自閉の本質とは何か?ーミニ読書感想『自閉症スペクトラムの精神病理ー星をつぐ人たちのために』(内海健さん)
精神科医・内海健さんの『自閉症スペクトラムの精神病理ー星をつぐ人たちのために』(医学書院、2015年11月15日初版発行)は、ASD(自閉スペクトラム症)当事者、あるいはASDの子を育てる親に全力で薦められる一冊です。自閉とは何を意味するのか?その本質を考える上で、橋頭堡となってくれる本です。これを読んだからといって障害を治せるわけではない。でも「いまこんなことに困ってるのかもしれない」と想像できるスコープを得られる。
自閉と聞くとイメージするのは「自分の殻に閉じこもる」という姿でした。つまり自己に固執し、他人とのコミュニケーションを拒んでいる。自閉の「自」が自己だと直観され、自閉は「自分起点」で発生する印象を与える。だから「他人の心が理解できない」とパラフレーズもされると思います。
しかし本書は、自閉症の障害の根本は自己ではなく、むしろ他者にあると説きます。「他者の働きかけに応じる力が弱い」ことに障害があるのだと。
他者からの眼差し、声。そうした「志向性」に反応しない。触発されない。それこそが、ASD者の困難であると本書は説きます。これはコペルニクス的転回であるし、同時に、ASDの子を育てる親としては納得感が大きい。
ポイントは何かといえば、「自己は他者からの志向性に反応して立ち上がる」ということです。
本書の中のメタファーで分かりやすいのは「一人暮らしの部屋」あるいは「化粧」です。一人暮らしの部屋を掃除する人は少ないでしょうし、人前に出ないならスッピンだという人は珍しくない。つまり、自分を意識するのは他者の前であって、自分ひとりなら自己を意識することない。もっといえば、その必要がないのです。
つまり、自閉症は強固な自己に固執しているのではなく、むしろ他者に応答できないことで「自己と他者の境界が未分になる」ことにある。自己を区別できない以上、自分も、その周りのモノやセカイも、全てが「自分化」してしまうわけです。
他者に応答できない。その力が弱い。これが、さまざまな困難につながります。たとえばその一つが、想像力です。
著者は、想像力は余白から生まれると言う。
怒っている母だけを見ていては、その怒り一色の世界となり、普段の母を思い出すことはできない。しかし定型者は、他者と応答する中で立ち上がった自己を使い、一歩引いて俯瞰する。そうすると、怒っていない母を思い出し、怒りの原因に思いを馳せることができる。
ASD者はこうした想像を働かせにくく、結果、母の怒りだけに心の内が染められて「パニック」という方で発現する。
あるいは、言葉もそうです。ASDは、エコラリアが特徴的。あるいは、場にそぐわない発言をしてしまう。それは、他者の応答を想定しない形で、言葉を「道具」として使っているからです。
他者への応答の不存在が、さまざまな派生的な困難を呼んでくる。
こうした姿をイメージできれば、ASD者を頭ごなしに「冷徹」「自分勝手」と切り捨てずに済むかもしれない。著者はそのために、本書のような「病理解剖」を著した。
私は、我が子をリスペクトするために、本書の学びを活かしたいと思います。
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