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恥が含む恐怖の内在性

 少し前に、ある記事がぼくのタイムラインに流れてきました。

 尹 雄大(ゆん・うんで)さんが書いた記事で、内容を雑に要約すると、人をバカにした笑いは、それを受けた人間にとっての恥辱であるにもかかわらず、それを当然のように受け入れられる風潮や空気は、ぼくたちの成長や生活における比重は決して小さくはないにもかかわらず蔓延している。それを一つの殺し文句である「共感」を利用することで免罪符にしようとしているのではないか。ってなところです。

 共感を優先させ続ける道義はないにもかかわらず、それを前面に押し出し続けることは「私」、つまり「個」の排除であり、他人を認められぬ、差異性を認知できない受容性の低い、えらく不寛容な社会なのではないか。

 そんな風にしてぼくは受け取っています。

 特にぼくが読んでいて、自分が過去に感じていた「恥ずかしい」と「怖い」の境界線が曖昧だった時期の回答を得たような気がしたのが以下です。

 正直、今となっては、その境界をどこかで乗り越えた気がしていて、「どうでもいい」とすら思っていますが、「他者からの共感を得られないことへの恐怖」を指摘する意味では、ものすごく的を得ているように感じます。

 たとえば、何か新しいことに挑戦しようとすると、ドキドキして足がすくんでしまいます。たった今感じている、この恐怖はありありとしていて心と身体に影響を及ぼします。生理的にリアルに感じるがゆえに、果たしてこれが「新たな挑戦」への怖れなのか。それとも世間から笑われることへの怖れなのか。体感としては両者は見分けがつきません。

 つまり、未知に対して危機感を覚えるといった生物として正常な怖れなのか。仲間から見放されるという社会的な怖れなのか。体感レベルとしては同じ恐怖として感じられてしまうため、いったいどちらなのかわかりにくくなってしまいます。こうした混乱は、周囲から笑われることで失敗への怖れを逞しくした習慣がもたらした結果かもしれません。

 子どもと生活をするようになり、さらにその子どもが自宅とは別の社会を持つようになった頃から感じていたことも上記の一文でえらく納得がいきました。

 「自宅以外の社会」、つまり「友人関係」こそが「居場所」になり得ることの重さ、とも言えるのですが、我が家の長男は一時期、保育園の友人たちの輪に入ることが難しい時期がありました。

 その友人グループはトランプをはじめとしたカードゲームといった割と高度な遊び(規則を把握し、手元にあるカードをその規則に則った形でやりとりする遊び)をすることができ、我が家の長男はそれができないがために、輪に入れてもらえず、自宅ではそれを嘆くことが多くありました。

 その期間、決して短くはなかったのですが、彼は「どうしても保育園に行きたくない」と本気で泣くこともありまして、それは過去に不登校をしたぼくとも重なる姿でもあったのです。

 当時のぼくも、「同調の輪」から外れてしまったことにより、自分の「生きていい」世界が一気に消滅してしまったかのような感覚に陥ったことがあります。

 また、「同調の輪」が集う場所である「学校」へ足を向けられないことで、さらにその共感の輪から外されていくであろうことを、考えれば考えるほどにツラく、重く、離れてたくなる気持ちが増長していくことも経験しました。

 その共感の輪は、本当に自分で考え、必要だと感じ、取得したいと思いながら行動して得られるものなのでしょうか。もしかすると、それは他者から必要な、言い方を悪くすれば、他者にとって都合のいい自分なだけであり、その「他者から見た自分」に依存するがあまりに不寛容な社会を、仕方なく受け入れているだけではないでしょうか。

 過去に、そんな振る舞いを「無意識の善意であるはずの敵意」と名付けたことがあります。

 自分の中の「普通」や「常識」が相手にとっての普通や常識ではないし、ましてや、それを押し付けることによって相手が救われると思い、なおかつ、それを根本的に「善意」であると決めつけて言動や行動をすることを良しとする場合に、それは顔を出します。

 共感性が高いことと、同調性が高いことは似て非なるものであり、その前提が異なります。共感の前にあるのは「尊重」であり、同調の前にあるのは、上の記事でも触れている「恥が生む恐怖」だと思っています。

 そこには誰を救うわけでもない、ただ卑しい感情だけがフワフワと浮いているだけなのにもかかわらず、それが「正しい」と思い込んでしまうことによって、えらく不寛容な態度をとってしまうことにより、結果として「恐怖」へとつながっていくんだろうなぁ、なんて思うわけです。

 

 今日もお読みいただき、ありがとうございます。共感は相手の話をきちんと聞けることが前提なんですよね。


ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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