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「地図と拳」につながる鮮やかな布石ーミニ読書感想「嘘と正典」(小川哲さん)

ハヤカワ文庫に収録された小川哲さんの短編集「嘘と正典」が粒揃いの傑作だった。単行本は2019年刊行。今夏出版された最新長編「地図と拳」(集英社)につながる布石といえる。あまりに鮮やかな布石だった。


批評家の加藤典洋さんは「村上春樹の短編を英語で読む」(ちくま学芸文庫)で、村上春樹さんが長編作品を書くにあたっての挑戦や実験、模索が短編作品でなされていると指摘していた。これは小川さんの長編作「地図と拳」と短編集「嘘と正典」にも共通して言えることだと感じた。

「地図と拳」は、日本が生み出した満洲国の架空都市を舞台に、半世紀にも及ぶ歴史を描いた「歴史改変SF」だった。「嘘と正典」の表題作「嘘と正典」は、過去にメッセージを送る技術を転用してマルクスとエンゲルスの邂逅を阻止しようとするCIAスパイを主人公にしている。これもまた歴史改変の物語だ。

また、「嘘と正典」の中でとりわけエモーショナルな「ひとすじの光」という作品も、スペシャルウィークという実在の名馬を扱った歴史小説の色彩が濃い。ただ、本作で登場するスペシャルウィークの系譜の一部は検索の範囲では確認できず、ここでもまた歴史の一部が「改変」されている可能性が高い。

小川さんは意図的に、歴史改変を小説に取り入れることを模索し、その一つの集大成として「地図と拳」という600ページを超す超大作を仕上げた、と言えそうだ。

なぜ歴史改変を題材にするのか?そこにはどんな意味がこめられているのか?小川作品研究の鍵となるテーマが浮かび上がる。

昨今、フェイクニュースやポストトゥルースが主流化し、どんどんと存在感を拡大している時代だ。その中において、小川さんは「あえて」歴史改変を物語化しているように思える。もう少し、小川作品を噛み締めながら探っていきたいと思う。

「嘘と正典」には、もしかしたら、「地図と拳」のその先の作品につながる布石がまだ、眠っているかもしれない。今後の作品刊行が楽しみだ。

つながる本

上記取り上げた小川哲さん「地図と拳」は今年大注目の作品なので、本書が気に入られた方には是非読んでいただきたい。

加藤典洋さん「村上春樹の短編を英語で読む」は何年か前の「おすすめ文庫王国」の上位作品にピックアップされていて、短編集や文学作品の味わい方、深め方が学べる一冊。本書を楽しむためには学校のスパイスになると思います。

歴史SF、歴史改変SF、偽史SFが複数楽しめる短編集としては「新しい世界を生きるための14のSF」(伴名練さん編、ハヤカワ文庫)もおすすめです。

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