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#note @note_PR で #編集部のおすすめ は"おもいやりのカタチ"

それほど頻繁ではないが、#note の #編集部のおすすめ に選んでいただくことがある。

今回おすすめにしていただいた記事は下記だが、内容はおすすめにされるに値するのかどうか自信はない。30歳を越えているオヤジが意地悪ごころを抱き、まっすぐな5歳児の息子を本泣きさせた話だ。

「ことがある」と書いているのは、これまで複数回に渡って取り上げていただくことがあったからなわけだが、こんな風に取り上げてくれるnoteの佇まいや姿勢がぼくはスキだ。

これは、ぼくがnoteで書き続けることの理由の一つになっている。

"noteからのお知らせ"は、画面を開いた際にポップアップしてくるのだが、これがうれしい。ぼくみたいな個人の日常雑記系noteブロガーには頻繁に出てくるものでもないため、画面を開いた際に出てくると「おぉ」となる。


(こんな風にポップアップされる)

これは他のブログサービスではみられない特徴で、独自性という意味でも強みだと思う。...だなんてそれっぽく書きたいわけではなくて。

ぼくが思うに、noteの思想は「クリエイターに寄り添う」サービスとなるよう設計されることであり、それを支える根本的な「こころ」は、「やさしさ」や「おもいやり」だと感じている。

おもいやりは想像力だと聞いてから、ひたすらに「おもいやり」について考える機会が多くなった。また、想像力は創造力だとしたことは、妙に自分の中では納得感がある。

世の中の意見や見識を二分することは乱暴な気もするが、前提を揃える意味でわかりやすくすると、この世の中には「通説」と「異説」がある。

通説とは、

世間一般に広まっている説。

異説とは、

世間一般の通説・定説と異なった説。

常識と非常識とは異なるし、普通と異常でもないところは注意が必要。

天動説と地動説のように、真っ向からではないものの広くいわれていること(通説)と異なることを唱えたのが異説となるわけだが、意見が真っ向から対立していることと、根本的な思考原因が対立していることは異なる。

例えば、天動説と地動説でいうと、実際に確かめるには宇宙で定点観測をする必要があるが、この2つの説が生まれた時代では、そんな技術は成立していないため、実際に宇宙で定点観測することは不可能だ。

持ちうる機材、それを通して出来うることを駆使し、導き出した説が天動説と地動説で、その節を出す上で必要だったのは他でもない想像力だとぼくは思う。

また、想像の先にあるのは無限の可能性だということは、小さくても夢を見たことがある僕たちならば理解することは難しくない。

ただ、それができなくなる時というのはあるとも思っている。

想像力が欠落しているときは、えてして「こころ」に余裕がない状態の時が多いが、それは「やさしさ」で覆い尽くせるものだとも思っている。

"おもいやり"が根底にあるからこそ、noteはMAU(Monthly Active Users:月間アクティブユーザー)が1,000万人を突破するサービスになったのだろうと、いちユーザーとして思う。

noteは、"おもいやりのカタチ"を具体化したサービスなんだろうし、これからもそうであって欲しいと願うし、自分自身でもそうでありたい。

せっかくなので、過去に"おすすめ"された記事を公式Twitterアカウントで紹介されている内容を含めて紹介したい。

有無をいわぬ、#えんどうnote の中でもっとも読まれているnoteで、自分では善意だと思っていても、実は敵意が含有量的に多い、なんてことにならないためにはどうしたらいいんだろうと思ったことから書いたnote。

始末に悪いのは、「無意識の善意であるはずの敵意」を発してしまった人には、無意識に出してしまっているがために自覚がないという点。

それこそ、本記事でいう"おもいやり"を欠いた態度なのではないだろうか、という内容。

挑戦する、というのはできることを増やしていくことであり、自分が描く未来を獲得するための気概だと思っている。

近所の公園にある少し高い切り株型のイスから、次男が飛び降りている様をみて着想した記事だ。

何でもかんでも闇雲に突貫すればいいというものでもないことが、新しい自分の価値を否定することをすべきだとも思わない。できることを増やすことは、純粋に考えれば楽しくてワクワクすることだ。

#スポみら (#スポーツの未来に僕たちができること )と題し、スポーツを軸とした活動をはじめるきっかけとなった内容をまとめた記事。

「フォロワーを増やすための...」とか、「成功するための条件○個」みたいな書き方をするべきものでもないだろうし、そんな風に書いても仕方ないなぁ、と思っていたこともあり、総括記事の内容に悩んでいた。

ただ、気づいたことがあって、客観的な意味で再現性を高める必要がないということと、大切なのは、この記事を読んでくださった方が行動を起こす際に大切にすべきなのは主観だということ。

そんなことを考えたために、「主観の共有」を狙った記事。


どれもこれも毎日更新すると決め、実際に投稿する中の一つなわけだが、読んでいただけることはもちろん、それに対してコメントを下さったり、スキをくださったり、という反応がすべてうれしい。

だからこそ、ぼくも他の方が書いたものに対して、スキをするし、コメントをするようにしている。それが、ぼくなりのおもいやりを表現する方法だから。

ぼくはこれからも書いていく。そして、この記事は #302日目 だ。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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