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掘り出し本ー読書感想「あなたに不利な証拠として」(ローリー・リン・ドラモンドさん)

普通なら出会わなかった本だと思う。

感染拡大がまだ踊り場段階だったとき、街の大型書店に足を運んだ。そこでロングセラーとして一押しされていたのが本書「あなたに不利な証拠として」(ローリー・リン・ドラモンドさん、駒月雅子さん訳、ハヤカワ文庫)だった。

初版刊行は2008年3月15日。収録作が05年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞を受賞したらしい。解説では池上冬樹さんが激賞。かなりの話題作だったようなのだが、著者は寡作なのか、邦訳が少ないのか、ネット検索してもその後の作品はなかなか発見できない。本書の存在をその日まで知らなかった。

しかしこれがたしかに、傑作だった。

全編、女性を主人公にした警察小説。珍しい設定にも感じるけれど、著者自身がかつて女性警察官だったからか、リアリティが貫かれている。しかも、本書を完成させるまでに12年に歳月を要したそうだ。熟成されている。

巻頭の短編「完全(Absolutes)」は、主人公がやむを得ず被疑者を射殺したことを淡々と綴っていて、その淡々さが例を見ない。銃を撃ったこと、被疑者が死亡したこと、そのどこにも謎がない。だからこそ主人公の葛藤が浮かび上がる。

殺した事実が消えない。必要な手順に則った「完全な(Absolute)」職務執行なのに、それが本当に正しかったのか「明確な(Absolute)」答えを見つけられない。二つのアブソルートに挟まれた主人公の痛みに、静かに、胸を打たれた。

「傷痕」も出色。組織と個人、生活と仕事、それらを切り分けられない人間の難しさを描いている。こと女性は、「女性であること」がさらなるバリアとなって、一層難しい立場に置かれることがあることが伝わってくる。

性的暴行、傷害事件に臨場した、被害者支援サービスの主人公。しかし、刑事は現場の不審点から「被害者の自作自演」と結論付ける。やりきれなさを抱えた主人公だが、やがてその刑事と結婚することに。時が過ぎ、事件の再捜査を求めるクレーム処理の担当に移ったところ、あの「自作自演」被害者から訴えが届く。

仕事に向き合うことと、家族を守ることが両立しないことはある。女性として連帯したくとも、警察という男性組織がそれを阻むこともある。イバラの間を行くしかない細い道を歩いて行く主人公の姿からはどうしても、目が離せない。

「生きている死者」も性犯罪が主題になる。凄惨な暴力を受けた現場で、女性警官らは人知れず、祈りを捧げる集会を開く。再び起きてしまった事件の直後、再び集会を開いたのだが、思わぬ方向に暗転してしまう。

いずれの作品にも、葛藤が描かれる。矛盾が込められている。それは著者が実際に、警察官として出会った葛藤や矛盾なんだろうか。

あの時本屋に行かなければ、この本に出会わなかった。もっといえば、あの本屋がなければ、本書には出会えなかった。本屋はすごい。そして読まれるべき良書がまだ、この世にはたくさんある。なんとすごいことだろう。


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