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映画「かがみの孤城」を観たんです
いつものように、原作もベストセラーだと言うのに内容は劇場で見る予告編だけで詳しくチェックもせず、観てまいりました。
映画「かがみの孤城」
号泣を抑えつつ、泣いた!危なかった。家で観てたら号泣してた。
以下、ネタバレ含みます。
まあ、全ては虐められた経験があったから余計にねってところかもしれない。
今思うと不登校にならなかったのが不思議なんだけどね。ワタクシの場合は、ワタクシの異変に気づいた母親が学校に乗り込んでくれた。それで、何となく有耶無耶な感じではあったが、イジメは終わった。でも、それからも加害者たちはいるわけで…。ツラかった…。
子供の頃のイジメって、こんな風におばばになっても消えないんですよ。そして、ある種のトラウマとして残る。
そして、虐めてる側は虐めてる意識はないんだろうな…と思うわけです。
虐めてる意識はがない…「気に入らない」「うざい」。ただそれだけだから。
今のSNSの誹謗中傷と同じ心理状態。
気をつけよう。「気に入らない」「うざい」からイジメは始まる。
さて、映画の方はと言うと
直木賞作家・辻村深月による本屋大賞受賞作を劇場アニメ化。学校に居場所がなく閉塞(へいそく)感を抱える少女が、ある日突然鏡の中の不思議な世界に迷い込み、そこで出会った6人の中学生たちと共に冒険する。
中学生のこころは学校に居場所がなく、部屋に閉じこもる日々を送っていた。ある日突然、部屋の鏡が光を放ち、吸い込まれるように中へ入ると城のような建物があり、そこには見知らぬ6人の中学生がいた。さらに「オオカミさま」と呼ばれるオオカミの仮面をかぶった少女が現れ、城のどこかに隠された鍵を見つけたらどんな願いでもかなえると告げる。7人は戸惑いながらも協力して鍵を探すうちに、互いの抱える事情が明らかになり、徐々に心を通わせていく。
正直、最初のうちは、ちょっと古いタイプのアニメかな?と言う気がした。特に狼のお面をつけたオオカミ様の動きとか…。ちょっと3DアニメとかCGアニメに慣れてくると、CGアニメなんだろうけれど、この映画は動きが遅い?
話が進むにつれ、そんな事は気にならなくなり、イジメの数々が描かれていくと涙が止まらなくなっていった。
今思い出した。先ほど、
「気に入らない」「うざい」からイジメは始まる。
と書いたけれど、映画の中でも、ちょっとぷくぷくした嬉野くんが女の子たちに好き好きアピールをして、ママの作ったクッキーを配るのを見て、年長のアキはちょっとウザいと思うシーンが出てくる。
そうなのだ。自分も虐められているのに、人は誰かを「うざい」と思ってしまうのだ。
だからこそ、気をつけないといけない。
イジメにおいて、加害者になるのと、被害者になるのは紙一重なのかもしれない。
映画の中では、そのシーンでの嬉野くんの気持ちはそんなに描かれていない。でも、傷ついているに違いない。
虐められていると、些細な事ですら引っかかってしまう可能性もある。
映画の中での別のエピソードとして、1日だけ登校した主人公のこころが靴箱のところで同級生で近所の萌ちゃんに会った時、萌ちゃんが無視をした事に傷つくと言うものがある。
(後で、萌ちゃんも突然こころが登校していて驚いてしまったためとわかり、和解する。)
嫌い合っていないふたりなのに、第三者からのイジメが原因で、ちょっとした事で隔たってしまうのだ。
特に子供の頃は学校と家だけが全てだから。小さな世界。大人になれば、もっと世界は広がり、嫌な事も増えるけれど、良い事も増え、自己肯定が増していく。
年度末変わりで引っ越してしまう萌ちゃんも言う。(台詞は正確でないですが、)
「たかが学校」
「自分はもうハブられることを気にしない。たかが学校」と。それを聞いて、こころは驚く。そうか、起こっているイジメは学校と言う小さな世界の中だけだと。
そう言う点では、
不登校でも良いじゃないかとも思う。
転校できるなら転校すれば良いし、
フリースクールでも良い。
ただ、引き篭もりでなく、なるべく外に出る方が良いと思う。
(但し、ワタクシはあの某不登校少年と彼の父親の言動には賛成できませぬ。あ、話がそれました。)
兎に角、
学校だけでなく、どこかに居場所を見つける事が大切だと思う。ワタクシにとっては、家だったのかもしれない。しかし、家にも居場所がない時、悲劇は起こりがちとなる。映画の中でもアキのケースとして描かれている。そして、ストーリーは怒涛のクライマックスに向かっていき、多くの伏線が回収されていく。見事なり。
そして、この作品の重要な点のひとつは、イジメは無くならないが、大人の中には虐められている子に寄り添う人はいると言うことを描いている事だと思う。
映画の中で描かれている7人に起こった事は、日本中、世界中の子供たちに起こっている事かもしれない。それだけに、ツラい。なぜ、そんな思いをしなくても良い子供たちが…。そう思うとツラい。
子供は皆幸せになるべきなのだ。幸せになる事を、別の誰かが邪魔してはいけない。
最後に言いたい事がある。
ワタクシの場合は、自分に悪いところがあったかもしれないが、
他の虐められている子は誰も悪くない。
虐める方が悪いのだ、どこかおかしいのだ。
コレはかの「ミステリと言う勿れ」の主人公・久能整も言っている。
漫画「3月のライオン」でも加害者側の意識の問題を描き出している。
イジメ問題を討論される時、もっとこの点を討論すべきだと思う。
「気に入らない」「うざい」からイジメは始まる。
何度でも言おう。
ただ「気に入らない」「ウザイ」と言う些細な気持ちからイジメは始まるのだ。映画の中では「バッカみたい」と言う台詞だった。
そう思ってしまう心理状態にこそ、問題がある。不満を抱えている。誰かに当たらないとやっていけない。何と哀しいことか。イジメの加害者は幸せではない。しかし、だからと言って別の誰かを虐めていい理由にはならない。他人を巻き込んではいけない。
さて、この映画を見終わった後、最後のシーンを疑問を持った観客が多かったのか、不登校・イジメと言うテーマだったからか、観客はいつも以上に映画について話し合っていて、なかなか立ち去ろうとしない。エスカレーターに乗っていても、出口に向かいながらも、誰もが映画について話し合っている。終わって直ぐに話したいのだ。
この光景はいつ見ても嬉しい。