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「学び」と「実践」を、なぜ人は分けるのか?

「今は勉強の時期だから」
「もう少し学んでから始めよう」
「まだ準備が足りない気がする」

こんな言葉を、自分に言い聞かせたことはありませんか?
私たちはなぜか、「学ぶ」ことと「実践する」ことを、別々のものとして考えがちです。

でも、本当にそうなのでしょうか?

「学び」と「実践」が分けて語られるケース

ビジネスの現場で、よく目にする例を見てみましょう。

新人研修での「まずは基礎を」

「現場に出る前に、基礎をしっかり身につけましょう」
「まずはマナーから。実践は追々です」
「理論を理解してから、実務に入ります」

資格取得での「勉強期間」

「資格試験に専念したいので、実務は控えめに」
「合格してから、実践で活かします」
「今は勉強が優先。実務経験は後からでも」

新規事業での「準備期間」

「市場調査をしっかりしてからスタート」
「もう少し計画を練ってから」
「先行事例をもっと研究してから」

こういった発言、とても理解できますよね。
でも、ここで立ち止まって考えてみましょう。

そもそも人間は、どうやって学ぶのか?

赤ちゃんが歩き方を覚えるとき、
 ・最初に「歩行の理論」を学び
 ・次に「バランスの取り方」を勉強し
 ・最後に「実践」する
なんてことはしませんよね。

赤ちゃんは、
 ・何かをとりたい、向こうに行きたいという欲求に従って
 ・使えるものは手足もテーブルの脚もすべて使い
 ・転びながら
 ・這いながら
 ・掴まりながら
実践を通じて歩き方を学んでいきます。

これは、人間の学習の本質を示唆していると、私は思います。

人間の学習の本質として語られていること

学習理論は、時代とともに大きく進化してきました。

1.行動主義的学習論(1950年代)

1950年代、ハーバード大学のB.F.スキナーは、人間の学習を「刺激と反応の関係性」として説明しようとしました。
彼の著書『科学と人間行動』で示された行動主義的学習論は、「報酬」と「罰」による学習効果を重視し、多くの教育現場に影響を与えました。
しかし、この理論では「人間の内側で起きていること」を十分に説明できないという課題が残りました。

2.認知主義的学習論(1960年代〜)

そこで1960年代になると、スイスの心理学者ジャン・ピアジェが『認知発達心理学』で示した認知主義的学習論が注目を集めます。
この理論は、人間の脳を「情報を処理するシステム」として捉え、記憶と理解のメカニズムを科学的に解明しようとしました。
ただし、認知主義的アプローチは「教室での学び」を想定したものであり、実践の現場での学習を説明するには十分ではありませんでした。

3.況的学習論(1990年代〜)

そして1990年代、ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーが『状況に埋め込まれた学習』で革新的な視点を提示します。
彼らは学習を「社会的な活動」として捉え、「実践コミュニティへの参加」こそが本質的な学びであると主張しました。

これらの理論は、それぞれ重要な示唆を与えてくれます。
人間は試行錯誤から学び、その過程で理解を深め、さらに実践的なコミュニティの中で成長していく——。
こうした知見を統合する形で登場したのが、経験学習理論です。

そして、これらの知見を統合する形で登場したのが、経験学習理論です。

経験学習理論が教えてくれること

経験学習の第一人者であるデイビッド・コルブは、「学習」を以下の4つのサイクルで説明しています。

  1. 具体的な経験

  2. 振り返りと観察

  3. 概念化と一般化

  4. 新しい状況での試行

つまり、私たちは

  • 何かを経験し

  • それについて考え

  • 教訓を引き出し

  • また新しいことを試す
    というサイクルを常に回しているのです。

あなたはすでに「学んでいる」

例えば、こんな経験はありませんか?

  • 「いつもより早めに資料を作ったら、上司の反応が良かった」

  • 「先輩の説明の仕方を真似てみたら、部下の理解が早かった」

  • 「クライアントの表情を見ながら話すようになって、商談が上手くいくようになった」

これらはすべて、立派な「学び」です。
なぜなら…

  • 経験から

  • 気づきを得て

  • 次の行動を変えた

というサイクルが含まれているからです。

なぜ「分けて考えたくなる」のか

では、なぜ私たちは「学び」と「実践」を分けたがるのでしょうか。

カーネギーメロン大学の認知科学者ハーバート・サイモンは、その著書『意思決定と合理性』の中で、人間には「不確実性を低減させようとする本能的な傾向がある」と指摘しています。
これは学びの場面でも顕著に表れます。

まず大きな影響を与えているのが「学校教育」の経験です。私たちの多くは、12年以上もの間、「まず教科書で学び、次にテストで評価され、最後に実践する」という順序に慣らされてきました。

東京大学の佐伯胖教授は『「学ぶ」ということの意味』において、この「学校化された学び」が、私たちの学習観を強く規定していると論じています。

次に、より本質的な要因として「失敗への恐れ」があります。
ハーバード・ビジネス・スクールのエーミー・エドモンドソン教授は『チームが機能するとはどういうことか』で、「心理的安全性」という概念を提唱しました。
彼女の研究によれば、人は失敗を恐れるあまり、「完璧な準備」を求めすぎる傾向があるといいます。

さらに、「学び」のイメージそのものが固定化されていることも要因です。

スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授は『マインドセット』において、多くの人が「学び」を「形式的な教育活動」と同一視してしまう傾向を指摘しています。
本を読むこと、セミナーに参加すること、資格を取得すること——これらは確かに学びの一形態ですが、決して学びのすべてではありません。

つまり私たちは、
 ・教育システムによって形作られた思い込み
 ・失敗を避けたいという本能的な欲求
 ・学びに対する固定的なイメージ
という3つの要因によって、「学び」と「実践」を分けて考えるよう教育されてしまったのかもしれません。(善意、悪意はいったん関係なく。)

実は「すべて」が学びである

コルブの経験学習モデルに従えば、私たちの日常そのものが「学びのサイクル」なのです。

例えば:

  • 会議で発言する(具体的な経験)

  • その反応を観察する(振り返り)

  • より効果的な発言方法を考える(概念化)

  • 次の会議で試してみる(新しい試行)

このサイクルは、意識するしないに関わらず、常に回っています。

もっと自信を持っていい

実は、あなたは

  • 日々の仕事の中で

  • 様々な経験を積み

  • 多くの気づきを得て

  • 少しずつ成長している

のです。

「まだ学んでいる途中です」と謙遜する必要はありません。
なぜなら、私たちは皆、常に学んでいるからです。

それは、新入社員も、中堅社員も、管理職も、経営者も同じです。

さいごに

「学び」と「実践」は、本来、分けられるものではありません。
これは、経験学習理論が教えてくれる重要な示唆です。

そして今、この考えはさらに進化を続けています。

例えば、MITのピーター・センゲが提唱する「学習する組織」理論は、個人の経験学習を組織レベルに拡張。
組織全体を一つの学習システムとして捉え直すことで、新たな可能性を示しています。

また、スタンフォード大学のアルバート・バンデューラによる「社会的学習理論」は、他者の観察や模倣を通じた学習の重要性を指摘。
経験学習に「社会的な次元」を加えることで、より豊かな学習モデルを提示しています。

さらに近年では、ハーバード大学のロバート・キーガンが「成人発達理論」で示したように、学びを「意識の発達段階」と結びつける新しい視点も生まれています。

これらの新しい理論に共通するのは、
 ・学びは常に「進行形」である
 ・個人と環境は相互に影響し合う
 ・成長に「終着点」はない
という認識です。

あなたの日々の仕事、
それは立派な「学び」なのです。
いや、それ以上に、あなたは「学び」そのものかもしれません。

なぜなら私たちは、
 ・経験から学び
 ・他者から学び
 ・失敗からも学び
 ・そして、その学びからまた学ぶ
という、終わりのない成長のプロセスの中にいるのですから。

実は、「学んでいます」という言葉は「呼吸をしています」と、同じような意味なのかもしれませんね。

#私の勉強法

参考文献

『「経験学習」入門』松尾睦著

『マインドセット「やればできる!」の研究』キャロル・S・ドゥエック著

『学習する組織―システム思考で未来を創造する』ピーター・M・センゲ著


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