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この日常はかけがえのないものだーミニ読書感想「ルーティーンズ」(長嶋有さん)

長嶋有さんの小説「ルーティーンズ」(講談社)を読んで心が温まった。新型コロナウイルスが拡大した当初の2020春の東京を舞台に、小説家と漫画家夫婦、そして保育園児の娘との日々を描く。ああ、あの頃にはこんなことってあったな。懐かしくなると同時に、なんでもない日常が愛おしく、かけがえのないものに感じられる。そんな優しい変化の波を起こす作品だった。


伊坂幸太郎さんが本書を推薦していたと言う情報があったのと(本当かどうかソースは確認していないので不確かではある。SNS上の投稿より)、帯で藤井隆さんも激賞していたのを受けて本作を購入した。著者の長嶋有さんのお名前は把握していたが、今回が初読。

なんというか、本作は内容が説明しにくい。家族小説だし、コロナがテーマの小説だけど、いわゆるハートウォーミングな物語という風にもくくれない。もちろんミステリーとは違うし、でもカタルシスがゼロかというとそういうことではないんだな。

思い浮かんだ例えとして、水道水がある。普段、水道水のおいしさと言うのは形容しにくい。普通においしいが、甘味がどうかとか舌触りがどうかとか、そう言う観点からみると「普通だな」と思ってしまう。

長嶋さんの作品は、その水道水のおいしさを、無理なく、いい感じで言語化してくれるような小説だ。「言われてみると、そういう良いところがあるよね」という。

だから本作を読了したあと、普段の生活がちょっといいものに思える。そういう効用がある。

あらすじとしては、2020年4月から5月の日々を小説家の夫目線、漫画家の妻目線の交互に綴るもの。エッセイかと見紛うほどにリアリティと固有名詞に溢れるけど、どことなく、フィクションの空気も漂う。

たとえばこんなシーンがあるのだが、娘の保育園が臨時休業になったので、いつもとは違う道を通って近所の公園にいく。その際に、踏切を渡るのではなく、手前を曲がることになる。自転車後部座席の娘は、いつもの癖で「急いで、急いで」という。

この「急いで、急いで」と言われるのに、踏切を渡らずに手前を曲がることが、夫婦にとってのコロナ下の変化の一つだった。

言われてみれば、こういう本当にささいで、どうとも評価しにくい、でも自分としては決定的に違う変化がコロナ下では起きた。ステイホームとか、三密回避とかの言葉では語り尽くせない変化が。

それに気付けると、なんだかうれしい。なにがうれしいのかはよく分からないのだけれど。

本作はコロナ下の日々をいいとも悪いとも言わない。それは、ただそこにあるものとして描かれる。でも人生ってそういうもんだよな。淡々と続いていくし、それにある種流されていくものだもの。

長嶋有作品をもっともっと読んでみたくなった。

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