noteは、居心地の好い「まち」のような場所。
noteを、まちに例えるなら「西荻窪」みたいだ。
それは、友達との会話の中で、
彼女がぽろっと言ったことば。
ほんとだ。
それは、わたしにとって、すごく
しっくりくる表現だった。
そう、noteは西荻窪みたいだ。
以前わたしが住んでいたまち、西荻窪。
吉祥寺と荻窪の間に挟まれた、西の端っこに
ある小さなエリア。
ちょっとこだわりの強い、ニッチなまち。
週末は、中央線が止まらない。スタバもない。
でもそこには、小さいけれど、こだわりと
個性たっぷりのレストランやカフェ、居酒屋、
蕎麦屋、ベーカリー、パティスリー、本屋、
雑貨屋、ギャラリー、アンティークショップ、
テーラー、…たくさんのお店が、ぎゅっと詰まっている。
そこに住む人たちも、どことなく個性的なひとが多いように、感じる。
干渉はしない、でも、かと言って冷たいわけでもない。どこかみんなおおらかで、透明で。
いいあんばいで混じり合って、西荻というまちの色をかたちづくっている。
愛すべき西荻窪、西荻。
noteもそんな西荻のにおいが、する。
多様な人が、思い思いに創作活動をする場所。
否定もなければ、強い共感もなく、
ただただ、在ることを認めてくれる。
いいね、とか、好きの数を気にしなくていい。
いつも凪いでいて、心地好い居場所。
そんな居心地の好いnoteは、血が通っていて体温やぬくもりを感じられるメディアだな、と思う。
今日も、そんなnoteがやっぱり好きだなぁ、
と思ったこと。
▲そのコメントは、感情的な表現になっていないか、それによって誰かを傷つける可能性はないか。送信前のひと呼吸、そんな考える間をつくってくれる。
誰かの投稿にコメントするときは、感想とか、ここがおもしろかった、こんな発見があった、とか、プチギフトを贈るような気持ちで書くようにしている。
note自体も書くときは、自分の感情・気持ちが動いたとき、と決めている。
楽しい、嬉しい、喜び、悲しみ、時には怒りや焦り。ついつい、気持ちが昂ぶって、それを伝えたいあまり、強めの表現になってしまったり、
沈みすぎて、あるいは走りすぎて、読み手を置いてけぼりにしてしまったり、そんなふうになってしまうことも。
特に、ネガティブな感情のときは注意。
ポジティブに変換してみたり(書いてて浄化されるのは、そのおかげかも知れない)、言葉を選びなおしたり、してみる。
必ず公開ボタンを押す前は、音読して
数回読んで、言葉を変換したり、違う角度の言い方にしたり、なんどもなんども直す。
誤解がないように伝わるように。
だから、そんな気持ちを大事にしてくれるような、仕組みだなぁと思った。
noteは、愉しみながら、また安心して創作活動がつづけられるように、日々カイゼンを重ねながら、発信する環境を整えてくださっている。
それは、クリエイターのみなさんも、きっと実感しているところだと思う。
こういう、ちょっとした工夫ひとつひとつに触れるたび、noteで創作、発信をしていてよかったなぁと思う。
最後まで読んでくださったあなたと、
創作の愉しさを持続させてくれるnoteに、
心からの感謝、そしてハグを。