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身体は意識の占有物ではないーミニ読書感想『体はゆく』(伊藤亜紗さん)
美学者・伊藤亜紗さんの『体はゆく』(文藝春秋、2022年11月30日初版)が目から鱗の連続でした。副題は『できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』。さまざま研究者へのインタビューから「できる」体験を解剖し、その意外性を読者に提示してくれます。
その驚きを一言にまとめると、「身体はときに意識を越えていくんだ」。身体は意識の占有物ではなく、意識を置き去りにし、踏み越えていく存在なのだと知る。帯にあるように、身体のそうした奔放な可能性を知る本となりました。
最も面白い!と感じたのは第2章『あとは体が解いてくれる』。テーマは精密機械のようなコントロールを持つ桑田真澄投手の投球。桑田選手に毎回同じように投球してもらう。すると、抜群の制球力でミットに入る。
しかし、なんと計測結果は最初と最後で投げ方が全く違うとの結果を示します。桑田選手は同じように投げている意識なのに、身体は投げ方を変えている。しかも肝心なのは、そうしたブレにも関わらずミットに収まるという「結果」は同じなのです。
著者は、この研究を行なった柏野牧夫さんの言葉でこれは「変動の中の再現性」なのだと指摘します。
マウンドの傾斜がちょっと緩いとか、柔らかいとか、前のピッチャーがすごい掘ってるとか、いろんなことがあるんです。(…)だから運動スキルって変動の中の再現性であって、それを実現しようと思ったら再現性だけ高めても駄目なんです。
たしかに、たしかに。スポーツでは「絶対的正解」を求めても意味がない。練習で完璧な球を投げられても、試合ではその完璧な状況はやってこない。これは仕事にも言えるかもしれない。「変動の中の再現性」という概念を知るだけで面白い。
さらに著者は、研究者との語り合いの中で桑田投手の「変動の中の再現性」を「土地勘」という概念に言い換える。この言い換え、転がし方がさらに面白い。世界がより広がります。
でも「土地勘」があれば、調子が悪くなって自分の現在地を見失っても、完全に迷子になることはありません。柏野さんは言います。「現在地が分からなくなるから、そのあたりのランドスケープ、概略の地形図をもっていることが非常に重要なんです。いかに詳細な地図でも、それがものすごく局所的だったら、一歩外に出された瞬間にもうお手上げなんです」。
桑田投手は、調子が悪い、マウンドが悪いという不測の事態にも対応できるように、意識せずとも身体が投球を調整していた。「身体に解かせていた」わけです。意識に頼りすぎないこうした方法は、逆境にこそ効果を発揮する。
この現象を土地勘という言葉で捉えると、見え方がクリアになる。「道に迷う」とは意識が頼りにならない状況です。もう意識だけではルートがわからないのだから、意識にこだわっては打開できない。
そこで土地勘を使う。なんとなくこっちだと感じる方に歩いていく。これは意識ではなく、身体が覚えている記憶。土地勘を養うためには、日頃からその地域をなんとなく歩いておく必要がある。そういう試行錯誤、経験がいざという時にものを言う。
「できる」というと、意識に従って正確に身体が動くようなイメージがある。でも本書を読むと、身体はそれ以上に面白い存在だと分かります。
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