高野悦子「二十歳の原点」を読んで。
最近はmahoちゃんとの交換日記が主だったけど、
感想を書かずにはいられない読書をしたので
今日は個人的なやつ書きます。
夢中で読み終えた。
二十歳と六ヶ月で自死してしまった彼女の、日記。
思う所は色々とあった。
若い頃って、誰しも大小問わず鬱屈した気持ちを抱えているものだと思うけど
彼女のもつ性急さと過剰なまでの自己批判、
そして「自分を真に理解してくれる人はいない」という孤独感が
彼女自身を追い詰めてしまったのではないのだろうか。
大学の、学費を搾取する対象としての学生への向き合い方に疑問を感じ
激化する学生運動に身を投じ
物凄い量の本を読んで知識を付けんとし
とかく真摯に生きようとする彼女。
アルバイト先でいくつかの恋をして
自分を理解し受け入れてくれる男性とのつながりを求めるも成就せず、
穴の空いた心を抱えたまま
アルコールとタバコに逃避してしまっていた彼女。
私自身、今だから言える事だけど
二十歳前後ぐらいの時って「いま自分の目の前にある世界が全てだと思ってしまう」ような所があると思う。
ただ、その時は辛くても、それは人生の全てではない。
場面は幾らでも切り替える事ができるし、過去の失敗や後悔はどんどん遠くなってちっぽけになってくれる。
自分も周りの環境も、日々どんどんアップデートされていく。
どこかに、この広い宇宙のどこかに私をみつめているsomeoneがいるにちがいない。会って話してみたいものだ。
この文を読んで、少しぞくりとした。
きっと彼女の「誰かに見ていてほしい」という願望から出た言葉なんだろうけれど。
まるで、この日記が世に出てたくさんの人に読まれる未来を予知したようにも思えた。
ただそれが本人が居なくなった後で本人が知ることはなく、というのはどうにも寂しいな。
こんなにチャーミングで、ユーモアもあって
たくさんの本を読み向学心に溢れていた彼女。
物事の既存のあり方に捉われず、主体性を持って生きようとしていた彼女。
同じ時代を生きる事ができたら、会って話してみたかった。
本の話、ジャズの話、アウトドアの話…。
ただただ、いとおしい。
きっとこの本はこの先もたくさんの人に読みつがれてゆくだろう。
ー時空を超えて、あたたかいまなざしで
私が悦子さんをみつめているよ。