ワタクシごとの読書
あなたは、本を読むことが好きですか?
「読みたいのに、長文は読めない」
「本一冊丸々読もうと思うと、プレッシャーを感じる」
といった声も聞こえます。
読みたいのに読めない、といった方が多いようです。
本を読めないのは、
あなたのせいではないかもしれません。
ひとは何のために読書をするのか、
3つの言葉を使ってお話したいと思います。
先人が伝える「古いものを学べ」
「温故知新」「稽古」「学び」
古くから伝わる3つの言葉があります。
いずれも何気なく使っている言葉ですが
由来や本来の意味をご存じでしょうか?
温故知新
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」
と読みます。
知っているひとも多いと思いますが、念のため。
古い事例を調べて新しい知識を得る、
が直接の意味です。
しかし、穿った読み方をするなら、
「昔のひとも現代人もすることに大差はないから
そもそもの原典にあたれ」
ともなるでしょう。
一次資料や原典を調べるのは学問の基本です。
稽古
日常的には、ピアノのお稽古、ダンスのお稽古
という使い方をしますね。
しかし、漢字自体の意味については
あまり知られていないようです。
言葉のなかに「古」の文字があります。
稽古は、これで「いにしえを考える」と読みくだします。
ピアノにしろ、ダンスにしろ、
練習する際は、古いこと、
すなわち先人の積みあげてきた知識やノウハウに
学びなさいという意味です。
勉強するときは古い知識にあたりなさい、
の温故知新と似ていますね。
学び
ところで、学習すること・勉強することを
「学び」とも言いますが、
この言葉、もともとは「真似び」に由来します。
先人の知識や経験を踏襲すること、
「まね」することが、すなわち「まな」ぶことだというのです。
世阿弥『花伝書』に記された
守破離の「守」は「型を守る」の意味ですが、
型を守るとは型を真似ることの言い換えにほかなりません。
さて、ここまで三つ挙げてきた
「温故知新」「稽古」「学び」
表現はそれぞれですが、いずれにも
古いものを学べ、
という点において共通しています。
ひとは行き詰まった時に本から学ぼうとする
読書はおおまかに、
娯楽で読む場合と勉強で読む場合に大別されるでしょう。
この後者、勉強で読む場合とは、
現実生活のなかで自分が行き詰まってしまったとき、
もしくは行き詰まりそうだと予感するときに生じる姿勢です。
新聞を読み、あれが問題だ、これが問題だと
評論することから興味をもち、
本を買って読むこともあるでしょう。
しかし、ひとにとって
本質的に学習意欲が高まるのは、
ワタクシごとにおいて切実な問題が発生した場合です。
遠い国の戦争よりも、
仕事で資格の取得を迫られたときなどに、
ひとの学習に対するモチベーションは高まります。
自分にとって読書が「学習のために必要」だと感じ
他人事ではない、本人事の読書が始まります。
本は「過去」の知識や経験を記したもの。
だから、ひとは学ぼうとしたとき、本を読みます。
過去に生きた人びとの考え方に触れようとするわけです。
ですから、なかなか本を読む気になれないひとは、
自分を責める必要はないのです。
本に興味がないから読めないのではなく
本を心の底から必要とする「現実生活の問題」に
まだ出会っていないのかもしれません。
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