分権的な脳ーミニ読書感想文「現れる存在」(アンディ・クラークさん)
哲学者アンディ・クラークさんの「現れる存在 脳と身体と世界の再統合」(ハヤカワ文庫)が知的興奮に満ちていた。なぜ人間の知能を人工的に再現するのは難しいのか?この灰色の細胞の塊には、未知の万能な司令塔機能が宿っているのか?こうした疑問に、本書は「分権的な脳」「外部に染み出す脳」という新たな姿を提示する。
原著のコピーライトは1997年となっていて、日本語訳の初版は2012年とみられるけれど、解説によると、22年の現在に至っても本書の問題設定、問題提起は有効なようだ。読後感としても、決して古びているとは感じない。
イントロダクションでは、ゴキブリの触覚システムが取り上げられる。人間に処分されそうになると迅速に逃げ、一方で仲間とすれ違う時に同じように回避はしない。このような高度なシステムは、ゴキブリの脳が統合的に対応しているのではなく、触覚の機能で極めて反射的に処理されている。だからこそ、ゴキブリを再現する人工知能を作るのは難しい。
この延長として、ダニの例も出てくる。木の上に潜むダニは、哺乳類の酪酸を検知して飛び降り、皮膚の上に付着する。極めて単純な生物だけれど、吸血という目的のために合理化されたシステムだ。
このように、生物はさまざまな特殊で局所的な機能を発達させることで、この世界に適応している。生存するために必要な「逃げる」「食料を見つける」という行為を省エネ化、効率化している。言い換えると、その行為のために思考し、行為によって思考機能を有効化している。
こう考えると人間の脳も、世界から「独立」した存在ではなく、むしろ「埋没」し、世界という文脈に依存する形で存在することが見えてくる。
ゴキブリは触覚により、敵から逃げる行為を最適化するフレームを設けているわけだが、こうした「外部足場」を設置する能力は、ことに人間は高い。最たるものとして本書は言語を挙げる。思考は言語によって対象物になり、「考えることを考える」ことすら可能になる。ここでも、思考によって行為するだけでなく、行為によって思考するフィードバック、フィードフォワードの構図が見える。
脳は全知全能の中央司令塔を持つ存在ではなく、さまざま行為に対して局所的に対応する分権的な機構の集合体なのではないか。あるいは、さまざまな外部足場を用意してその分権的機能を拡張しているのではないか。
この考え方を知ることは、世界の見方ががらりと変わることだ。だから知的に興奮する。
たとえば自分は「解像度が高い」というネットミームにずっと違和感を感じていたのだけれど、その理由が言語化された。解像度が高いは、全能的な発想だ。細部まで見える賢い人間が、万全の判断をできることを前提に置いている。
しかしゴキブリは触覚に機能を特化し、ダニは酪酸だけを感知するように機能を限定した。人間もまた外部足場をつくることを得意とする。つまり、生存のために必要なのは解像度を高めて世界を隅から隅までみることではなく、むしろ「解像度を下げて」必要な情報にフォーカスすることだ。
分権的な脳は、表現を変えると外部世界に「滲み出している」。踏み込んでいえば、言葉や計算するためのペンや紙もまた、脳の一部と言えなくもない。
この創発的で自由な機能をどのように捉えるかは難しく、本書の中盤はその検討に割かれる。この部分は難解なので、全然理解できてない。たぶん理解できなくても仕方ないと思うし、ここで挫折せずに終盤の言語の章まで駆け抜けてほしい。
つながる本
人間の知能のグランドセオリーの確立を目指したジェフ・ホーキンスさん「脳は世界をどう見ているのか」(早川書房)と問題意識が重なる面が多々あります。シナプスがつながるように。
外部足場や、道具が人間に与える影響の大きさについては、D.A.ノーマンさん「人を賢くする道具」(ちくま学芸文庫)によってさらに学べます。