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婆さんがバットを握り締めた刹那

時刻は午後4時30分。
西側の窓から見えるいつもの景色は若干オレンジがかって見える。今日は休みだったが、朝起きてした事といえば、飯を食ってもう一度寝た位だ。

これでは本当にいけない。
時間を無駄に溶かしている。
世の中には、「座右の銘は、人生は死ぬ迄の暇潰し、ですっ!」等と抜かす輩が居るが、それは僕にとって本当に嫌いな言葉だ。図星だから。

幸い、朝にコーヒー牛乳を飲んだから冷蔵庫の牛乳が切れていた。
僕はただ牛乳を買うためだけに家を出た。

ほんの一週間前まで「暑い、暑い」と皆が口にしていたのに、偏西風だかラニーニャ現象だかの影響のために、今は半袖で外を歩くのが億劫な程寒い。
僕は肩をすぼめ、小走りで近所のスーパーに向かった。

道中、公園の傍を通る。子供たちがキャーキャーと騒ぎながら追いかけっこをしている。ブランコの一角では小学校高学年程度と思しき男子グループが談笑している。ブランコに乗りたいチビッ子グループは、そのやるせなさを視線に込めて男子グループを見つめていた。チビッ子グループの内心を想像して僕の口元は緩んだが、マスクをしていたから何も気にする事はない。

近くには集合住宅がある。きっと子供達の多くはその住人の家族だろう。建物を見上げて、戸数だけの家族が暮らしている事を思った時、自分の今の生活や人生に虚無を感じて、僕の表情は暗くなったが、マスクをしていたから何も気にする事はなかった。

ふと前を見ると、ひとりの老婆が黒い棒を持って佇んでいた。
婆さんは僕の進行方向の先に居るので、自ずと距離は近くなっていく。婆さんから怪しい雰囲気は感じられなかったが、ただ黒い棒が何なのかは気になる。
数メートルまで近付いてやっと、婆さんが手に持っているのは黒いプラスチックバットである事が分かった。子供達の誰かがここに落としたのかも知れない。

バットの先は地面から数センチの所に浮いており、把持部分を持つ両の手に力は感じられなかった。


あの郭海皇も箸と茶碗に重みを感じた頃に理を手にしたって言ってたっけ。
今は軽々と持てる物も、そもそもプラスチックバットみたいに軽さが売りの物でも、高齢になるとその重みを感じる程筋力って衰えるんかな。

そんな事を考えながら通り過ぎようとした時、婆さんがずっと僕を見ていた事に気付いた。
その眼の奥に寂しさのような憐れみの色を浮かべて。

何を、、、。

考える間もなく、僕の顎は吹き飛んでいた。
婆さんがバットを握り締めた刹那、その先端は僕の顎を捉え、既に空中を奔っていた。
意識を失うまでの数瞬で僕は理解した。
バットを持つ手に力が無かったのではなく、婆さんは究極の脱力を実現していた。
まるでシャオリー(消力)のように。
すれ違う時のあの眼は、今から通り魔的に襲う目の前の男に対しての憐れみの眼だった。
そう考えた時にようやく、バットが僕の顎を打った音が聞こえてきたが、地面に顔面が叩き付けられたのは僕が事切れてからだった。

僕はただ、牛乳を買いに来ただけなのに。

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