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「岐路」

10年前、19歳だった僕は岐路に立っていた。

進学校であったため多くは進学の道へ。
僕は音楽をやると決めて進学は絶った。

それが18歳のこと。
今でもあの葛藤や迷いは鮮明に覚えている。

春が来て19歳になった。
東日本大震災から一ヵ月ほど経過し、まだ日本は揺れていた。

富士山北麓、河口湖町のキャンプ場でボランティアを募っているというラジオからの情報を当時母が車で聴き入れ、僕と弟に行ってきたらどうかと提案する。

僕らは時間もあったし、即電話し、現地へと向かった。

そこでは主に福島の原発から避難してきた家族や子どもを受け入れていた。
貴賤を問わず、本当にあらゆる人がボランティアに来ていた。

僕は住み込みで長くいたので、そのほとんどの人たちと焚火を囲んだ。

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被災した方々からは多くの苦しみや悲しみを耳にした。子どもはほとんどが明るかった。

福島から1番に避難してきて、ゆくゆくはそこのキャンプ場に勤めることになる代表の方が、数ヶ月経った頃、

"この災害は千年に一度と言われているけど
それならこの出逢いも千年に一度だ。"

と言っていた。

震災のせいで失われた関係、別れ別れになった家族、失った友達、親、子ども、犬、猫、牛、豚、生きる希望。

海水は引いてもそれらの悲しみは容易には引かない。

千年に一度あるかないかの多くの出逢いもここに生まれたと言うその言葉は
その時の僕にはとても素敵に聴こえ、同時にとても複雑だった。

そんなことは百も二百も承知で、住む土地も家も失った当事者が放ったその言葉は、10年経った今でも響き続けている。

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2011年、僕が過ごした河口湖に
2021年、僕はまた通うことになった。
よく知れた土地だが気持ちは違う。

巡り合わせとは本当に妙なものだ。

あの時選ばなかった道の行く末は誰にも知ることができない。
あの時選んだ道が正しかったのかは誰にもわからない。

でも今僕が幸せであるということは、合っていたのかもしれない。

もしくは僕はどちらを選んでも、こっちに来てよかったと思える性格なのかもしれない。

その渦中にいるときは惑いながらでも、時が経てばすべての過去を肯定できるようになっていく。

名を残す冒険家は人一倍慎重だという。
生き残るためには橋の強度もわからずに飛び乗ってはいけない。

石橋をよく叩くタイプだと言われたことがある。

僕の知っている、幸せそうな人たちは、破天荒な意思決定をしているように見えて、実はとても保守的なマインドを隠し持っていたりする。それがバランスというもの。

フルタイムで仕事をしながら数年間続けてきた音楽に、
先月の「越境森林」で一幕降りた気がしたのも束の間、翌週のライブでまたスイッチが入り、そこから結局毎週のように演っている。

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フルタイム会社員でクリエイティブなことをやり続けるにはとても工夫がいる。
SNSだけを見ていた会社の人からは、僕が仕事を辞めたと思ったらしい。

そんな時期もある。
しかしここのところ曲が生まれていない。
これは僕の充実感や生き甲斐にとって、由々しきことで
お金は必要だがそれよりももっと大事なことだ。

正直、原因は仕事ばかりでもないとわかっている。
が、
これまで何度音楽メインに絞りたいと思ったことだろう。
これは理想だ。

僕はまだ音楽で食べられない。
なのか、
まだ音楽で食べられるかどうかの実験ができない。
なのか。
簡単な算盤はじきの果てに、別にレーベルや事務所がなくても、毎日なにかしてれば暮らしていけるようにはなるんじゃないかと、思うときがある。

冒険家はここで注意を促す。

"一つに絞るのは、収入が約束されてからの方がいい。
でないと結局やりたくない活動もしながらやりたいことをやる。ということになる。
それでは今とあまり変わらないではないか。"

たしかに今はお金のことをあまり気にせず、作りたいものを作れる環境だ。

冒険家はこうも言う。

"踏み出せば、変わっていく景色がある。これまでもそうであったように、変化は新しい選択肢を自然に与えてくれる。
前も後ろもないのだから、今まで向けてきた方角と違う方へ、足を進めてみるのもありだ。
何を始めるときも不安はあっただろう。そんなものは消えっこないんだから、抱きながらいざ進路変更だ。

君はどこに辿り着きたいんだ?"

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たしかにこれまでもそうであった。
しかし今の僕は、深さのわからない海にダイブすることはしないだろう。
詳しいことは言及しないから誰にもわからないだろうけど
そういう進み方を選ぶ理由があるのだ。

もどかしく、カッコ悪い冒険家の方が、
歴史に名を残すこともある。

歴史に残らない勇敢な人生も魅力的だけどね。

しかしながら、このままの活動量とスタイルで、いきなり音楽の扉が開けるとは思えなくなるときもあり、
そんなに不満のない会社に勤め続け、出世して、休日に好きなことをするみたいな人生で満足できるのかな、
と思うことは以前より増した。
やってみたいと思えることがあるのは楽しい。
実現できるといい。

この安定を手放す度胸がないし、もう少し努力と工夫が必要だろうか。

あれから10年目の今、また僕は岐路に立っている。



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土橋 悠宇(dobashi yuma)
ありがとうございます。アルバム次回作の制作予算に充てさせていただきます!