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中央線の地層を覗くーミニ読書感想『中央線随筆傑作選』(南陀楼綾繁さん編)

南陀楼綾繁さん編『中央線随筆傑作選』(中公文庫、2024年9月25日初版発行)が面白ったです。御茶ノ水、四ツ谷、新宿、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、三鷹などなど、中央線沿線にまつわる随筆・エッセイを集めた一冊。中央線にかつてこんな景色があったのかと、その「地層」を垣間見るような楽しさがあります。


中央線の開業は明治時代の1889年。当然ながら、昔は田畑や田園風景の中に敷設したわけですが、作家がその様子を描写するといまとの違いに驚きます。たとえば萩原朔太郎さん『悲しい新宿』。

新宿を初めて見た時、田圃の中に建設された、一夜作りの大都会を見るような気がした。周囲は真闇の田舎道で、田圃の中に蛙が鳴いてる。そんな寂寥とした曠野の中に、五階七階のビルヂングがそびえ立って、悲しい田舎の花火のように、赤や青やのネオンサインが点って居る。

『中央線随筆傑作選』p58

新宿が、田んぼの中にある。ネオンの光が田舎の花火のよう。その当時そびえたったという五階建てのビルは、今の時代であれば高層タワーの中に埋没し、むしろ郷愁を誘うでしょう。

こうしたかわいらしい新宿の上に、いまの迷路のような摩天楼がある。

三鷹についてのこんな描写もよい。西江雅之さん『三鷹〝蝦蟇屋敷〟界隈』より。

わずか一〇年前のことだが、引っ越してきたころの街の印象は、三鷹には時刻の色があるということだった。夜、駅を出てわずか二、三分も歩くと住宅地の裏道はしっとりとした闇に包まれる。人間が作り出した光が混ざらない自然の夜の色が全身を包む。早朝は、一日の始まりを告げる野鳥の声が聞こえてくる。朝陽のなかに、街を彩るすべての事物の色が姿を現す。そして、日中は、ゆったりと流れる時間の中で、民家はけだるそうに夕刻を待つ。それは隣町の吉祥寺のように、都会の音や人工の光のなかにどっぷりと沈んでしまった街とは異なり、つい最近、田畑が消えたばかりの街といった田舎っぽさを残す所だった。

『中央線随筆傑作選』p200

いま、三鷹で鳥の声を探せるだろうか。同じような自然はさらに郊外まで退いてしまっている。

きっと、今現在の都会的な中央線の風景も、やがては地層の一つとなる。未来の人から見れば懐かしくて「そんな時代もあったんだ」と。あるいは人口減少の先に、本書のような田舎が再び権限しているだろうか。時代を、風景を、タイムカプセルにして読者に届ける。随筆・エッセイの面白さは、そこにあるのかもしれないと感じました。

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