○○至上主義からの脱出


前言撤回します。
ダンサーになりたい、です。
というより、あ、私ダンサーじゃね?って思った。

自分がその肩書きに振り回されていただけ
あんまり関係のないこと
他者からの言葉で自分の立ち位置を見極めるのもどうかと思うけど
思ってる以上に周りは私のことをダンサーだと思ってくれているのかもしれない、と
自分が一番自分のことを認めていなかったんだと反省した今日この頃

「ダンサー」は職業ではなく生き様である、と
師の言葉を胸に、舞台のない現状に目を瞑り、誤魔化してきた

都合のいい時だけ「ダンサー」を名乗り
都合の悪い時だけ「私の職業ってなんだろう」と言葉を濁してきた

残念なことに「踊る」だけで生きていくのは日本では厳しい
でも「踊り」に関わることはできる

たまに踊れたらそれでいい、なんて生ぬるいことを言うつもりはない
踊れる限り踊りたい、それが本心

だ、け、ど
問題なのがなんでもいい、ってわけじゃない、と
ギャラが安い高いの次元じゃない
生活がある限り、やりたいことだけで生きていくのは厳しい
お金は絶対的に必要である

でも、一般的な幸せを差し置いてでも踊りに捧げたいと思う
こんな年齢でいまだに大学生みたいなことを言ってバカにされるかもしれないけど

能無しで、ただただ身体を動かし
「赤揚げて、白下げない」みたいなことはしたくない
クオリティは絶対大事
だけど、技の完成系だけを評価軸とした人にはなりたくない

いいね稼ぎもしたくない
と言いつつ、SNSに自分の踊りをアップしていいねされると嬉しくて
そんな自分に飽き飽きしつつも
ま、そんなもんよね
人間臭くていいよね、なんて宥めつつ

今はもうクラシックバレエの舞台に立つ気はないけど
知らず知らずのうちに
バレエ至上主義、芸術至上主義で生きてしまっていた
だからコンテをしている自分に引け目負い目を感じていた
バレエから逃げたとレッテルを貼られている気がして

結局、それを貼っていたのは自分自身で
別に他者からどんな風に思われたってもうどうでも良くなった
もちろん褒められたいし、評価されたい、認められたい
消えない承認欲求に飽き飽きするけど
それも込みで私でしかない

バレエ至上主義、芸術至上主義
そんな人を見下すことも無駄な作業だと思った
自分もかつてはそうだった
今は違うだけ
住む世界が違うだけ
界隈が違うだけ
よそはよそ、うちはうち、である

踊りなんてやってて何の意味があるんだ、ってたまに思う
今もわからない
生きていく上で必要なものではない
芸術って何のためにあるんだ、とか
たまに考えてしまうけど
そんな答えを見つけるのはもっと偉い人、賢い人に任せることにして
踊りに出会ったから、芸術に出会ったから
関わりたいから、そばにいる
ただそれだけ
愛に理由なんていらない、と
綺麗事すぎやしないか、とも思うけど

フってフラれてそれでも一緒にいて
バカみたいな執着心だと思う
それでも粘ったもの勝ちじゃないだろうか
野垂れ死んでも別にいい、と思えるまで踊りを愛せたらきっと幸せなんだろう

だから私はダンサーです、と名乗ることにします。
って一心不乱に打ち込んだ独り言でした。

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