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自分の本心をさらけ出して文章にする難しさ

自分の心の奥底で思っていることを、文章に書き出すのは本当に難しい。


「いーや、俺は素直に気持ちを簡単に書けるよ。」と自信をもって言える人がいるのであれば、素直に尊敬する。


それらを「言葉」で表すのが難しいという意味ではなく、純粋に人はなかなか正直に慣れないものだと改めてnoteを毎日書いていく中で実感している。

100%他のことを意識していないのか

ネット上に公開する以上は、気にしてないと思っても潜在的に読み手を意識してしまってちょっとかっこよく書こうとしてしまっているのではないか。

または、未来の自分が読むことを意識してしまっているのではないのか。

もしくは「自分はこんなことは思ってないハズだ」といった類のプライドや価値観が邪魔をしているのではないか。


もちろん、これらを意識した文章を否定しているわけでも、悪いといっているわけでもない。

文章を書くからには読み手を意識するのは当然であるし、自分は多少なりとも読んで欲しいという感情があるからこそネット上に公開している。


ただ、本当に純度100%の自分の気持ちを書くことが難しいということが言いたい。

チラシの裏に書くのでも同じ

これらはネット上に文章を書く場合だけに限った話ではない。


例えば、就活の時には『絶対内定』という有名な本を用いて自己分析を行なった。それはそれはかなりの時間を要するもので、1ヶ月やそこらでは終わらない程度の分量だった。

過去の家族との関係や小学生時代の辛かった思い出まで素直に書け、と言われる。心のどこかで嘘を着いてしまうから、何度も何度も書き直せ、とも言われる。


そこで書き出したものは誰かに見せるものではないし、書き終わったら破り捨ててしまえば誰の目にも届かない。

それでもなお、100%正直に書くことは難しかったのを覚えている。

「こういう長所だろうけど、これを活かせる仕事は〇〇になってしまう」
「こんな過去があったとは思いたくない」
「あの時はこう考えていたに違いない」

などといった考えが、潜在的にほんの少しだけだとしても邪魔してくる。

だからこそ、就活の時は何回も何回も「これは本当なんだろうな?何も意識してないんだろうな?」と自問自答しながら繰り返し行なった。


本心を書き出すには訓練が必要だ

やはり、就活の時は何度も何度も行なったからおそらく本当の自分の本心にある程度は辿り着くことができた。

筋トレと同じで、おそらく何度も何度も自問自答し、繰り返し書き続けることが重要なのだろう。



その意味では、そういった部分も含めて毎日noteを書き続けるというのは意味があるかもしれない。正直になる訓練の意味も込めて。


noteを書く新しい理由に気づけた。たまにはかっこつけたことを書くのもいいけど、少しづつ文章にできるように頑張ろう。


だからこそ当分は、本名ではなくこの名前を使っていこうと思う。




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