        山括弧塾事務局です。ご案内をする私自身が、講師陣のフルコースっぷりに多少目眩がしております。詳細は決まり次第順次、こちらと、山括弧塾公式Twitterでアップデートしてまいります。みなさまのご参加お待ちしております! ※いずれの講座も、塾長の永井も参加いたします。 ①入不二先生ご講義の申込み受付を開始しました!(24/8/14) ②青山先生ご講義の申込み受付を開始しました!(24/08/15) ③清水先生ご講義の申込み受付を開始しました!(24/08/15) ④永井の講義

        • 質問(24/8/1講義)

          真彦: ①第36段落 「・・・たとえ悪霊に欺かれて捏造されたものであっても、私が私を何かであると思っていさえすれば、私は必然的にその何かである(、、、)、ともいえる(地点が必ず存在する)のである。「がある」ことを超えて「である」ことにかんしても、疑いえなさはある。これがデカルトに対するカントの小さな、しかし決定的な補足であった。それがなければ一瞬前とさえ繋がるということができないからである。」について。 「私が私を何かであると思っていさえすれば、私は必然的にその何かである(、

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          質問(24/7/25講義)

          greatminer: 5章の23節から25節に関して質問させていただきます(聞き逃しであったり前後の文脈を読み取れていなかったら、申し訳ございません)。  (1) 回数を数えることにつき、「それしかなさの連結(という矛盾)」により可能となるが、それに加えて、区切れた同型のものが複数存在することや区切れた同型のことが繰り返し起こることという事実の存在も必要であるとされています。 前者は、独在性と累進構造の問題が回数を数えるという場面にも現れるということで、後者はそれだけでは

          質問(24/7/25講義)

          質問(24/7/18講義)※追記あり

          真彦: ① 第5回 第33段落 「・・・「私はじつはこれ(、、)(経歴の記憶を指す)ではない」ということもまたありえない。それ(、、)こそが〈私〉、でもあるからだ」について。 たとえば、デカルトが「ラフレーシュ学院に通っていた、そこでの生活が斯く斯くであった」という経歴の記憶を今持っているが、「今デカルトであるその身体は「ラフレーシュ学院に通っていた、そこでの生活が斯く斯くであった」という体験をしてない」ということが(名簿調査や同級性であるはずの学生への聞き込みなどによって)

          質問(24/7/18講義)※追記あり

          質問(24/7/11講義)※追記あり

          実篤: 「カントの誤診」第5回19段落についての質問です。 ここでは、独在性が効力を発揮するためにはある条件が必要であるということがいわれています。つまり、同じ記憶をもつ複数の主体の人がいることを想定したとき、同じ記憶を持っていたとしても、経験が現実に与えられているほうが私であるというように自他を区別することができるとはいえ、この区別はたんにむきだしの独在性による区別ではない、ということがいわれています。その理由は、このとき自他の区別の徴表とされている独在性は持続しているもの

          質問(24/7/11講義)※追記あり

          質問(24/7/4講義)

          真彦: ①連載第5回/第8段落 「本当に、という問いが立てられるのは、身体との関係において、正しい記憶であるかどうかのほうだけである。私の記憶は、記憶違いである(客観的事実とされるものとの関係で偽である)ことはどこまでも可能だが、その根幹的内容がじつは私のものでないということはありえない。その内容こそが私が誰であり何であるかを決定しているからである」について。 ・身体に関係する記憶内容は、「私のものでないということはありえない、その内容こそが私が誰であり何であるかを決定してい

          質問(24/7/4講義)

          24年7月山括弧塾講義(オンライン)について

          山括弧塾事務局です。下記の通り、7月よりオンライン講義を開催いたします。みなさまのご参加お待ちしております。 開催要項▼日時・参加方法: ・ZOOMにて開催。 ・開催は7月4日、11日、18日、25日、8月1日(以上全て木曜)の計5回。 ・時刻は20時30分~22時。(開始5分前に開場) ・アーカイブ配信(受講者のみ)も行います。 ▼受講料: ・5回合計で、社会人の方は10,000円、学生の方は5,000円となります。 ▼支払い方法: Peatixの「山括弧塾」ペ

          24年7月山括弧塾講義(オンライン)について

          24年初夏 山括弧塾について(事務局からのお知らせ)

          山括弧塾事務局です。講座をあらたに3つ、お届けいたします。みなさまのご参加お待ちしております。 ※①③の両講座とも、塾長の永井も参加いたします。みなさまもふるってご参加くださいませ。 ※③瞑想講座の申し込み受付開始しました。31日(金)24時締切です。 開催概要:3講座いずれも自由が丘での開催となります。 ①キルケゴール『不安の概念』を読む(講師:谷口一平先生) 5/10~6/28まで毎週金曜夜20時~開催。全8回(予定)。 ②ヘーゲル『精神現象学』を読む(講師:永井

          24年初夏 山括弧塾について(事務局からのお知らせ)

          24年春期特別オンライン講義について(事務局からのお知らせ) ※アーカイブ配信情報追記しました

          山括弧塾事務局です。ご案内するのが少し遅くなってしまいましたが、かねてより温めておりましたオンライン講義をお届けいたします。みなさまのご参加お待ちしております。 ※多数のお問い合わせをいただきまして、アーカイブ配信を開始しました。下記URLよりお申し込みください。購入期限は4月26日(金)24時となっております。 https://peatix.com/event/3916106/view 開催概要:『「マイナス内包」としての性自認の構成』を読む▼講義要項: 谷口一平氏の

          24年春期特別オンライン講義について(事務局からのお知らせ) ※アーカイブ配信情報追記しました

          24年春期山括弧塾について(事務局からのお知らせ)※情報更新しました

          山括弧塾事務局です。お待たせしました。この春、山括弧塾は自由が丘での講義を3つ、お届けいたします。少し説明がややこしくなりますがご了承ください。みなさまのご参加お待ちしております。 開催概要:講義は3種類。いずれも自由が丘での開催となります。 ①〈しくじり〉の人間学――フロイト『日常生活の精神病理学』を読む』(講師:片岡一竹先生) 3月1日(金)20時 開催。※募集を締め切りました。 ②ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』を読む(仮)(講師:永井均) 3月8日(金)2

          24年春期山括弧塾について(事務局からのお知らせ)※情報更新しました

          質問(24/1/18講義)

          だいたい全部まなぶ: ある人がある対象を持続的に認識しているときは、その対象の数的同一性が保証できると思います。しかし、ある人がある対象を認識したあと、ずっとあとになってその同じ対象を認識する、ということが可能なのはなぜなのでしょうか?あるいはある人と別の人が同じ対象を認識することが可能なのはどのような根拠に基づくのでしょうか。 (質的同一性についてはこのような問題は生じない気がしますが、数的同一性の場合は生じそうな気がしています) 永井: ある人がある対象を認識したあと非

          質問(24/1/18講義)

          冬季講義受講の塾生の方へ(お心あたりの方はご連絡ください)

          こんにちは。実は、冬期の講義をお申し込みいただいた方の中でおひとり、メールのご案内が届けられずにメールが戻ってきてしまう方がおいでになります。その方のメールボックスがいっぱいになっており、こちらからのメールを含め、すべてのメールが届かない状況になっておいでのご様子です。 恐れ入りますが、お心あたりの方いらっしゃいましたら、メールボックスの整理をいただけると助かります。お手数おかけして恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 山括弧塾事務局

          冬季講義受講の塾生の方へ(お心あたりの方はご連絡ください)

          質問(24/1/11講義)

          晃太郎: 超越論哲学の示す認識を単なる心理的事実としてしか理解できなければ「ヒュームの経験論哲学と本質的には変わらない」とされていますが、一方で因果関係をわれわれの心の習慣にすぎないとみなしたヒュームの議論を「もっともな議論」であるとも書いています。 にもかかわらず超越論哲学を心理学化して理解することをここで戒めているのは、その読解があくまでカントに即していないからにすぎない(つまり、心理学的に、あるいは「二重に」読む方向もありうる)、ということでしょうか? 私がそう思ったの

          質問(24/1/11講義)

          質問(24/1/4講義)

          スラベス: 段落24に「おそらくはこの遠い由来によって、段落7及び8で指摘された、「感性」や「直観」のもつ二つの意味もまた繋がっているだろう。」 とありますが、この「二つの意味」をうまく捉えることができません。ご教示いただけますと幸いです。 永井: 段落8の冒頭にあるように、感性と悟性の区別を個別的なことと一般的なことという(存在論的な)区別と見る場合と、感じられることと理解されることという(認識論的な)区別と見る場合があり、これが感性と悟性の二つの意味です。 スラベス:

          質問(24/1/4講義)