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嫁と姑は交わりにくい『他社の靴を履く』はエンパシー概論としておすすめな1冊


わたしの読書は近所の図書館で本を借りるところから始まる。
その図書館はそこそこ大きく、利用者数もそこそこ多い。
そこで新書を借りるというのは至難のわざで、今回読んだ本は発売から1年経過しているにも関わらず、4ヶ月ほど待った。
多くの方がそれほどまでにエンパシーという言葉に興味を持ったのだろうし、ブレイディみかこの語るエンパシー論を読んでみたかったのではないだろうか。
そもそもの蔵書数が1冊しかないのだけれども。

で、そもそもこの本が刊行された理由にエンパシーという単語が一人歩きしたという現象があげられる。
どういうことか。

ブレイディみかこさんの著書である『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は大ヒットとなり、2冊目まで執筆されるほどのブームになった。

『ぼくイエ』で出てくるエンパシーという単語は、相手の立場になって物事を考える能力だと説明されており、ブレイディさんの息子くんはその能力のことを自分で誰かの靴を履いてみることと表現している。

このエンパシーというものに惹かれた読者が多数いたようで(かくいうわたしもその一人であるのだが)エンパシーがあればみんなが優しくなって世の中にある問題は大体解決するんじゃね?といったエンパシー万能説まで登場するほど、日本国内で話題になったのだそう。

そこに待ったをかけたのがブレイディみかこ著『他者の靴を履く』である。

「エンパシー万能」「エンパシーがあればすべてうまくいく」という考えに結び付いてしまうのは著者として不本意な気がした。なぜなら、米国や欧州にはエンパシーをめぐる様々な議論があり、それは危険性や毒性を持ち得るものだと主張する論者もいる。すべての物事がそうであるように、エンパシーもまた両義的・多面的なものであって、簡単に語れるものではない。
『他者の靴を履く』p2より引用

エンパシーを唱えればオールOK”という過熱したブームに押される形でブレイディさんの本が1冊誕生したことは、ファンとして喜ばしい限りだ。

1.書籍紹介

・タイトル|『他者の靴を履く
       アナーキック・
       エンパシーのすすめ』
・著  者| ブレイディみかこ
・発行年月| 2021.6.30
・発    元| 株式会社文藝春秋
・著者略歴| 1965年福岡県福岡市生まれ。
96年からブライトン在住。
       ライター・コラムニスト。
2017年『子どもたちの階級闘争
       ブロークン・ブリテンの無料託児
       所から』で新潮ドキュメント賞、
19年『ぼくはイエローでホワイトで
       、ちょっとブルー』で毎日出版文化賞
       などを受賞。

2.あらすじ

「文學界」連載時から反響続々!
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に次ぐ「大人の続編」本。

「わたしがわたし自身を生きる」ために――
エンパシー(=意見の異なる相手を理解する知的能力)
×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。

・「敵vs友」の構図から自由に外れたエンパシーの達人金子文子
・「エンパシー・エコノミー」とコロナ禍が炙り出した「ケア階級」
・「鉄の女」サッチャーのしばきボリティクスを支えたものとは?
・「わたし」の帰属性を解放するアナーキーな「言葉の力」
・「赤ん坊からエンパシーを教わる」ユニークな教育プログラム…etc.

負債道徳、ジェンダーロール、自助の精神……現代社会の様々な思い込みを解き放つ!
〈多様性の時代〉のカオスを生き抜くための本。
Amazonより引用

3.感想

ここにまとめるには多すぎるなるほどがわたしの脳内で発生した書籍だった。
その興奮をなんとか制御しつつ、少しだけここに残しておく。

その前にエンパシーという単語が持つ意味について書籍を参考に簡単に記しておく。
まずエンパシーの定義は論者によって様々に異なっているということ。
その上で大まかに4つに分類される。

1)コグニティヴ・エンパシー
認知的能力をさす。他者の考えや感情についてより全面的で正確な知識を持つことであり、それゆえに他者に対する正確な想像力を持つこと。
2)エモーショナル・エンパシー
他者と同じ感情を自分のことのように感じること。これは日本でいう「共感」に該当する。
3)ソマティック・シンパシー
他者の痛みや苦しみを想像することで、フィジカル的にもそれを感じてしまうこと。
4)コンパッショネイト・シンパシー
苦しんでいる人々や動物に対する、強いシンパシーの情であり、彼らを助けたいという願望を持ち、なんらかのアクションを起こすこと。

この書籍では1)コグニティヴ・シンパシーについて綴られている。
前提をお伝えした上で、わたしの感想に入る。




本書籍を読む中で、すっと頭に入ってきたフレーズがある。

自分であることをたやすく手離さない人たちなのだと思う。
『他者の靴を履く』p135より引用

なぜ、このフレーズなのか。
自分であることを手離していることに気がついていない人を知っているからだ。そして、その人は、自分の感情や思考を手離す、もしくは脇へグッと押しやってしまって、他者の感情や思考に依存してしまっている状況を目の当たりにしたことがある。
我が祖母である。

わたしは高校卒業までほとんどを父方の祖父母と一緒に暮らした。
父はギャンブル狂いに酒、タバコ、夜のお店にとお金を使うことに抵抗のない人で、いつも母にお金をせびっていた。というか財布からお金を抜き取っていた。
そしてわたしが中学生の頃、破産した。
で、この父を育てた我が祖母は破産した父を目の前に、我が母を責めた。
嫁がしっかり管理をしていなかったからだ、と。

この状況は別に珍しいものではないのではないだろうか。
さて、これはどうして起こってしまったのだろうか。
わたしなりにこの不条理な状況をエンパシーという概念に焦点を当てて分析してみた。

結論からお伝えすると「我が祖母のエンパシーが、発揮すべき能力からいつしか依存にまで陥っていたことが一因としてあげられる、ということだ。

エンパシーというものは、タイトルにもなっているように他者の靴を履いて相手の感情や思考などを想像する能力のことである。

で、たいていの親は我が子がふにゃふにゃで放っておけば死んでしまう存在の頃から一緒にいるわけで、我が子が泣けば何を求めているのかを必死で考え行動するし、第三者が聞いてもわからないような日本語を喋っていても親は理解していることが多い。
親は、我が子が生まれた瞬間から他者の靴を履く能力=エンパシーを十分に発揮せざるを得ない状況になる。

我が子は成長するにつれ、自我が芽生え、ひとりの人間として考えるようになり、反抗期を経験して、家族以外の人々と関わりながら社会へと巣立っていく。
この過程が完了してもなお、親が他者=我が子の靴を履き続けるということは、いわゆる子離れできていない状況であり、もはや親が履いていると思っていた靴は小さくなりすぎて我が子でさえ履いていなかったという事態まで招いてしまうのではないか。

そして、親が我が子の靴を長年履き続ければ、それはもはや親の靴である。だが、子どもの靴を履き続けていると錯覚したままの親はどうなるのか。自身の感情や思考を同じように子どもが感じていることに疑いを持たなくなる。親は子どもの靴を履けている自分に依存していくのだ。

すると、子どもが何か間違いを起こした場合(例えば長年に渡る借金の末、返済が不可能になり、破産しか道がない場合とか)、子供を責めることは自分自身を責めることになりかねない。
で、嫁が管理していないことに矛先を向けるに至るというわけだ。

さて。
我が祖母は息子(わたしの父)に対するエンパシーを発揮し続けてしまい(この場合、最終的にはエモーショナル・エンパシーだったのかもしれない)、
最悪な状況に至ってしまうという、誰も救われない出来事の立役者になってしまった。
エンパシーという能力は、能力であるがゆえに使い方が大切なのだ。
では何が大切なのか。

冒頭に引用した自分であることを手放さない人であり続けることではないかと思うのだ。
親は親である前に、ひとりの人間として、現代を生きる社会人として、どうあるべきか。
個人が自分なりの譲れない哲学を持つこと。
その上で、他者の靴を履く能力を育てることが大切なのではないか、という結論に至ったわけである。
自分であることを手放した人は過剰に感情的になるようだ。
これは本書にも記載がある。

この1950年代のエンパシーの定義を読んで思い出したのは、『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』(高橋洋訳、白揚社)というポール・ブルームの本だった。彼はまさに、感情的に他者に共感することの危険性の一つとして、エモーショナルに他者に入り込むと状況の判断が理性的にできなくなるので、エンパシーは「善」ではないというアンチ論を唱えた人だ。
『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』
p22より引用

自分であることを手放さない人は理性的である人とも言い換えられるのかもしれない。


そんな両親は数年後に母の不倫で夫婦生活を終了されたわけだが、両親はわたしにとってよき反面教師として元気に生活してくれている。

ちなみに、この身内話をすると、女友達は母親のような優しい眼差しで元気付けてくれるのに対して、男友達ないしは関西圏の女友達に話すと結構な確率で笑いが取れる。
笑いが取れるという甘い蜜を吸ってしまったわたしとしては、ネタにしてしまいがちなのだが、この違いはなんなのか。
わたしは今でもわからないでいる。


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