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新たに一人(石破茂首相)【続】日本の首相には意外にクリスチャンが多い . . . 戦前は原敬、戦後は吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、麻生太郎

衆議院本会議が予定より30分ほど遅れて始まりました(参議院本会議も予定より40分ほど遅れて始まりました)が、野党の反対討論を聴きながら、以前の記事

に掲載したクリスチャンである・あった首相の一覧表に、政治家としては2代目でもキリスト教徒としては4代目(母方の曾祖父は同志社を設立した新島襄より洗礼を受けた、明治時代の日本のプロテスタント派の三つの源流の一つである熊本バンドのメンバーでもあった、金森通倫)でいらっしゃる石破茂(自民党)新総裁を書き加えました。

全国平均(異端とされる新宗教・新興宗教を除き人口比1%前後)よりキリスト教徒の比率が高いと言われる国会や地方議会ですが、歴代首相については次の通りです。


      首相在任期間

原敬    1918年9月29日 - 1921年11月4日  カトリック
高橋是清  1921年11月13日 - 1922年6月12日 プロテスタント?
                  (洗礼を受けた記録はない)
吉田茂   1946年5月22日 - 1947年5月24日  カトリック
      1948年10月15日 - 1954年12月10日(没後に洗礼)
(洗礼名 ヨゼフ・トマス・モア、戒名 叡光院殿徹誉明徳素匯大居士)
片山哲   1947年5月24日 - 1948年3月10日  プロテスタント
鳩山一郎  1954年12月10日 - 1956年12月23日 プロテスタント
                  (かつ、フリーメーソン)
大平正芳  1978年12月7日 - 1980年6月12日  プロテスタント
細川護熙  1993年8月9日 - 1994年4月28日   学校教育のみ
麻生太郎  2008年9月24日 - 2009年9月16日  カトリック
石破茂   2024年10月1日 -(予定)     プロテスタント


私は残念ながらクリスチャンではないが、祖父の鳩山一郎が毎月のように讃美歌を歌うために親戚を集めて、鳩山会館で歌っていた。そのことを懐かしく思います。」


仲睦まじい石破茂・桂子ご夫妻(慶応義塾大学法学部の同級生)は神前や仏前ではなく教会でご結婚式を挙げられたかもしれませんが、残念ながら、ご結婚式のお写真は公開されていないようです。(ご結婚式(披露宴)に故田中角栄元首相が(亡くなられた)お父さまの代わりとして出席された経緯については、この記事の末尾をご覧ください。)

結婚式でくつろぐ石破夫妻
鳥取県議会議員 野田修 公式サイト

尚、日本における政治とキリスト教の関係(どちらかと言えば、無関係)については以前の記事

をご参照ください。(教祖と総裁が救世主を自称する旧統一教会等とは異なり、日本国内ではカトリックもプロテスタントも政治活動を殆ど行なわないため、首相がクリスチャンであっても、国政や外交に影響はありません。

(※ 麻生太郎元首相や石破茂新首相に文鮮明教祖と韓鶴子総裁が救世主である云々と申し上げれば、一笑に付されるかもしれません。念のため、書き添えます。)

(※ この記事の表紙写真は(私見では少しあやしい)日本CBMCが定期的に開催する国家朝餐祈祷会で登壇された折に撮影されたものです。石破総裁は国家朝餐祈祷会や国家晩餐祈祷会に何度も出席されています。)

自民党の石破茂元幹事長があいさつ 第17回国家晩餐祈祷会

2017年3月25日

(前略)

午後6時、皆で「輝く日を仰ぐとき」(聖歌480番)を賛美。続いて自民党の石破茂元幹事長があいさつに立った。この日も衆院予算委員会では、森友学園の籠池泰典理事長への証人喚問に関する質疑応答が行われ、石破氏も予算委員として国会に出席した後、会の始まる直前に会場に現れた。石破氏は昨年、一昨年もこの国家晩餐祈祷会に招かれ、3度目のあいさつとなる。

「皆さま、こんばんは。自民党衆議院議員の石破でございます。今朝も6時から働いておるのですが、まだ仕事が終わっておらず、先にごあいさつさせていただく失礼をお許しください。

私は4代目のクリスチャンになります。曽祖父・金森通倫(みちとも)が1857年生まれで、私とちょうど100歳違うのでありますが、熊本バンドの一員として新島襄先生に弟子入りをして、一番弟子と言われておって、新島先生が病に倒れられた後、同志社の総長代理となったらしい。見たわけではないが(笑い)。その時に新島先生が遺言の中で、『金森通倫を後継者とするに自分は全く反対はしない。彼は事務に精通し、才気あふれる者であるが、惜しむらくは徳に欠けるところがあるので、残念に思う』と。何か私のことを言われているような気もしないではないが(笑い)。

それから幾つかの教会の牧師を務め、『米国のキリスト教は間違っているのだ』と言って米国に行ってキリスト教の伝道をし、何万人かを受洗させたという記録があります。最後は日本に帰ってきて、葉山の洞窟で暮らしておったという、よく分からない人なのでありますが(笑い)、それから数えて私が4代目ということに相成ります。

私が一番真面目に聖書を学んでいたのは、高校3年生の時に教会学校の臨時雇い教師になりまして、子どもたちに教えなきゃいかんということで、その時は聖書をよく勉強しました。私は所属が日本基督教団鳥取教会なのですが、中学卒業後、東京に来てからは日本キリスト教会の世田谷伝道所(現在の世田谷千歳教会)に通っておりました。同じ高校生できれいな女の子がいて、その子に気に入られたい一心でというところが全くなかったとは申しませんが(笑い)、一生懸命、聖書を勉強致しました。

旧約聖書は大部で難しいのですが、ルカによる福音書はとても好きで、よく読んだことを覚えております。放蕩(ほうとう)息子の話・・・まさしく自分そのものである。あるいは、金持ちとラザロのたとえ・・・自分の中に金持ちが間違いなくいるのだ。そして、パリサイ人と取税人の話・・・自分の中にも間違いなくパリサイ人はいるのだと思ったことをよく覚えています。今もそうであります。

最近は賛美歌が変わっちゃったらしくて、よく分かりませんが、当時も好きで、今も好きなのは、『讃美歌』(1954年)の7番と191番で、私の愛唱歌なのであります。7番というのは『主のみいつとみさかえとを』という歌であります。191番というのは、『いともとうとき』という歌であります。この3節に『数多(さわ)のあらそい み民をさき・・・』とありますが、実際、私ども、毎日こんなことをやっております。政治の世界ってのは、憎悪と怒りと悲しみと嫉妬と、ま、そんな世界でありまして、昨日あたりまさしくそんな感じでありまして、『数多のあらそい み民をさき』だと思います。そして、何が正しくて何が間違っているかは人の知るところではありませんが、『かみはたえざるいのりをきき、なみだにかえて歌をたまわん』、そうであるなと心から信ずる者であります。

私たちは本当に過ち多い者だと思います。私の場合は特にそうだと思っています。ただ、『御心がこの世になりますように』『過ちばかりの私ですが、どうぞこれを正してください』、そして『どうぞ御用のためにお用いください』と祈れることは本当に幸せなことだと思っております。

(頭上に掲げられている横断幕を見上げて)この『世界と日本に平和を!』ということであります。その手段についてはいろんな考え方があります。私は別にテロ等準備罪の宣伝に来たわけではありませんが、あれは一般の方々に間違っても嫌疑が及んだり、捜査の手が及んだりすることのないように、人権を最大限尊重するようにということで、テロ集団というものを対象と致しております。何が最も良い手段なのかは、われわれ愚かな人間に分かることではありません。しかし、自由が守られ、人権が守られ、そして民主主義が尊ばれ、法の支配が貫徹されるためには何ができるか。それぞれが正しいと思うことはあるのだと思います。ただ最も大事なのは・・・ということは私ごときが申し上げることではありませんが、『誤りがあれば正してください』『御用のためにお用いください』という思いをまた皆様方から学ぶことができれば望外の幸せであります。

今日の会が主のご加護のもとに豊かな実りをもたらさんことを心からお祈りして、ごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました」

そして石破氏は拍手の中、会場を後にした。

(後略)



(前略)

「母方の曽祖父が新島襄(クリスチャンの教育者。同志社大を創立)の愛弟子でね。私も母に連れられて幼いころから教会に通い、18歳で洗礼を受けました。浄土宗は父方です。檀家ということで浄光会の会員になっていますが、私自身はクリスチャンです

(中略)

「キリスト教の神です。私たちは唯一神、絶対神という立場です。『八百万の神』という考えは取りません。とはいえ欧米のクリスチャンの政治家とも、私は少し心情が違うと思う」

どういうことか。石破さんは一語一語、思索をまとめ、言葉を絞り出すように話し始めた。

「……宗教は、本当は厳しいものです。私は世俗的な政治家です。こういう仕事では、選挙で神式で必勝祈願をし、クリスマスにはクリスチャンとして祈りをささげ、初詣には神社に行く。本当は良くない。良くないが、さっきも言った通り、欧米キリスト教国の政治家とは違うのだ、と自己弁明をしているんです」

(後略)

石破 茂 衆議院議員 

≪インタビュー≫  聞き手・蛭田有一

(前略)

石破家は四代つづくクリスチャンですね。

母方ですがね。

信仰は政治家・石破 茂にどんな影響を与えていますか。

それはすごくあると思いますよ。

例えば自民党の政策の中で、クリスチャンとして矛盾を感じたことはありますか。

政策的にはそうはありません。それじゃクリスチャンのくせして何故靖国に参拝した、もちろん閣僚になってからは行きませんが、一体あれはなんだとかね。山本七平流に言えば日本教キリスト派みたいなものかも知れませんね。

ギリギリつめれば矛盾するところも一杯出てくるだろうと思います。ただお天道様は見てござると言うけれども、例えば人をどんなにごまかしても、神様だけは絶対にごまかすことはできないわけですよね。

自分がやっていることがどんなに拍手喝采されても、すべて見透かしておられる絶対の神なるものにそれがどう見えるのか、ということをいつも自問自答しています。

我々は一日何回か祈りますが、その時に神様の御用のためにどうぞお用いくださいと、あなたの目からご覧になって誤っていることはどうぞ正し...ないんですよね。自分がやっていることは多分間違いは沢山あるだろうといつも思っている、そういうことなんだろうと思います。

常に初心を維持するには必要なことだと。

そうだと思いますね。それでも自信過剰とか思い上がりみたいなことは一杯あるでしょうけどね。うん、あると思いますよ。

私は四代目ということもあるし、ものごころつく前からキリスト教的環境の中で育ったので、そういう神聖なるものが世の中にないと思っている人の気持ちがよく分からない。そういう恐ろしい考えができることが信じられない。仏様でもいいんです。八百万の神でもなんでもいいんだけれども、人間を超えた絶対のものが
あるということを信じない人が多いですよね。
逆に私から言わせると、そういう気持ちがよく分からないところはあります。

(後略)

金森は自分の子の名前をつける際に太郎、次郎、五郎、九郎とつけました。太郎は官立大学を出て役人になり、県知事も務めました。太郎の娘、和子さんは鳥取の石破二朗と結婚しました。石破二朗は鳥取県知事を務めた人で、後に自治大臣もしておりました。この石破夫妻の息子が自民党の幹事長、石破茂氏です。集団的自衛権のことで毎日のようにテレビに出ています。石破茂氏の曽祖父が金森通倫にあたるわけです。石破茂氏は鳥取教会で洗礼を受けたクリスチャンです。


八重の桜

新島八重(にいじま やえ)   演:綾瀬はるか
新島襄 (にいじま じょう)  演:オダギリジョー
金森通倫(かなもり みちとも) 演:柄本時生




田中先生は、「誰が参議院に出ろと言った、衆議院だ!」と仰った。「再来年は衆参ダブル選だ、その時はお前も26だろう!」、そして、「いいか!」と言って机をバシーンと叩くのです。

「この日本で起こることは全てこの目白で決めるんだ、分かったか!」

これはすごかったね。私も24のあんちゃんだから、たじろいでいるとさらに、

「君は自分さえ良ければそれでいいのか!君の父親は県知事15年、参議院議員7年。君が跡を継がなかったら、これまで応援してくれた地元の人に申し訳ないと思わないのか!」

そうまくしたてられ、「考えさせてください」と答えるのが精一杯でした。

田中先生がいなかったら、私は間違いなく政治家にはならなかった。それは100%言える。今頃、あの世で父と田中先生はどんな話をしているのかなぁ……。

自民党田中派の事務局に勤務していた頃の石破氏。右は田中角栄元首相=石破氏の事務所提供

ロッキード事件の最中、「丸紅」勤務の彼女と結婚

1983年はまた、私が結婚した年でもあります。ここで結婚にまつわる角栄先生とのエピソードもご紹介しておきましょう。

木曜クラブの事務所に入ってしばらく経ったころ、角栄先生に呼ばれて、こんなお話をいただきました。

「君には嫁がいないじゃないか。そしてそもそも君のうちには金がない。ついては、新潟の建設関係のお嬢さんで、いいのがいる」

これには慌てました。私には、どうしても結婚したいと思いながら付き合っている人がいたからです。ものすごくご機嫌を損ねるだろうと思いましたが、言わないわけにはいきません。

「も、申し訳ありません。じ、実は、大学の同級生で一緒になりたいと思っている人がおりまして」

角栄先生は、へー? という顔をして、詰めてきました。

「何だ、それは。どこに勤めているんだ」

ここで私は窮地に立ちました。彼女の勤め先は、あのロッキード事件の渦中にあった丸紅だったからです。「商社です」とごまかそうかと一瞬思いましたが、この先それで通しきれるはずもありません。仕方なく、さらに小さくなりながら、正対してきちんと(いえ、もしかしたら逃げ腰だったかもしれませんが)「ま、丸紅です」と答えました。

「馬鹿者」から表情が一変

角栄先生は一言、「馬鹿者」と仰って、激高しそうな様子をみせたのですが、ふと、考え直すようなそぶりで、「待て、その子の親はどこの出身だ」と聞いてこられたのです。私は心中、快哉を叫びました。彼女のお父上の出身は新潟だったからです。

おそらくかなりの得意顔で私が「ご出身は新潟です」と答えると、先生は急に柔和な感じに戻られ、「そうか、それならいい」と言ってくださいました。

その後、私は無事にその彼女と結婚できることになり、結婚式は83年9月22日、ホテルニューオータニで挙げることになりました。

披露宴会場を沸かせた田中角栄の「伝説のスピーチ」

20日後にはロッキード事件1審判決があるという日程でしたが、角栄先生は私の親代わりということで、ずっと母の横に立って来客に立礼をしてくださいました。

実は私たちは、角栄先生に仲人をお願いしました。すると角栄先生は「何を言っているんだ。お前にはもう、親父がいないじゃないか。俺は、お前の親父さんの代わりにお前のお袋さんの横に立ってやりたいんだ」と言われました。私も父と角栄先生の深い絆を見てきて、そうしていただくことが、天上の父にとっては何よりも有り難いことだろう、と思い、改めて親代わりをお願いしたのでした。

今振り返っても分不相応な、盛大な披露宴でした。角栄先生が親代わりで、主賓が当時蔵相を務めておられた竹下登先生でした。

妻の職場は丸紅でしたから、角栄先生が出席される結婚式に一体誰を招待したらいいか、相当議論があったようです。来てくださった丸紅関係者の皆さんは、角栄先生がスピーチで一体何を話されるのか、戦々恐々としていました。角栄先生は、先ほどの私とのエピソードをスピーチに織り交ぜてお話しになりました。

「石破君にはもう決まった女性がいるという。誰だと聞いたら『丸紅の女性』だと。何っ? 丸紅? しかし、丸紅はいい会社だ。うん、私のことがなければもっといい会社だ」

これは会場を大いに沸かせ、丸紅の皆さんからも笑顔が見えました。角栄先生のすごさが垣間見えるスピーチでした。

角栄先生の演説は天才的でしたが、忘れられないのが私の結婚式でのスピーチ。議員になる前でしたが、角栄先生に親代わりとしてご挨拶いただいたのです。

ちょうどロッキード一審判決の2週間前で、しかもウチの奥さんは丸紅の出身だったので、丸紅の方たちは恐怖に震えている。その前で先生はこう話すんです。

「石破君が嫁を貰うというじゃないですか。どこの女だっていうと、皆さん、丸紅だっていうじゃないですか。あの丸紅か!」

会場の“凍りつき”が頂点に達したところで、こう続けました。

「丸紅はいい会社だ。私のことがなければ、もっといい会社だった」

それで一同、ドッと沸く。天才ですよ。

そんな角栄の弱い立場の人たちへの心配りについて石破茂の父 二朗はこう語っていたという。

「お前たちは田中を知らんのだ」と。「あの人の親切は特別なんだ」っていうね。

その… なんだろう…。報いを求めない親切心っていうのかな…。それが田中さんの本質だって事をうちの父は言ってましたがね。

どんなにお金を持っててもどんなに権力を持ってても人の痛みがわからない人っているじゃないですか。田中先生はそうじゃなかったと思いますね。

数ある角栄の名言集の中に必ず出てくる言葉がある。

父 石破二朗は亡くなったが角栄は 父との約束どおりに葬儀委員長を務めてくれたという。

その葬儀のあと当時は 銀行に勤めていた石破に角栄は いきなりこう切り出したという。

「次はお前だ!」。

「はあ… いやいや しかし私は そんな…政治家になろうと思った事もありませんし…」

とかなんとか言ったら

「何を言うんだ 君!君は やらないと言うのか!?」。「銀行員として幸せに生きたいと言ってるのか!?」。

とか言い始めて…。

今でも ありありと覚えていますけどね。机をバーンと叩いて…。

「わかったか?」

って、本当におっしゃったからね。もう 24歳の私はひたすら 圧倒されましたね。…で こんな事になってるんですけどね。

田中角栄は石破の結婚式には父親代わりとして出席したという。新婦は 新潟出身でなんと丸紅の社員。丸紅は ロッキード事件での贈賄側の被告がいる会社だった。

この時の角栄のあいさつとは…?

「皆さん 聞いたら彼女は丸紅っていうじゃないですか」。「うん 丸紅はいい会社だ」。「私の事がなければもっといい会社だった」。

ドドドドドッと沸いて。

「皆さん 親は新潟っていうじゃないですか」。「もう 私は 即座に この結婚を認めたのであります」

って、会場は 大沸きに沸くわけですね。すごいなと思いましたよ。スピーチの天才。

絶妙なあいさつで会場を沸かせた角栄。その人間的魅力は衰えを知らなかった。

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