実存的悪意ーミニ読書感想『悪意の科学』(サイモン・マッカシー=ジョーンズさん)
心理学者サイモン・マッカシー=ジョーンズさんの『悪意の科学』(プレシ南日子さん訳、インターシフト、2023年1月30日初版)が面白かったです。自分の利益にならないのに、相手に不利益なことをする「悪意」。有害としか思えないこの行為ですが、では、有害であるならなぜ人類の進化の中で淘汰されなかったのか?実は、悪意には意外な効用があったーーというのがあらすじです。
ここまででも随分面白い。でも、本書はさらに先へと進む。一見して、合理性がないのに悪意を発露させるケースがある。そうした「実存的悪意」と呼ぶべきものが浮かび上がってくるのでした。
実存的悪意とは、「合理的に考えれば最大の利益に結びつく行動とは反対の行動をとり、理性に逆らうこと」(p138)だと著者は定義します。つまり、理性的に考えれば悪意を行動に移すことは不合理だと分かっているのに、あえて悪意を人にぶつけることです。
例としては文学作品のドストエフスキー『地下室の手記』が挙げられる。この作品の主人公は、肝臓の病気をしたり、歯痛がひどくなってもあえて病院には行かない。主人公はそこに自由を見出している。
あるいは著者は映画『ブレイブハート』という作品を引き合いに「ブレイブハート効果」とも呼ぶ。
実存的悪意の引き金になるのは「自由への渇望」。自由が奪われる時、私たちは理性に反して悪意を発露し、あり得ない行動に打って出る。いくら効用がなくても、実存を脅かす事態には耐えられない。
本書では実存的悪意を紹介した次の章で、トランプ現象とブレグジットがクローズアップされる。ここがもっとも面白かった。この二つの現象は、それぞれ実存的悪意の表出として捉えるととてもすっきり見える。
たとえばブレグジット。残留派は、EUに残る方が安全だし、経済的利益もあると理詰めで説いた。理性的に判断すれば当然、残留だと。しかし、実存的悪意の存在を理解すれば、こうした説明は一部の人には逆効果だと分かります。「それ以外の選択肢はあり得ない」と言われれば、自由の奪還に燃える人は出てくる。
本書では、実存的悪意の存在を踏まえると、自分の人生に自律的感覚、コントロール感を感じられない人々の増加は危険性をはらんでいることが指摘されます。たしかに。自由を奪われていると感じる人は、それだけ破壊的で不合理な社会選択をする可能性があるからです。
実存的悪意に知ることで、世界に怯えもわきますが、今までより奥深いものに感じられました。
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