西研『しあわせの哲学』(2/2)

前記事で、本書の要約を記した。

こちらでは、本書を読んで自分の想ったことをポツポツと書いていく。

対話の重要性

本書は幸せの条件を哲学的に整理したものとして、とても面白かった。

特に印象深かったのは、様々な場面で「想いを受け止めあえるような対話」の重要性が強調されていたことだ。

・自分の思い描いた人生の物語が、病気や事故といった要因で達成不能になったとき、次の人生の物語を構築するには、第一に自分の胸の内を受け止めてくれる人が必要だった。

・「自由」と「承認」は、両方が幸福において重要であるが、しばしば対立する。この対立を調和させるには、想いを受け止めあうような対話が重要だった。

・「自分の軸」が確立すると、目指すべきものが明確になり、そこに向かって努力することに誇りが持てるようになる。自分の軸を見出すには、対話を繰り返しながら生きていくことで「事そのもの」を浮かび上がらせる必要があった。

本書は幸福の条件を整理するという役割を担いつつも、相互の想いを丁寧に受け止め合うような、哲学的な対話の重要性を訴えたものでもあるのだろう。

対話へのシラケ感

そして、現代日本では、このような対話が極めて希薄になっているのではないか。それぞれが、個人の時間を大事にし、誰かに干渉されることを嫌う。集団の中で自分を表現することをためらい、空気を読む。

こういった傾向は、「対話」への期待度の低さの現れなのかもしれない。

「飲み会に行っても、どうせ「想い」を受け止めてもらえるような会話はできない。バカ騒ぎと自慢話と説教しかないだろう。だからいかない。」

「全体の流れに逆らって自分の意見を表明しても、どうせ半端なフォローだけされて無かったことにされるだろう。だから表明しない。」

こんなシラケ感は自分にもあるものだし、自分より若い世代からさらに顕著に感じるものだ。しかし、幸福の条件に「他者からの承認」だったり、「想いを受け止めあうような対話」がある以上、個人主義にひた走ることの限界というのも見えてくる。

自分の行動をどう変えるか

本書では「承認」や「対話」という要素の重要性が強調される。すなわち、自分の幸福における「他者」の重要性というのが浮き彫りにされるのだ。

視点を変えてみると、自分自身は、誰かの人生にとっては他者を演じていることになる。他者の人生において、自分がどのような登場人物であるかを考えてみるのもいいかもしれない。相手の「想い」をしっかりと受け止められているだろうか。真摯な取り組みをしている誰かに対して、遠巻きで見るだけでなく、「承認」を返せているだろうか。

「承認してもらいたい、想いを受け止めてもらいたい」と思うのであれば、まず自分がそれを他者に行うべきだろう。

しかし気付けば、自分の言動というのは「空気の読める人」だったり、「必要以上に干渉しないサバサバした人」だったりに寄っているかもしれない。

急に暑苦しいキャラになるつもりもないのだが、「今やろうとしていること」というレベルではなく、その一つ奥にある「想い」の部分を汲み取ろうとする態度を身につけたいものだ。

また、他者が想いをもとに真摯に行動しているのを目の当たりにしたなら、そう理解するだけに終わらず、「承認」という形にして本人にフィードバックしなくてはなぁと思わされた。

ポジティブ心理学との比較

本書は、幸福について哲学的なアプローチで語っている本である。それは、ちょうど今回まとめたように、「幸せとはどのようなものなのか」というテーマで丁寧な対話を重ね、普遍的に導き出されるものを見出していくようなアプローチなのだろう。

一方で、科学的なアプローチで幸福の本質に迫ることも可能であり、ポジティブ心理学という領域も存在する。本書で提示されたような幸福の本質と、ポジティブ心理学の方法論で導き出された幸福の条件を照らし合わせると、どんなことが見えてくるだろうか。

まだまだ、ポジティブ心理学についても新書一冊レベルでの勉強しかしていないので何とも言えないが、それぞれのスタンスには親和性がありそうな気がしている。いずれ考えてみたい。