自閉的文化への回路をひらくーミニ読書感想『自閉症が文化をつくる』(竹中均さん)
社会学者、竹中均さんの『自閉症が文化をつくる』(世界思想社、2023年3月10日初版)が面白かったです。自閉症とは20世紀に入って本格的に見出された脳の障害であり、それ以前にもいたはずの自閉症者は自閉症とはみなされず、診断されず生涯を終えた。竹中さんはそんな「自閉症発見以前にいた自閉症者」のうち、特に歴史的著名人らに自閉的な性質を見出し、彼ら・彼女らが生み出した文化に目を向けます。
こうした「捉え直し」により、障害が持つハンディキャップのイメージが逆転し、まさに「個性・特性」として生み出すものがあるとクリアに認識できるようになります。
自閉症者の家族がいるという著者。偉人たちに自閉的な性質を見出すというチャレンジングな試みは、自閉症者と日常を過ごすという体験の中から現れた飛躍でした。
本書に登場する偉人らが、本当に自閉症者だったのか確定する術はありません(当時は自閉症という概念がなかったので当然)。しかし、自閉症の現在の理解と、偉人たちの振る舞いを照らし合わせると、その推定には納得感があるものが多い。さらに、仮にそうだとしたら、自閉的だからこそ生まれた文化は多数あることにも深く納得できます。
特に印象に残ったのは、ナチスドイツと暗号を解読したことが有名なアラン・チューリング。相手が人間なのか機械なのか判定する「チューリングテスト」も知られますが、著者はこの発想自体が得意だと指摘します。
この最後の、「他人の中にもう一人の自分を見出せない人」というのは、自閉症の特徴とされています。他人の心を想像する「心の理論」に弱さがあり、コミュニケーションの障害が発生すると言われているのです。その意味で、チューリングには自閉的側面があった可能性が見えてくる。
しかし、他人の中に心があることを「当たり前」とみなさない発想がチューリングテストを生みました。チューリングは、パソコンのハードとソフトの概念を壊し、いわゆるアプリのように自己命令も情報のビット(ゼロとイチ)による表現に落とし込んだ「デジタル概念の始祖」とも呼ばれます。
もしかしたら、自閉的な発想が現代のデジタル化のスタート地点にあるのかもしれない。言い換えれば、自閉的発想がなければ、ここまで高度な情報化は何年、何十年も遅れていたのかもしれない。
本書で語られていることは「あのすごい人も自閉症だったかもしれない。自閉症者を勇気付ける事実だ」という話とは違う。むしろ、定型発達者の側として、自閉的文化の豊かさを感じ、そこから(コミュニケーション障害があるとされる)自閉症者に「接続する回路」を見出すためにあります。
デジタル化の原点に自閉的文化があったことを認識すれば、その時から定型発達者は、自閉症を単なる障害とは見なくなる。その「ときほぐし」が重要だと思うのです。
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