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一歩、踏み出してみよう! 〜4回の転職経験から〜

こんばんは! noteデビュー3日目の dnkspitz(ダンスクスピッツ)です。

自分の転職歴を書いて、何がおもろいねんと思ったのですが、今日は、私の転職歴を書きます。

今の仕事に不安や疑問が渦巻いていたり、毎日、色々と悩んだりしている人、結構、多いのではないかな……

私の書くことが、ほんの少しでもヒントになればと思い、書いてみようと思った次第です。

ちょっと長い文章になりそうだけれど、思うままに書きます。

私は、57歳のおっさんです。これまで、4回、転職しました。

1社目のお仕事

大学の土木工学科を卒業後、橋梁メーカーの設計部に就職しました。橋梁メーカーと言っても、皆さん、馴染みがないと思いますが、橋やビルなどの鋼構造物を作る会社です。私が入社した頃は、瀬戸大橋(明石・鳴門ルートの大鳴門橋、児島・坂出ルートの南備讃瀬戸大橋・北備讃瀬戸大橋、尾道・今治ルートの因島大橋・大三島橋など)の設計・工事の最盛期でした。

私の所属は、設計3課というところで、コンピュータを使った構造解析・設計関連のシステムを開発したり、開発したシステムを使って計算サービス(今でいうところのクラウドサービスかな)を外販したりしている部署です。

私は、毎日、先輩の解析のお手伝いをしたり、橋梁の部品の設計図を作図するシステムの入力インターフェースプログラムを開発したり、橋梁の材料を計算するシステムを開発したり、そのシステムを瀬戸大橋で運用するお手伝いをしたり、まぁ、色々なことを経験させていただきました。

私は、土木工学科出身なので、橋梁メーカーに就職したのですが、大学時代のアルバイトでは、夢の中でコーディングしてバグが解決できてしまう経験を繰り返ししていたこともあり(→これ、本当です)、プログラミング大好き人間でした。

学生時代のアルバイトでは、未だ日本にはパソコンが無かったので、最初はオフコン(CP/M)や、輸入した米国製の世界初パソコンで英語のマニュアルを読みながら悪戦苦闘して学びました。しばらくすると、NECのPCXXXXなどが出てきましたので、それも使い倒しましたが……

そういう経験をしてから、橋梁メーカーに入社したこともあり、もっと、もっとコンピュータ、システム開発を学びたいという気持ちが膨らんでしまいました。

ところが、当然なのですが、入社したのはコンピュータメーカーではないので、なかなか、思う仕事ができません。 選んだ会社、間違ってるやないか…… という話です。

でも、石の上にも3年です。とにかく3年は頑張ってみようと思い、仕事に没頭する毎日でした。気がつくと、4年目、5年目になっていました。

コンピュータシステムの開発を学びたいという思いは消えることがなく、橋梁メーカーの仕事をしながら、コンピュータの勉強も続けていました。

とうとう、コンピュータを使いたい気持ちが勝ってしまい、せっかくの人生だから、やりたいことをやろう!と決意し、外資系コンピュータメーカーに転職しました。

大学を出て1年後に結婚し、1回目の転職時には、2人目の子どもが家内のお腹の中にいたので、転職に失敗したら、まずいよな。とは思ったのですが、アホなんですよね。勢いだけで転職しました。

ここで学んだことは、

ひたすら頑張る大切さ。先輩のありがたさ。自分を信じること。でした。

2社目のお仕事

まぁ、勢いだけで外資系コンピューターメーカーに入ったので、自分の能力の無さにショックを受けました。周囲はコンピュータおたくばかりでしたから……

1社目の会社は大正時代に設立した社訓が「和」という日本の古き良き会社でしたので、外資系のメーカーに転職するということは、ここは宇宙か?というくらいカルチャーショックを受けました。

この世界で頑張れるのか?不安がよぎります。

まぁ、心配してもどうなるわけでもなく、ただただ頑張るしかないので(→ 自分を無理やりそういう環境に置いてしまうという荒業ですが、これ大切)、とにかく勉強し続けて、死ぬほど働きました。

こういう表現をすると、ブラックと言われそうですね。まぁ、事実、辞める前の数年間はブラックな働き方だったと思います。でも、経験したこと、身についたことは、私の大切な財産になりました。

14年間、働いたのですが、その間、様々な経験を積みました。また、別の機会に経験談を書きたいと思いますが、少しだけ。

「顧客の本社のIBMホスト、日本全国の支店・営業所のミニコン(80台)、そして、その下に繋がるMacintosh SE 数百台を連携させる仕組み」を開発しました。私は、このマシン間のデータを集配信するバックエンドシステムの開発を担当しました。

日米欧を国際専用回線で結び、医薬品の副作用の情報を交換するシステムの開発。当時はインターネットなど無かったので、専用回線を使いました。(あるにはありましたが、世界の主要な大学間で使われている程度です)

その他、色々、開発しましたが、いずれのシステムも、稼働した時には涙が出ました。プロジェクトチームを組んで、とにかく考えて、悩んで、開発して、お客様と交渉して、謝って、そんな毎日でした。

14年の間、合併が2回あり、大きなリストラを何度か経験しながら生き延びました。ボーナスがゼロの年があったり、ストックオプションがつくこともあったり、ジェットコースターのような毎日でしたが、気がつくと、40歳の手前で部長になっていました。

ここで、思ったのです。

収入は増えたけれど、こんな人生で良いのか… 一体、何がしたいのか、したかったのか… とりあえず、辞めて、落ち着いてから考えようと思いました。

まぁ、この考え方もどうかなと思いますが、とにかく、働きすぎたので、疲れていたのだと思います。

ここで学んだことは、

ひたすら頑張る大切さ。同僚・部下のありがたさ。技術。自分を信じること。でした。

3社目のお仕事

この時点で40歳です。さぁ、どうするかな……
最初に行ったことは、アルトサックスを習いにいくことでした。なんのこっちゃでしょ!

とにかく、頭をリセットしないとと思ったので、ヤマハに習いに行って、近くの高架下で吹いてみたいなことをしました。

でも、こんなことを続けていると、食べていけなくなるので、転職活動を開始しました。ベンチャー企業の面接を受けたりしましたが、どうも、しっくりこなかったので、ゆっくり考えてました。

すると、前職の同じ時期に辞めた同僚が先に入った国内のIT企業に、おまえもこないか?と誘ってくれました。

最初は、行く気が全くなかったのですが、好きなことできるかもよ。と何度もラブコールをくれたこともあり、まぁ、今までの経験が活かせるならばと、転職したのでした。

そこでは、今まで経験したことのないことばかりでしたが、非常に多くのことを学びました。

製薬会社を100社訪問したり、セミナーを企画したり、プレゼンしまくったり、業界の研究会に入ったり、新しいサービスを企画開発したり、若手の部下を育てたり、知人・前職でのお客様を社員として入っていただいたり、米オラクルとある製品の共同開発を行ったり、インド人と色々と画策したり、ある外資系製薬企業のリストラプランの立案コンサルテーションを行ったり、本を出版したり、まぁ、何でもやりました。

ここで学んだことは、

ひたすら頑張る大切さ。お客様のありがたさ。協力会社のありがたさ。営業の難しさ。自分を信じること。でした。

4社目のお仕事

この時点で50歳です。会社の中でも、思うように自分のアイデアが実現できないもどかしさを感じていたこともあり、さぁ、どうしようか……

ここで、これまでの経験を振り返りました。何が得意技か?

・システムを作る技術力
・顧客業務の理解力
・マネージメント力
・企画力

まぁ、この合せ技かなと思ったのです。

「システムを作る技術力」は1社目の会社から、ずっと考えていて、意識し続けていました。

「顧客業務の理解力」は2社目の外資系コンピュータメーカーの時代に、その力が無かったので、いつか学びたいと思っていたことでした。3社目の会社で学ぶチャンスを自ら作れそうだったので、転職した結果、学べました。

マネージメントは、本当は好きではないのですが、2社目、3社目で、もうこれ以上したくないというところまで経験したと思います。なので、自然と身についていました。まぁ、これに関しては、悩むことばかりでしたが…

企画力は、私自身、二番煎じが嫌いな人間なので、1社目の会社にいる時から、いつも新しいこと、誰もやっていないこと、みんながあっと驚くことばかり考え、それを実現したいがために頑張ってきたこともあり、まぁまぁできるかなと思えるようになっていました。

3社目の会社で、主に大手企業がお客様だったので、今度は、自分のあるアイデアで、主に中堅企業のお客様に喜んでいただけないかと考えました。

このあるアイデアというのは、3社目に勤務している間に、少しずつ温めていたアイデアです。

3社目の会社で、このアイデアを実現しようとしていたのですが、色々なことがあって、実現できずにいました。

色々と調べると、このアイデアを実現できる会社が世の中に無さそうだったので、無いなら作ればいいや。と考え、会社を作ることにしました。

しかし、作るといっても、ド素人なので、困った困った。ということで、前職の同僚と前々職の先輩に相談したら、俺の働いている会社に来ない?ということで、誘っていただきました。

結果的に、その会社では、1年程度でしたが、このアイデアを立ち上げるための時間として使わせていただきました。

ここで学んだことは、

ひたすら頑張る大切さ。同僚のありがたさ。先輩のありがたさ。自分を信じること。でした。

5社目のお仕事

5社目は、4社目で温めていたアイデアを実行するための会社を設立し、そこで働くことになりました。

まぁ、自分のアイデアを実行したいので、出資していただけないかな?と3社目でお付き合いさせていただいていた協力会社と4社目の会社にお願いしたのです。

結果、先輩に社長になっていただき、会社が設立できたのです。

今は、この会社で、人工知能を使った仕組みを企画して、開発してます。
人工知能には未来がありそうです!

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ま・と・め

ひたすら頑張って、部下、同僚、先輩、お客様に助けられて、思いを持ち続けて、自分を信じて、ひたすら頑張る。

それと、世の中の動きに敏感になることかな……

では、また。

dnkspitz

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