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埋もれた言葉、英雄譚にならない言葉ーミニ読書感想「戦争は女の顔をしていない」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさん)

ウクライナとベラルーシにルーツがあるジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫)は胸を打つ。第二次対戦を兵士やパルチザンとして戦ったソ連域内の女性数百人にインタビューした記録。ここにある言葉は、男の戦争の歴史に埋もれた言葉だ。時に脈絡なく、断片的で、整った英雄譚にはならない言葉。だからこそ、鋭く荒々しく、胸に刺さる。


自分が行く本屋でウクライナ情勢特集が始まった頃、まだ本書はリストには入っていなかった。だから棚差ししている一冊を抜き取り購入した。そのうちにリスト入りし、入手困難になると感じたからだ。

著者はノーベル賞作家で、本書は代表作として知られる。あまりにも有名な本を読む今更読むのは気後れするかもしれないけど、本書は読んで遅すぎることはない。ここまで生の、人間の言葉を集め、記録した本というのも珍しいと思う。

なぜ、女性兵士の言葉は埋もれてしまうのか。それは戦争がやはり、男のものだからだ。男が最前線に立ち、銃後の女性を守ったというストーリー。それに対して、女性も前線に志願し、過酷な戦闘に加わったという事実はある種不都合だからだ。

本書に登場する女性の直面した戦場の現場の様子は、男の目撃したそれと何ら変わらない。「女に何ができる」という当時の偏見を跳ね除け、敵を退け、負傷した味方を助けた女性がいた。

一方で本書は、そうした「体験記」的な言葉に、女性たちの語りを押し込めない。

たとえば、ある女性は「死ぬよりも恐ろしいことは、女性物の下着がなく、男物ばかりだったことだ」と語る。これはその女性にとって真実でも、なんというか、省みられることの少ない真実だろう。著者はこうした話を切り捨てない。ちゃんと記録する。

だから本書は、ノンフィクションとしてストーリーだってはいない。ある人の語りが短く終わり、また別の語りに移る。読者が理解しやすい物語に製品化しないことで、言葉が持つ生の鋭さが残る。

著者は、戦争が人間を上回る事態なのではなく、人間が戦争に収まりきらないほど大きいのだと言う。本書を通読すると、その意味はなんとなく分かる。我々が戦争にイメージする戦闘、命のやりとり、飢餓。戦場で人間が経験し、戦後に言葉になる何かは、そんなイメージではとても語り尽くせないのだ。

いま、ウクライナでも、多くの語りえない言葉や経験が生まれている。生まれてしまっている。そうしたことへ、思いを馳せるきっかけになる一冊だった。

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