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Over the Rainbow 東アジア反日武装戦線 幻の「虹作戦」と荒川鉄橋

昭和49年8月14日。

この日の東京は晴れ。最高気温は33.5度と記録されている。

子供たちは夏休み真っ只中、大人たちもお盆休み。人々は海へ山へ故郷へと出かける解放的な日々。真夏の晴れた空が広がっていたことだろう。

東京都北区赤羽と埼玉県川口市の間を流れる荒川に、東北本線の荒川橋梁が架かっている。この日、時刻表にない特別列車が鉄橋を通過した。列車は栃木県から東京へ向かい、瀟洒な客車を連結していた。列車は轟音をたてながら何事もなく通過し、荒川河川敷は夏の日差しの中、走り回る子供たちの歓声と、ときおり鉄橋を通過する電車や貨物列車の轟音が響く、夏の日常が続いた。

実は、この日、昭和は49年目で終わることになったのかもしれなかった。

過激化した学生運動の行き詰まりは、新たな潮流を生み出した。その最左翼が東アジア反日武装戦線であった。大道寺将司(北海道釧路市出身、法政大学中退)をリーダーとする「狼」部隊は、前哨戦となるゲリラ事件を繰り返しつつ、反日革命思想の最大の敵、天皇を暗殺するための作戦を立案する。

彼らは訓練を兼ねた山中での野営で、この作戦を練ったという。皇宮警察や各都道府県警選りすぐりの精鋭に守られている目標にアプローチすることは容易ではない。皇居に侵入するか?いや、足を踏み入れた途端に捕まるだけだ。では、目標が皇居の深い森から出てきたところを狙うしかない。しかし、行幸時の警備は厳重だし、へたすれば罪のない一般人を巻き込むことになる。

式典はどうだ。大規模な式典では、ターゲットが壇上に登る。そこを狙えないか?いや、式典も当然ながら警備は厳重で、武器の持ち込みは不可能だし、事前に爆弾を仕掛けることも出来ない。大規模な爆発を起こしたとしても、やはり罪のない人民を巻き込むことになる。

それなら、移動途中を狙おう…しかし経路はわかるのか?また人民を巻き込まないで済むのか。皇居周辺の公道で爆弾を使えば、見物者や通行人も巻き込むことになる。

「ひとつ、ハッキリしていることがある」

狼の兵士の1人は、自信ありげに口を開いた。

8月15日、この日は終戦記念日である。武道館では全国戦没者追悼式が行われ、ターゲットは臨席する。しかし、この時期のターゲットは、必ず那須の御用邸で静養しているため、一時帰京することになるのだ。

「マルテン(彼らはターゲットをこう呼んだ)は、お召し列車に乗って、東北本線経由で那須から原宿の専用ホームに移動するんだ。」

「そうか、その移動中に狙えばいいんだ!」

「うむ。しかも、途中で必ず荒川鉄橋を通る。」

「鉄橋か。それなら爆弾で攻撃しやすいな。人民を巻き込むことも無い。」

「そうだ!鉄橋に爆弾を仕掛け、遠隔で起爆する。お召し列車はマルテンもろとも転覆、どうだ。」

「よし、やろう。作戦名は…」

このとき、彼らの一人が「虹の彼方に」を口ずさんだという。

「虹作戦、でどうだ。虹は架け橋。橋を狙う、新しい時代への架け橋になる作戦だ。」

虹作戦。名称も決まり、彼らの士気は上がったであろう。しかし、ひとつ問題がある。

「でも、国鉄の労働者はどうするの?彼らはお召し列車の乗員とはいえ、人民よ。」

そうだ、お召し列車に乗っているのはターゲット一族と、そのお付きと警護だけではない。機関士、車掌、乗務員。多数の国鉄労働者が乗っている。彼らを巻き込むのか?

このとき、狼内部でどんな討論がなされたのか知らない。一応、国鉄労働者の犠牲について議論はしたと聞いている。その結果は、作戦決行である。つまり国鉄労働者の巻き添えを容認した。後に三菱重工爆破事件を起こし、多くの通行人を含む巻き添えの死者、重傷者を出したとき、犯行声明で「彼らは無関係ではない、植民地人民の血で肥え太る植民者」と規定、巻き添えを正当化したのだか、その萌芽はこのとき既にあったのかもしれない。

ともかく、彼らは入念な準備にとりかかる。彼らは昼間はサラリーマンとしてノンポリの市民を装っているから、準備は全て夜間。徹夜に近い日々が続くことになる。除草剤の成分、塩素酸カリウムを主体とする爆弾を作る。遠隔による起爆装置を試験するが上手くいかないので、有線による起爆に決定する。現場を下見する…。

荒川鉄橋への爆弾設置は困難を極めた。まず、人に見れてはならない。勘づかれてもならない。海に遊びに行く若者の格好をして出かけ、現場で黒装束になる。深夜とはいえ、荒川河川敷は住宅地の中であるから人通りはゼロではない。アベック、アベック目当ての覗き、散歩。彼らから怪しまれないように目立たぬように作業しなければならないし、人がいれば作業は中止する。だから工程通りになかなか進まない。その上、雑草に阻まれ、泥濘もあるだろう。蚊や不快な虫も多いし、暑い!困難の中で起爆の電気信号を送るケーブルを敷設し、目立たないよう土や草で偽装する。橋脚に登り、爆弾を設置する場所までケーブルを這わす。もちろん高所作業だが、安全など配慮してられない。疲労と眠気でフラフラになりながら、この困難な作業を連日、続けた。会社に怪しまれてはならないから、徹夜明けでも元気を装って出勤し、真面目に働かなければならない……。

ここまで苦労して進めた計画は、大詰めを迎えたところで頓挫する。

爆弾を設置する段になり、彼らは妙な複数の人影に追跡されていることに気がついた。その人影はずんぐりした男たち。アベック目当ての覗きか?いや、覗きにしては隠れて覗き見する様子がない。彼らの柔道でもやってそうな体型…

「私服か!?」

狼たちに緊張が走る。この人影を巻くことは出来なかった。作業は出来ないまま朝を迎え、彼らは作戦中止を決断する。

この人影の正体は、今も分からない。堂々とした覗きかもしれないし、私服警官かもしれない。泳がせ捜査(明らかな違法行為に出るまでわざと捕まえず、監視する)や、または計画を察知していて、しかし泳がせてもおきたいから、苦肉の策として作戦を中止させるために警告として姿を現した秘密捜査員かもしれない。あるいは、連日の過酷な作業と緊張に疲れた彼らが見た、集団幻覚かもしれない。

8月14日。

お召し列車は、予定通り、何事もなく荒川橋梁を通過した。昭和49年。恐慌に始まり、戦争と占領を経て経済発展した時代は、まだまだ続いていく。

しかし、もし爆破が成功していたら?

この日、昭和は終わっていたかもしれない。

いや、爆弾はこのとき、爆発できる条件に無く(爆薬が塊状になっていて、粉末でないと爆発しないため)、起爆装置が弾けただけで爆発はしなかっただろう…爆弾を仕掛ける線路を間違えていた(東北本線の線路に仕掛ける計画だったが、お召し列車は隣の貨物線の線路を通る)から、大きな被害は避けられただろう…という説もある。

どちらにしろ、この「虹作戦」は、「無かったこと」になった。このときは。

戦没者追悼式典の当日である8月15日。韓国で、在日韓国人の青年、文世光が式典に侵入し、演説中の朴大統領を狙撃する。弾は大統領には当たらず、大統領夫人に命中。夫人は死亡する。

この事件に衝撃を受けた狼は、焦り、韓国人青年に呼応しなければと三菱重工爆破事件を起こす。

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幻の作戦から40年後の8月14日。荒川鉄橋は今も当時のまま。

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この橋の下から起爆ケーブルが伸びた。つまり、ここが狼たちの集結地点である。

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今は野球場として整備されていること河川敷は、当時は雑草が生い茂っていたという。

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この橋脚も、当時のままだろう。

当時の貨物線(お召し列車の通る線路)は、今は京浜東北線の線路である。

この日、現場にいたのは筆者だけだが、たまに当時を偲ぶ人がこの場を訪れているという。

平成29年(2017年)、狼のリーダー、死刑囚大道寺将司さんは、東京拘置所の病舎で逝去した。

もう1人の死刑囚、益永(旧姓片岡)利明さんは今も東京拘置所に。しかし病気が進行し、意思の疎通が困難だという。

日本赤軍のハイジャック事件により超法規措置として釈放された佐々木規夫さん、大道寺あや子さんは、日本赤軍に合流し、今も海外逃亡中と見られている。


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