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4月13日に備えるーミニ読書感想「一人称単数」(村上春樹さん)
4月13日に村上春樹さんの新作長編が出ると聞き、現時点で最新の短編集「一人称単数」(2020年7月20日初版発行、文藝春秋)を読みました。
批評家の加藤典洋さんは、「村上春樹は長編作品への助走を短編作品で行っている」との趣旨の指摘をしています(「村上春樹の短編を英語で読む」など)。つまり村上春樹さんの短編集を読むことは、来るべき長編への「備え」を図ることと言えます。
「一人称単数」の収録作を通じて感じたのは、「名前を思い出せない存在」への思い入れ。それは愛情と言っても良いかもしれません。
たとえば、巻頭を飾る「石のまくらに」は、かつてアルバイト先で一緒になり、一度だけ成り行きで寝たことのある女性についての回想。語り手の「僕」は、女性について「名前だって顔だって思い出せない」(p7)と語ります。
しかし、その女性が短歌を詠んでいたことは記憶している。そして「僕」は「彼女」と一晩を過ごして別れたあと、手作りの短歌集を受け取る。それが印象深く、「僕」はこんな思いを抱く。
しかしとにかく僕は、彼女がまだこの世界のどこかにいることを心の隅で願っている。生き延びてほしい、そして今でも歌を詠み続けていてくれればと、ふと思うことがある。どうしてだろう? どうしてそんなことをわざわざ考えたりするのだろう? この世界で僕の存在と彼女の存在とを結びつけているものなんて、実際には何ひとつないというのに。
名前すら思い出せない女性。人生のほんのいっときだけ交わった小さな点。そんな存在に、「僕」は「生き延びてほしい」という切実な思いを寄せる。それはほとんど、祈りといってよいでしょう。
村上作品において「顔のない存在」は頻出のモチーフですが、これまでは愛すべき存在ではなく、むしろ「敵」としての色合いが濃かったように感じます。たとえば、「アフターダーク」ではそのまんまの「顔のない男」が眠っている女性に不穏な眼差しを向けます。「海辺のカフカ」や「騎士団長殺し」でも、顔のない人物が主人公らに迫ります。
それが本作では、「顔のない存在」が、顔のある「ガールフレンド」などよりもかけがえのないものとして描かれている。
これがもしかしたら、次回の長編作品へのヒントになっているのではないかと妄想します。
匿名性というのは大衆社会の脅威でしたし、現代にあってもその恐ろしさはむしろ膨らんでいると言えます。インターネット上の誹謗中傷は大半が匿名アカウントによるものですし、昨今の「迷惑動画」も匿名の誰かによる「いいね」を期待したものと捉えることが可能です。
しかし本書で村上春樹さんが試みているのは、違った形の匿名な関係性。その人の名前など「記号」は一切把握せずとも、忘れ去ったとしても、「生き延びてほしい」と願えるような関係性です。
もしも次回作でもこの「人間性のある匿名性」がテーマにされるとすれば、それは私たちの生き方に違った回路を開くものになるでしょう。
楽しみに待ちたいと思います。
なんとつい先週「一人称単数」の単行本を買ったのですが、このほど文庫化もされたようです。より一層手に取りやすくなりました。
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