他でもない自分をハグしようーミニ読書感想『わたしに会いたい』(西加奈子さん)
西加奈子さんの最新作品集『わたしに会いたい』(集英社、2023年11月10日初版)に勇気をもらいました。初のノンフィクション『くもをさがす』で、乳がんの闘病経験を語った西さん。その経験が昇華されてなのか、この作品集では病や障害、あるいは自分自身の「からだ」をテーマにしたものが多い。そして、セルフケア、セルフラブ、他の誰でもない、自分で自分を愛する大切さを伝える物語がたくさん詰まっていました。
表題作でありトップバッターの『わたしに会いたい』で、胸に残るパンチラインに出会いました。
主人公の女の子「わたし」は、幼少の時に身体が成長しない難病であることが発覚する。姉たちは、そんな体では友達も彼氏も出来ず、子どもも産めないと断言する。
主人公は、その通りだったと率直に認める。でも、三人の姉がそれらの総合評価して「あなたの人生は何一つ楽しみのないもの」と切って捨てたけれど、「それだけは間違っていた」と宣言する。
友達も彼氏も子どももいなくても、わたしの人生は楽しい。なんと痺れる宣言でしょうか。
ここでいう友達・彼氏・子どもというのは、普通の象徴です。そして、これらの「要素」があれば「人生が楽しい」という、バロメータ、パーツとしての存在です。ステッカー、バッジ、トロフィー。そういった、他人の目から幸せかどうかを測るもの。
でも結局は、そんなものは、本当にその人が幸せかどうかとは関係ない。関係なく幸せになれるのです。
収録の他の作品も、こういう爽やかさがある。他人にどう思われるかと自分がどう生きるかは、別次元であること。
その際に、身体が一つの鍵になる。特に著者は、女性の身体に意識を向けている。たとえば、乳がんになったグラビアアイドルが登場する物語。性的なシンボルである乳房を切除し、周りから「エロスを失った」と評価される主人公と、「わたしの体は今が最高」と思う主人公のギャップを描く。
私は「抱く」という言葉が不意に思い浮かびました。抱くと言う言葉は、「抱かれる」として使われる場面が多い。「抱かれたい芸能人」という時のそれです。自分の身体なのに、客体として扱われる、消費される存在として扱われる。特に女性は、そう認識をさせられる場面が多いと想像します。
だけど、本作品集は、抱くというのはもっと主体的だよと訴える。誰かに抱かれるのではなく、「自分の体は自分でハグしていいんだよ」と、肩を叩いてくれる作品たちです。
もしも誰にも抱かれないとしても、他ならぬ私は、私をハグしてあげることが可能なのです。そんなエールを受け取りました。
『くもをさがす』の感想はこちらです。