僕の高校サッカー。
2023年1月9日国立競技場。
5万868人の観客動員を記録した決勝戦が開催された。
僕もこの舞台に立つ事を夢みて生きてきた高校生の一人だ。
そんな夢舞台を実家のテレビで見ていた。そんな自分を情けなく思い、あの日を思い出す。
僕が積み重ねてきた高校3年間はなんだったのだろうか。
ライバル校の選手たちが脚光を浴びる。
画面越しに映る選手たちとは僕とはなにが違って、僕にはなにが足りなかったのか。
歴史に名を残す同年代の選手たち。その光景をただ画面越しに見つめる。
僕にもこの素晴らしい大舞台に立つ為に生きてきた日々がある。
苦しくて、泣きじゃくって、逃げたくて、もがき続けた誰にも知られることは無い、光を浴びることのない日々がある。
熱くなれた、本気になれた日々がある。
他の誰でもない、僕だけの人生がある。
このnoteはこれからまた新たな逆境に立ち向かって行く僕の為、そして何かを決断し覚悟を決めて進もうとする貴方の為に描く。
見に行きたい景色がある人には本当に届いて欲しい。
34650文字の超大作。是非最後まで読んで欲しいと思う。
中学三年
中学三年の5月頃だったと記憶している。
所属していた中学校のクラブチームの担当コーチとの面談があり、父の運転で母とチーム事務所に向かった。
この面談は主に高校の進路について親と子とコーチで話していくというものだった。
かなり緊張しながら、部屋のドアを開けたのを鮮明に覚えている。
面談が始まる少し前に、進路希望調査といったような紙を配布された。
僕は迷うことなく憧れの京都橘高校を第一希望にした。
僕にとっての京都橘高校サッカー部(以下橘高校)は憧れそのものであった。
中学生の僕が所属しているクラブチームと橘高校は同じ市営のグランドを入れ替わりで使用していた。
僕は中学一年の頃に十人ほどでチームで問題を起こした。チームで栄養講習会を受講した直後に大人数でファストフード店に屯するといった馬鹿な事をした。タイミングが悪かった。その光景をコーチに目撃されて叱られた。
その日から毎日練習に一番早く来てチームの荷物車から荷物を下ろし練習準備をする。練習後のグランド整備や用具の片付けも全てこの十人でする。といったチームへの奉仕生活が始まった。逆にこの件のおかげで僕と橘高校のご縁が紡がれた。
いつも一番に着くグランドには橘高校の先輩方が居て、
練習をされていた。その光景を見ながら腕立てやチューブトレーニングをしながら荷物車の到着を待つのがいつしか僕の日常となった。
トラップもままならない程にボコボコの土のグランド。汗で泥だらけになりながらプレーする姿。
ゴールのネットは破れている。
土でもお構い無しにゴールを守る大柄のゴールキーパーの方。
雨が降ればグランドの至る所に巨大な水たまりが出来る。
トレーニングで繰り広げられるゴール前の攻防は本当に実戦さながらの迫力で凄かった。
グランド横の椅子には先輩たちが走ってくる際に履いているミズノの統一された靴が綺麗に置いてある。
野球の得点板の下にはボートがあって監督の集合時には一目見ただけで分かる強者のオーラがあった。
練習後には大量の目の前を覆う砂埃の中を走りながらトンボで整備する姿。
そしてグランドへの感謝を伝える最後の挨拶。
全てがかっこよかった。
僕もこのチームの一員になりたい。
13歳の僕はそう強く思った。
当時の僕はアピールするようにNIKEの服を来ている橘高校のスタッフの方や監督さんに大きな声で挨拶をしていた。愛おしく思う。ありがとうと伝えたい。
あのバカみたいな毎日が、自分自身を橘高校に連れてきたと思うとなんだか誇らしい。
そんな日々を毎日のように送っていた。
そのチームが総体や選手権の舞台で京都を代表して勝ち進む姿をテレビで見ていた。
ますます憧れへの思いは強くなる。
だから、第一希望は橘高校だった。
輝く先輩のようになりたかった。
京都は橘。
全ての大会で橘高校が一番になる姿を見て、ここしかない。と本気で思った。
だが現実は非情なものだった。
進路面談を行った中学二年から三年に掛けての時期、僕のチームでの立ち位置は三番手でカテゴリーはBチームだった。
実力もなく、これといったストロングポイントもない。
なにより170cmの小柄なのに、それを忘れさせるようなストロングポイントもない、どこのチームにも必要とされない選手だった。
「はっきり言うと、お前が橘高校は厳しい。考え直してくれ。」
と担当コーチにはっきりと言われた。この時のなんとも言えない感情は忘れることは出来ない。
今思えばよく第一希望に描いたなくらいの実力だった。
しかし、ますます橘高校への思いは強くなる。
しかし、時が経っても進展はなかった。
中学三年の9月を迎え憧れへの道を諦め、他の県の高校に練習参加をして進学がほぼ決まりかけていた。
ここで頑張ろう。と決意を固めつつあった僕の元にコーチからこんな話が飛び込んできた。
「お前橘高校の練習行ってくるか?キーパーおらんくて困ってるらしいわ。行ってこいや。」
大チャンス到来。橘高校に決まりかけていたゴールキーパーが急遽他の高校に進学することになり、枠が空くかもしれないとの事だった。
必死の思いと強烈な運で掴み取った練習参加。
高鳴る胸を抑えながら、いつものグランドへ向かった。
いつもフェンスの向こう側に見ていた、スタジアムのピッチで見ていた先輩たちとの練習は楽しくて仕方なかった。
出来ること全部した。声出しまくって、気迫を前面に押し出してプレーした。超挨拶頑張った。
肝心な所はあまり覚えていない。きっと嬉しすぎて記憶にないのだと思う。
練習参加からすぐだったような気がする。
水曜日の練習でお前橘高校行けるぞ。って学年コーチから唐突に言われた。
嬉しすぎて、いつどこで言われたかは忘れた。
すぐ家に帰って両親に泣いて報告したことだけは覚えている。両親もとても喜んでくれた。あの日は本当に幸せだった。
だが、僕は当時チームで三番手でトップチームの試合に出たことのない、ただの小さいゴールキーパーだった。
かなりの背伸び入学で、え?お前が橘?っていう反応ばかりで厳しい道を選んだことは明確だった。
また当時所属していたチームの一番手ゴールキーパーの選手(ライバルくん)が随分前に特待生として橘高校への進学が決まっていた。
そう。僕は大きな決断を下した。
ライバルともう一度競争する
彼(ライバルくん)と僕の実力差は半端じゃなかった。そのライバルの彼は府内で圧倒的なスーパーな選手だった。
僕の実力での名門校への進学、そしてライバルとの競争を選んだ僕の選択を色んな奴にバカにされた。
忘れもしない。お前はスタンドで応援団長だと罵られた事。選抜のロッカールームで初対面の奴らにお前には無理だって大声で笑われたこと。
でも自分を信じることを辞めなかった。
俺なら絶対できる。
コイツらを絶対見返したんねん。
馬鹿みたいにグランドに残って練習する日々。学校の昼休みも一人で階段でジャンプトレーニングをしていた。今振り返ると本当に心配になる。毎日の練習時間は五時間以上だった。
どうかしてるくらい練習した。
それが僕の目指す場所に、景色に辿り着くための僕なりの方法だった。
そして、僕の誰よりも練習した中学三年間のサッカーは終わった。
中学サッカーが終わりを迎えると同時に
僕の夢舞台への人生をかけた挑戦が始まった。
高校一年
入学式を迎えた。
憧れの高校に入学した実感が湧いてきた。
それと同時にこれからの自分への期待でワクワクしていた。
同期のサッカー部で集合があった。色んな会場で見たことある奴も居れば、初めて見る奴もいる。
とにかく全員上手そうに見えた。
こんな奴らと一緒に戦えるんか。
期待が膨らむ。ここに居る自分を誇らしくも思った。
しかしここで世界的に流行してきていた未曾有の感染症の影響で2ヶ月間の休校が決まった。
その期間はチームのトレーニングも出来なかった。
外出の自粛が要請され、不自由な生活が始まった。
ここで、僕はこの2ヶ月を誰よりもストイックに生きようと決めた。
僕は胸を張って言える。この二ヶ月間、一日も自分に負けずにストイックに生き抜いた。
毎日iPadにトレーニングの内容、食事内容を書いて自分を成長させる為に頑張り抜いた。
朝早くからベランダでトレーニングをした。シャワーは一日三回浴びた。食事に気を使って、勉学にも励んだ。夜の国道で車と競争したし、坂道を一人で走った。暗くて狭い夜の公園でボールをひたすら蹴った。
一緒にトレーニングしていた梅コーズ(親友)の二人には感謝しかない。本当にありがとう。
お前が休んでいる間に僕は強く、逞しくなる。そうやってこの二ヶ月間やり切った。
六月にチームの活動は再開した。
頑張った甲斐があって、再開後の身体の動きはとても良かった。
一年生の大会(以下グロイエン)が始まるまであと二ヶ月だった。
2020.6.28 練習試合 vs外大西高校 16-0
僕たち一年生の初陣は凄かった。
大雨でぐっちょぐちょのグランドでも相手を圧倒。多彩な攻撃パターン、個の力で圧勝を飾った。
初めての練習試合で、このチームは強いと、
そしていい学年になれると確信した。
グロイエンに出たくて、チームを勝たせたくて、必死に練習に励んだ。当時のライバル君は調子を落としていた。チャンスを信じた。
そして迎えた八月一日。開幕戦に僕は出た。
しかし僕のパフォーマンスは良くなかった。
結果この試合の後からポジションを失うこととなった。
そこからはベンチを温める日々が続いた。やっとの思いで掴んだポジションをたった一試合で失った。ゴールキーパーとは冷酷なポジションだ。とても辛かった。
今振り返れば、そんなに落ち込む必要も無かったと思うが当時はかなり落ち込んだ。
ポジションを失った試合の後のサッカーノートにコーチからこんな言葉を頂いた。
これは当時の自分にはとても大きな一言だった。
チャンスは来るんや。それを掴む為に頑張ろう。
そう思えた。
ポジションを失ってからは今まで以上に練習した。
朝練は毎日行ったし、練習後は必ず学校グランドに帰って自主練習をした。人からしたらなんであいつあんなに練習するんやろ?って思うくらいだったと思う。とにかく必死だった。
練習しないともっと差が開きそうで。それが怖かった。でも、サッカーが好きだった。ボールを蹴っている時が一番幸せを感じた。生きている心地がしていた。
ただひたすらにいつ来るか分からないチャンスを掴む為に練習した。
きっと辛いことがあってもサッカーに集中して打ち込めたのは、気付いていないだけで沢山の人に支えてもらっていたからだと思う。
仲間と練習するのが幸せだった。みんなで歌いながら帰る桃Gからの帰り道が好きだった。
性格的に感情が顔に出やすく、辛い時は落ち込みやすい僕を沢山の人が理解して、支えてくれた。
幼い僕に声を掛けてくれたり、一緒に練習したりしてくれた。先輩にも良くしてくれる人は沢山居た。学校ですれ違えば話し掛けてくれる人も居たし、練習に誘ってくれる人もいた。他の部活の友達とも悩みを打ち明けあったりして苦しい日々の中でも、幸せに生きることが出来ていた。
最終的にグロイエンには四試合に出場。チームも関西二位で全国大会に出場した。僕にとって初めての全国大会。連れていってくれたコーチと同期のみんなに感謝しかない。ありがとう。
そして橘高校としては選手権京都府大会を制し、全国高校サッカー選手権に出場した。
メンバーに入るなんて事はある訳もなく、輝く三年生を第三者のような立場から眺めていた。
ただひたすらに全国の舞台に立つ先輩方がかっこよかった。また目標であり、関われたことが嬉しかった同じポジションの先輩が最後の最後に選手権に出場された。ずっとその先輩の努力する姿を見てきた。皆からの信頼が形となった瞬間だった。
「いつ誰が見ているか分からないな。俺ももっと頑張れば来年、再来年に出番が来るかもしれない。」
担架係としてその姿をすぐ近くで見た。凄く勇気を貰ったのを覚えている。
選手権前には来年の新チームに向けた強化チームが発足した。同期のライバルやクラスメイトがチームの主軸になっていく中、僕はそこには入れなかった。紅白戦でもラインズマンを担当し、四本目に出場する。そんな日々だった。
特にその強化チーム(来年のAチーム)はトレーニングがあっても、僕のカテゴリーはトレーニングがない期間があった。その日々はまるで地獄だった。自分だけ置いていかれる劣等感。差が開いていく情けなさ。本当に辛かった。強化チームが市営のグランドへ向かう中僕は女子サッカー部が使う学校グランドで壁に向かって一人でボールを蹴っていた。恥ずかしかった。大地はAチームじゃないんや。そう思われてる気がして惨めに思った。
でも、僕はこれまでも逆境ばかりの人生を生きてきている。その自信もあった。いつか僕が必要とされる時が来ると本気で信じていたからこそ、沢山の方に支えて頂きながらなんとか折れずに頑張った。
また二年目もBチームなのかな。とか思いながら必死に練習する日々。相手は自分だった。
とにかく自分を鼓舞する事をサッカーノートに書きまくって、人に自分の目標を大声で言いまくった。
馬鹿にされる事を厭わず、自分から逃げない理由を作った。
二月も中旬となり、この季節になると新入生の噂が聞こえてきはじめる。
元々コーチからはいいキーパーが来るぞ。とは言われていた。
そんな春先の遠征。僕はいつも通り、定着してしまいそうな一番下のカテゴリーの遠征に行くことに。
そして、三月十六日。新入生のゴールキーパーが入学前にAチームの遠征に帯同することを知った。
高校二年
遠征が始まる前に偶然に偶然が重なって公式戦デビューのチャンスが訪れた。
京都府一部リーグを戦うBチームの公式戦に出場できることになった。橘高校のBチームは京都府の一部リーグを2連覇していた。他の高校はAチームでもそこにBチームで勝つ姿が凄かった。
ここで活躍して、チームを勝利に導けばなにか現状を変えられるかもしれない。今自分に出来る最善だと考えた準備を徹底して行い、絶対にこのチャンスで掴んでやる。そんな強い思い一心で90分間戦った。しかし結果は引き分け。橘高校として優勝に向けて絶対に勝たなくてはいけないリーグ開幕戦を勝ち切ることが出来なかった。
チームを勝たせるゴールキーパー。
僕はまだなれなかった。このチャンスで序列を変えることは出来なかった。まだ掴めなかった。
そして春を迎えた。橘高校の門を通り抜けると満開の桜が僕たちを迎えてくれる。桜を見るといつになっても入学式の満開の桜を思い出す。希望に満ちた入学当初。活躍を誓い、胸が踊った季節。
一年がたった今。僕の心はどうか。
自分と人を比べ劣等感に駆られ、どうしようも無い暗い心を纏っている。
心は人生に比例していた。
カテゴリーも一番下のチーム。ゴールキーパーの中でも一番序列が低かった。自己評価も他者評価もどん底。
それでもこの春の遠征でなにか爪痕を残したい。そうすればなにか変わるかもしれない。上に這い上がっていけるきっかけになるかもしれない。
結果を求めすぎていた。急いでしまっていた。もっと大切にするべきこと、目を背けてはいけないことがあったのにも関わらず。
ここでチームを勝たせる活躍をして信頼を勝ち得る。そしてトップチームに入る。そんなその場し削ぎの僅かな望みと共に福島へと向かった。この遠征では全国的にも毎年結果を残す超名門校との試合ばかりが予定されていた。そして下のカテゴリーの遠征だが監督が見にこられるらしい。
チャンスだ。自分を信じて守り抜こう。そう誓った。
初日は名門校相手に一勝一分。個人としても決定機阻止を含め悪くないプレーを出来た。2日目も無失点で勝利。監督が見てくれているなかでのかなり手応えのある勝利だった。
宿舎に帰る。風呂に入り、ご飯を食べる。
時刻は20時を回った頃だったと記憶している。
いきなりコーチに呼び出された。監督からお話があるとの事だった。この遠征に来ている同期7人全員呼ばれた。雰囲気的にも、時期的にもいい予感はしなかった。何故かその時にはきっとこの後辛い思いをするんだろうなと悟っていた。ホテル下のロビーで監督のホテルへ出発するのを待っている時間は、地獄そのものだった。この後に待つ聞きたくない話を分かっていた。心臓の鼓動が止まらない。その話が聞きたくなかった。受け入れられる準備は出来ていないし、そんな器もない。
コーチがロビーに来た。走って5分ほどの監督のホテルへと急いで向かう。
そこには監督の姿があった。到着すると走ったから故に上がった心拍数と呼吸の荒らさが落ち着く前にその話が始まった。
「お前たちの登録をこの一年間、クラブユース登録にしようと考えている。どうや?」
事実上の戦力外通告だった。目の前が真っ白になる。受け入れられない現実から目を背けたくなった。
この瞬間、僕は紛れもなくどん底に落ちた。
一年生の高体連登録から外れた選手たちと一緒にクラブユース登録になってくれとの話だった。
クラブユース登録になると、プリンスリーグを含めた全ての高体連主催のリーグ戦、高校三大大会の新人戦、インターハイ、そして夢舞台の高校サッカー選手権に出られない規定になっていた。
僕が橘高校に来た理由は選手権に出る為だった。
選手権の舞台で橘高校を勝たせるのが夢だったんだ。
その舞台に立つ権利すら奪われてしまうのか。
全ての感情を失ってしまった。
決断の猶予を与えて頂いた。
やっぱりそれは違う。俺は何しにここに来たんや。
ひたすら自問自答を繰り返した。
今の僕ではCチームのリーグ戦での起用も難しいとの事だった。
中心となってプレーできるチームで出場機会を掴んで成長するべきか?
一年間ここへ来た理由を捨てる、夢舞台への挑戦を諦めることは大切な人を裏切ることになるのではないか?
誰にも言えない葛藤をひたすら自分の心と繰り返した。
こんなこと考えたくもなかった。
どん底の日々。
でもきっとこの話を聞いてよかった。
こんな辛い話を聞くことの無い人生の方が幸せだったのかもしれない。全て上手くいって、苦しい思いもせずに何かを犠牲にすることも無く、なんてことの無い幸せに溺れる。
でもきっとそんな人生は僕のものではなかった。こんなどん底を味わっているのは俺だけだろうと。このどん底を乗り越えて、輝く日が来ると。俺なら出来ると信じて歩み続けた人生で良かったと心から思う。
下した決断は高体連登録から外れない事だった。
これが僕なりの挑戦だった。
使わざるを得ない選手になる。
この決断が裏目に出るかもしれない。
でも、俺はこんなもんじゃないぞと。
俺はもっと出来るんだぞと、示してやりたかった。
見返したかった。その一心で決断した。
自分の僅かな可能性を信じて戦いたかった。きっとそれが僕を高い景色に連れていってくれると感じた。
どん底からの這い上がり人生
ここで僕が選手権に立つ姿を見せることが出来たら、僕が橘高校を背負ってピッチにたって勝利に導く姿を見せることが出来たら。
この出来事が転換点だったと胸を張って言える。
僕は這い上がる事を辞めたくなかった。
自分の可能性を、自分だけは信じていたかった。
ライバルくんは橘高校の守護神として圧倒的な存在になっていた。遠ざかっていく彼の姿。霞んで見えた。
だが目をこすってやるのは僕しかいない。
絶対ひっくり返してやる。そう心に強く誓った。
福島での遠征も終え、春休み再開後初戦となるBチームの公式戦に控えとしてメンバーに入った。
0-1でリードを許し、敗戦濃厚な後半80分にある男がゴールを決めた。
ゴールを決めた彼とは毎日zoomで筋トレを一緒にしたり、体育館に通ってトレーニングをしていた。
ほぼずっと同じカテゴリーに居た彼がゴールを決めて橘高校を敗戦から救った。
一緒に頑張ってる仲間が結果を残した。続けていれば結果が出る。彼のゴールまでの並々ならぬ思いやプロセスを知っているからこそ、胸が熱くなった。苦しくても辞めない。決して諦めない。
そして俺も出来るぞと勇気をもらった。
橘高校は月曜日はオフだ。ほとんどの選手はすぐに帰宅する。
でも僕に休んでいる時間なんてなかった。
とにかく必死だった。
試合に出たくて
橘高校を勝利に導きたくて
みんなを見返したくて
信頼されたくて
俺ならやれるって信じていた。
信じていたかったんだと思う。
Aチームの朝練に参加しても、トレーニングには入れず横でトレーニングする事が日常になった。ライバル君や同期が活躍する横でする練習は辛かった。
やっぱりしんどいもんはしんどい。辛いことは辛い。少しずつ心も身体が疲れていくのを感じていた。
それでも、心の炎に火を灯し続けた。横には一緒に戦う仲間が居た。独りじゃないんだ。そうやって頑張れた。
毎日を必死に生きているとすぐに季節は変わり目を迎える。
あっという間に五月は終わりを告げ、初夏の暑さに悩む時期になっていた。
この頃チームはインターハイの府予選に臨んでいた。僕はメンバー争いにすら関われていない。
チームは決勝に駒を進めた。
ライバルくんは守護神として決勝に出場する。
ゴールキーパーの人間には分かるだろう。この時の複雑な心を。でも俺に出来ることはライバルと自分を比べて、劣等感に駆られることではなかった。
自分は出来ると信じて前に進むことだけだった。
そして迎えたインターハイ予選決勝。
チームは決勝で敗退。PK戦での敗戦だった。
ピッチに立つ先輩や同期、ベンチに座る人はなにを見て、なにを感じたのだろう。
それは僕には分からない。
俺はチームの敗戦を部屋のベットの上でライブ配信で見た。屈辱的だった。
その場にも居ることも出来ない自分が情けなかった。
きっとライバルくんは色んなことを感じて、もっと成長していくだろう。
俺もこのままじゃダメだ。
立場なんて関係ないんや。
やるしかないんや。俺に出来ることは信じてやり続ける事だけや。
より一層トレーニングの意識は上がった。
誰もいない体育館で筋トレもした。女子バレー部が練習する体育館で一人でハードルジャンプもした。
試行錯誤を繰り返す。どうすればもっと成長出来るのか。この差を埋めて、やがて逆転出来るのか。
全国で勝つチームとはどんなんだろう。そこでゴールを守る人間はどんな人間なのだろう。
それをこの目で確かめに行きたかった。
そこから京都府一部リーグのBチームの試合に何試合か起用して頂いた。もったいない失点が続いたが、試合に出て自分らしいプレーをする事や、新しい課題を見つけてそれに取り組む事ができる日々が本当に楽しかった。
成長を感じていたなか、夏を迎えた。
先に言っておこうと思う。
はっきり言うとサッカー人生最悪の夏休みになった。
でもその時間こそが、自分の未熟さに気付き新しい自分に出逢うために必要な時間だった。
この夏休みがあったからこそ、僕は成長できたと思う。
三重県でフェスティバルが行われた。
この日の事は忘れもしない。
試合に途中出場し、僕のミスで30分で4失点した。
このフェスティバルでは失点ごとに走りがあった為、僕のせいでみんなを走らせることになった。
試合後、暴言罵声の嵐に見舞われた。
初めて悔しくて帰りのバスで涙した。励ましてくれる先輩の言葉が一切頭に入ってこない。さっき言われた暴言罵声が頭の中で永遠に繰り返される。沢山泣いた帰り道。
でもバスを降りて帰りの自転車で一人になると、これも自分を成長させてくれる出来事なんだと思うことが出来た。
きっとゴールキーパーに変わってる奴が多いのは、そんな変わり者じゃないと務めることが出来ないくらい大変なポジションなんだからだと思う。
この夏の遠征も一番下のカテゴリーだった。
遠征メンバーの紙が配られた一部リーグ終わりの宝ヶ池球技場で絶望した時のことを鮮明に覚えている。
Bチームの試合にも出れるようになり、自分なりに成長を実感している中でも序列は一番下だった。
自己評価と他者評価のギャップというのは冷酷なものである。
結果的にその遠征でも結果を残せず、上に這い上がることは叶わなかった。
夏休み終わりにはCチームのベンチまで序列が落ちた。
春からどん底を抜け出したくて戦う日々。
こんな辛い毎日も、いつか自分が必要とされる時が来る。自分がチームを救う時が来ると信じて乗り越えることが出来た。
信じる力とは凄いと思う。
ここまま終わるのか。それとも巻き返して選手権に出るのか。全ては日常にある。
日々自分に言い聞かせていた。
夏も終わりを迎える頃。
僕は大失敗を犯してしまった。詳しくは書かないでおこうと思う。
端的に言うと、サーキットトレーニングを乗り越えてフワフワした結果、新しく完成したチームのクラブハウスのガラスを割ってしまった。
ふざけていて割ってしまうという最悪の事態。
今になっても笑い話にしていいのか分からない。
この夏を象徴しているかのようなガラス事件で、僕の高校二回目の夏は幕を閉じた。
夏が終わると来年に向けた、現トップチームの一二年生を抜いた新人チームという形で、強化が始まった。
当時のAチームのゴールキーパーは二年と一年がそれぞれ一人ずつ居たので、僕が選ばれたわけではないがなんとか新人チームに入ることが出来た。
リーダーとしてチームを引っ張っていく立場となった日々は新鮮で楽しかった。
自分の力不足を感じながらも、少しでもチームがいい方向をむくように、自分も成長出来るように考える日々は素晴らしかった。
そんな日常の中、僕のライバルくんが某有名サッカーサイトで特集記事が組まれていた。
いつも共に頑張っている仲間として嬉しかった反面かなり悔しかった。
俺も絶対取材してもらうねん。
そう強く思った事を覚えている。
そんな中でコーチから返ってきたサッカーノートにとても嬉しいことが書いてあった。
今までの自分を認めることが出来た。取り組みは間違ってなかったんだって。少し救われた気がした。
同時にもっと頑張ろうと思えた。
Aチームは選手権が近づき、緊張感が高まってきていた。
そして、僕にもチャンスが近づいてきていた。京都府一部リーグの試合に所属する新人チームのカテゴリーで出場する事が決まったのだ。この試合までに橘高校は三連敗を喫していた。僕はその全ての試合でベンチを温めていた。
なんとか選手権前に勝利してチームに勢いを与えたかった。
僕個人的にも前に公式戦に出たのは二ヶ月前。この二ヶ月間に取り組んだ課題や磨いたストロングポイント、必死になって積み上げてきたものを出す時が来た。
その日は本当に自信に溢れて、楽しみにしていた。
だが、そんな自信は根元から折られる事となった。
京都府一部リーグvs洛北高校 0-1 敗戦
リーグ戦4連敗でシーズン終了。
監督が見てくれている中でチャンスを生かせず、チームを勝たせることも出来なかった。
この二ヶ月間積み上げてきていたものは何だったのか。
間違っていたのか。俺はなにをしてきたんや。
自分を疑い、独りで苦しくなる。上手く消化できなかった。
翌日の練習は完全に炎が消えていた。
そんな僕に気付いたチームメイトがいた。
「そんなんで、グランド来んなや。」
すごい信頼している大好きな奴に言われた。彼はプレーだけでなく色々な姿でチームを引っ張っていってくれる。後にチームの副キャプテンとなる人間だった。
ほんまやな。ふと我に返る。俺なにしてんねんって。かっこ悪いぞ。
こうやって真っ直ぐ言ってくれる仲間が居て本当に良かった。
この試合で勝つことは出来なかった。
でも、ゴールキーパーとして成長して人間として成長する事ができたと思う。
僕は選手権メンバーには入れていない。関わることすら出来ていない。それでも、確実に日々一歩一歩成長を感じていたし、地獄のどん底を経験した日から少しずつ這い上がってきている実感はあった。
もし仮に、二年から選手権メンバーに入れていたら弱い自分に向き合うことも無く、上に居るという未熟な優越感を抱え成長出来ていなかったと思う。
だから、良かったんだ。
鍛錬の一年間だった。
苦しい日々、立ち直れないどん底を味わい、色々な人に沢山の気づきを与えてもらい、人として大きくなれた。
そんな思いを抱えて二回目の選手権を応援スタンドで迎えることとなった。
ライバルくんは誰もが認める橘高校の守護神になっていた。そんな彼を見て色んな思いを抱えながら、チームを応援していた。
2022.11.7 たけびしスタジアム 選手権準決勝 vs京都共栄 0-1 敗戦
スタンドで敗戦を観た。右を見れば喜び歓喜する相手スタンドの人たち。ピッチの先輩たちは芝に顔が埋もれている。目の前の人達は涙し、俯き、現実を受け入れられていないようだった。
僕自身もこの敗戦を受け入れるのには時間がかかるだろうなと思った。
共にスタンドでチームを応援した大好きな先輩が涙を流して魂のスピーチをした。
これが選手権か。傍観者の自分に腹が立った。
試合後スタジアムの片付けをしていた。失意のなかで眺めたピッチはいつもより大きく感じた。するとロッカールームから出てこられた中学校の時からお世話になっているチームの10番を背負う先輩にこんな事を言って貰えた。
「大地。お前がチームを引っ張るんや。仁(超熱い
先輩)のようになれ。」
痺れた。負けた後にこれを言えるのか。
離れたあと先輩の言葉の重みと気持ちを想うと、涙が出た。
そしてライバルくんと抱き合って誓った。
「来年は絶対俺らで橘を勝たせよう。」
覚悟が必要だった。僕達は甘かった。足りなかった。
強く、ぶれない信念が必要だった。
この時に強く固まった気がした。
この時に涙する彼と抱き合った事は一生忘れない。
新チームが発足。夏から強化が始まった新人チームではリーダーとして頑張っていた。今年こそはAチームに入って、先発になって橘高校を勝たせるんや。そんな強い思いが燃えたきっていた。
敗戦後、早速チームミーティングが行われた。新チームの体制が発表される。
僕の一生のライバルくんが新主将となった。心臓が一瞬止まったのを覚えている。
流石にそれは想定していなかった。アームバンドを巻き主将としてチームを勝たせるライバルくんが走馬灯のように頭を走った。
ミーティングが終わり、靴箱で靴を履き替える。この先の不安が心を暗く覆っている時にこんな言葉が聞こえた。
「あれ?大地。キャプテンがライバルくんって事はキーパーは一人やし大地は出れへんな!終わりやん!残念!」
きっとこの先一生忘れることはないだろう。それを聞いた周りの後輩も笑いやがった。
そいつを殴り殺してやろうかと思った。一人帰り道、自転車を漕ぎながら泣いた。
絶対見返す。俺がピッチに立つ姿をその目に見せつけてやる。そう強く誓った。俺がやってやる。
選手権が終わり、新チームが発足。
冬が始まりそうな季節には僕の身体は以前から悲鳴をあげ始めていた腰の痛みが徐々に耐えられないものへと変わっていた。
原因は身体操作や身体の硬さなどが挙げられると思う。
しかし一番の原因はトレーニングのやり過ぎだった。
本当にイカれていた。やり過ぎだった。
朝連ではウェイトトレーニングを行い、放課後はチーム練習。居残りでも最後までトレーニングで追い込んで、帰宅してからも筋トレをしていた。
そんな馬鹿みたいな生活を半年も続けていたのだから、身体が悲鳴をあげるのは当然だった。
しかし当時の僕は休むこと=ダメなことみたいな間違った考え方をしていて、その悲鳴を無視し続けていた。
そして11月の末頃には靴下を履くことや座っていることすらも腰が激痛でままならなくなっていた。
身体を軽視し、負担を掛けすぎていた。
そんな状況でも頑張れていたのは、冬に新チームの一回目の遠征があったからだ。そこでAチームに入りたくて我慢して続けていた。
しかしそんな願いは叶うことなく、新チームでもBチームに所属する事になった。
流石にこの現実を受け入れることも認める事も出来なかった。
それでも年末にBチームの遠征で栃木県で開催される矢板フェスティバルに出ることが決まっていた。そこで結果を残せば年が明けてからのAチームの遠征に行けるかもしれない。
僅かな希望を信じて戦うしか無かった。
だがこの頃には精神的にも身体的にも限界が近づいていた。
Aチームは遠征で全国の強豪たちと競り合った試合を経験し成長している。
対して僕は京都に残ってトレーニングする日々が二週間ほど続いた。本当に辛かった。成長出来ているのか。どんどんライバルくんの背中が遠くなっていた。結果の速報が聞こえてるくる環境だったから、目を背けることが出来なかった。
それでも矢板フェスティバルで優勝に導くことが出来たら絶対チャンスを掴むことが出来る。
やるしかないんや。原因不明の腰痛と戦いながら矢板フェスティバルでの優勝に向けて万全の準備をした。
そして迎えた12月26日僕たちは栃木県へ出発した。
やっと自分たちの代になった。なのに変わることない序列。ずっと負けっぱなしではいられない。
自分の価値を証明する。俺ならチームを勝たせられることを示す。この大会にかける思いは並大抵じゃなかった。ラストチャンスだと思っていた。ここでなにか残せないと俺は終わる。崖っぷちの状況から這い上がりたかった。それだけだった。
チームは勝ち進んだ。一体感があるチームだった。みんなが勝利の為に尽くすいいチームになっていた。みんな勝ちたかったんだ。優勝したかったんだ。
それが嬉しかった。勝ちたいのは僕だけじゃない。そんなチームで戦えることを幸せに思っていた。
予選リーグを無事突破し決勝トーナメントも勝利。決勝に駒を進めた。後輩の超スーパーゴールや仲間の身体を張った守備に助けられた。
僕はなにも活躍していなかった。みんなに決勝に連れてきて貰っただけだった。
最後、俺がチームを救う。俺が止めて優勝する。
そう強く誓って、眠りについた。
実はこの大会期間の腰は限界を突破していた。
靴下を履くために屈めないだけではなく、寝返りをうつことも出来ず洗顔の為に身体を傾けることも出来なかった。よくサッカーをしていたなと思う。
でもこれが最後のチャンスかもと思うと逃す訳には行かなかった。
2022.12.29. 矢板フェスティバル 決勝 vs名古屋 1-1PK戦 1-0
優勝した。1点ビハインドの後半アディショナルタイムに中学からの後輩がPKをゲットして土壇場で同点ゴール。PK戦に突入した時には完全にストーリーが出来上がっていた。
1本目からサドンデスのPK戦。
止めた。勝った。真ん中とベンチから仲間が僕の元に走ってくるのが見えた。泣いた。ヒーローになった。
この一年間の全ての苦労が少し報われた気がした。
やっと一つ結果を残した。この優勝は僕の逆転劇のスタートであり、プロローグに過ぎない。絶対俺はやったる。俺の逆転劇のスタートだ。
ノートに強く、力強く書き留めた。
大会を通してのパフォーマンスは良かった。間違いなく優勝に貢献した。少し視界が晴れた。
新年に向けて、期待が膨らむ終わり方が出来た。
きっと僕は上に行く。そう思っていた。だからこそそうじゃなかった時の心に空いた穴は大きかった。
2022年になってからのAチームの遠征のメンバーに入ることはなかった。
またもや、大きな壁にぶち当たる。正直本当に折れそうだった。頑張ることを辞めて、諦めていたら楽だった。そんな三年間にすることも出来た。
でも僕は自分で選んだ。
決して諦めない生き方を。自分を信じる事を
しかしこの時には腰の痛みが限界を迎えていた。
朝練はシーズンオフ期間で走りだったのだが、半端なかった。これは絶対におかしい。もうこの時には自分では分かっていた。でも、サッカーが出来なくなることを分かっていたから怖かった。また置いていかれるのか。また見えなくなるのか。ほんとに怖くて眠れなかった。
コーチの進言もあり、勇気をだして病院に行った。この時には分かっていた。
2022.2.10 MRI検査 腰椎分離症発覚
追い込みすぎていた。
やっと休める。
そう思って安心していた。
サッカー人生で初めての大怪我をした。しかもやっと自分たちの代を迎えたという時に。三ヶ月間サッカーから離れることを余儀なくされた。
泣いた。安心とか、不安とか、様々な感情に駆られて泣きまくった。
泣きまくった後にあるコーチからLINEが来た。
「大地がサッカーしてる理由は何?サッカーを通してどうなりたいの?どんな人間になりたいの?その人間にはサッカーをしてAチームで試合に出ていないとなれないの?」(トークが消滅しうる覚えの文章)
はっとした。俺はどんな選手、人間になりたいねん。
生き方を自分自身に問い直した。
俺はこの怪我を機に、強くなる。
俺はこの怪我のおかげで強くなれたって言えるまでの所に登りつめる。
俺は強くなって最高の草野大地として帰ってくる。そして、もう一度ピッチに立つ。
もう一度前を向いて歩き出した。
俺ならできる。
この期間はピッチから離れる分色んな事を考え直して、自分を見つめ直した。
まずは勉学の部分。
圧倒的に疎かになっていた。
トレーニングばかりしていたせいで優先順位が下がり、学生としてしっかりするべき所を適当にしてしまっていた。だからこの期間は練習後に学校に残って自主練の代わりに勉強を始めた。これまではあまり興味のなかった英語にチャレンジしてみたりした。すると継続の力は凄まじく、怪我の期間に英検に合格することが出来た。またその勉学に励む過程で勉強部屋の先生とご縁があって仲良くなれたり、普段話したことのなかった勉強熱心のクラスメイトと仲良くなるなど、怪我をしたからこその出会いや気付きが生まれた。
他にも睡眠に目を向けた。ほとんどの人が拘らない所に目を向けて拘る。そうやって人と差をつけようと考えた。徹底したことは、就寝90分前までに入浴を済ませて深部体温が低下する時間帯に寝ること。就寝1時間前はスマートフォンなどのライトを避けること。就寝30分前から部屋の電気を小さくする。クロレラを飲むことを習慣化することなど。
こうやって今まで目を背けてきた当たり前のことにもしっかり取り組んだ。
そうすると自分の人生が豊かになったような気がした。
そして怪我をして一番良かったなと思うことは、
「サッカーを思い切り出来る幸せ」
を改めて知ったことだ。
2023年の3月に橘高校悲願のホームグラウンドが完成した。そこには沢山の方の尽力や思いが篭っている。そのグランドの1期生になれたことが本当に誇らしかった。
新グランドも完成し綺麗な芝の上でトレーニングするみんなが羨ましかった。ライバルくんがどんどん上手くなるのが怖かった。
グランドでトレーニング出来ていた日々。いつしか当たり前になっていた。
そんな当たり前の尊さを忘れていた。だからもう一度思い出させて貰った。
自分一人でサッカーをしているんじゃない。健康な身体があって、思いっきり走れて、ボールを蹴れる。
それはたくさんの人の支えがあって、奇跡のような事なんだと感じることが出来た。
キツいトレーニングも、決められて悔しい思いも、全て幸せなことだった。
こんな当たり前のことにやっと気づいた。これは自分にとって大きな一歩だった。
そして一人のトレーナーの方に本当にお世話になった。自分の動きの弱点を明確にしてくださり、一緒にトレーニングして頂いた。休診日にも家族との時間を削ってまで僕に時間を使って頂いた。本当に感謝してもしきれない。
このように怪我の期間にこれまで取り組んで来なかったことに目を向けて、自分なりに取り組んだ。
そして幸せを知り、自分一人で生きているのではない事を強く実感した。
この人たちの為に頑張りたい。人として成長出来た三ヶ月だったと思う。
そんななか僕がとてもお世話になったコーチとの別れがあった。このコーチの言葉に何度も突き動かされ、諦めずに頑張ってこれた。別れからも成長できたと思う。
本当に色々な事を感じながら、徐々に出来るトレーニングも増えて、完全復活が近づいていた。
そんな時に僕の耳にGKコーチの口からこんな話が飛び込んできた。
「ライバルくんが膝を怪我した。大きい怪我かもしれない。」
僕の復帰ももうすぐそこだった。
高校三年
僕が復帰に近づく季節。関西プリンスリーグが開幕しチームも試合が始まっていた。
チームは開幕三連敗を喫した。僕は怪我人としてチームに帯同してみていた。グランドの横のパイプ椅子に座ってボールボーイや担架係として動いていた。
なにしてんねん。これがその時の率直な感想だった。チームに向けても、なにも力になれない僕自身に向けても。
チームとしての在り方が揺らいでいた。
そして辛かったのがこの二年間なにをどうあがいても一度も着ることが出来なかったプリンスユニホームを入学前の新一年生が着てメンバーに入っていた。そのウォーミングアップをサポートするのは屈辱的だった。
しかしこれこそが、反骨心であった。
このプリンス開幕三連敗は僕の覚悟をより一層強いものにした。
このチームを変える。喝を入れて、強い集団に導く。俺の復帰がチームの転機となるように今自分に出来ることに100%集中して取り組んだ。
僕の復帰がもうすぐそこまで近づいていた。
僕のライバルくんの怪我が分かった。膝の大怪我だった。長引くかもしれない。すぐに僕はこんな感情を覚えた。
「彼の為にも僕がピッチに立って、橘を勝たせないといけない。」
たけびしスタジアムで味わった屈辱から約半年。僕は彼と二人でチームを勝たせることを約束した。だけど今の彼にそれは出来ない。一気に決意が固まった。
俺が橘を勝たせる時が来た。
そして遂に復帰の日を迎えた。
2022.4.26. 復帰
僕はこの怪我で確実に強く成長した。身体的にも精神的にも逞しくなってグランドに帰ってきた。諦めそうになった事は一度もなかった。弱い姿を見せたくなかった。
もう一度この仲間とサッカーを出来る幸せを心で感じた。幸せでしかたなかった。そしてこの復帰にあたって沢山の人が僕に声を掛けてくれたり、メッセージを送ってくれたりした。皆さんの一つ一つの言葉が僕の心を救ってくれました。本当にありがとうございました。
復帰した日の練習前にゴールデンウィークの遠征に向けたカテゴリーが発表された。僕はゴールキーパーが不足しているチーム事情もあって入学して以来初めて、Aチームに入ることが出来た。
空を見上げると今にも雨が降りそうなKTS。初めてこの場所でトレーニングが出来た。復帰までの色々な困難を乗り越えたことを感慨深く思い出しながら、全力でプレーした。
インターハイ予選まで一ヶ月を切っていた。
インターハイへ
僕が復帰した週末にプリンスリーグが予定されていた。僕たちは三連敗の苦境を抜け出すべく、ミーティングを重ねた。今こそ一つになる時だった。
従来は公式戦前日は軽い調整で終わっていたトレーニングも、ゴール前の局面のバチバチのトレーニングに変更していただいた。全員が勝利に飢えていた。勝ちたくて仕方なかった。僕としても初めてのプリンスリーグのメンバー入りが決まって、ワクワクしてした。
先発で出るのではなかったが、橘のユニホームを来て一緒に戦える事が嬉しくて仕方なかった。
いざチームはプリンス第4節へ向かった。
2022.4.29 プリンスリーグ 第4節 vs近江高校 3-0 KTS
魂の試合だった。みんなの思いが一つになって繋がったことを感じた。苦しい苦しい三連敗を乗り越えて掴んだ勝ち点3。試合後の二年生10番の涙が全てを物語っていた。
僕としても初めてのベンチ入り。チームの為に本気で声を枯らした。自分に出来ることを全部した。会心の勝利。
チームは最高の状態でインターハイ予選前最後の遠征の地、山口へと向かった。
遠征ではもちろんB戦の出場だった。しかし、ここでチャンスがいきなり訪れる。
決勝トーナメント一回戦でPK戦になった。ここで止めたらなにか起こせるかもしれない。ゾーンに入った。
三本止めた。チームは勝利。チームメイトのみんなが僕の元に来てくれた。ベンチでも喜んでくれた。生きていてよかった。そう思った。
今までの苦労が報われた気がして最高に幸せだった。
そして翌日の決勝戦。僕は高校入学後初めてAチームの先発として試合にフル出場した。
結果は敗戦。優勝することは出来なかったが、手応えのある遠征となった。
いよいよ予選が開幕。三回戦は全員三年生で臨んだ為先発で出させていただいた。
初めて来た橘高校の公式戦用ユニホーム。痺れた。これ程の幸せを感じることの出来る人生で良かったと心から思う。
四回戦は出場なく迎えた準々決勝。
先発で起用されることが決まった。
2022.5.21 インターハイ予選 準々決勝 vs山城 5-0
この前日はまともに眠ることが出来なかった。ミーティングの話はまったく入ってこなかったし、ウォーミングアップでは口数が極端に減っていた。試合中もキックは力が入りすぎて全てサイドラインを割った。試合後も疲労とストレスから激しい頭痛と倦怠感に襲われた。この日もまともに眠る事は出来なかった。
だけど橘高校の誇り高きエンブレムを背負い戦えたことが幸せで仕方なかった。
そしてすぐに気持ちは来週に迎える準決勝、宿敵の東山戦へと向かっていた。
準備が全てだと思って出来ること全てやった。GKコーチとも電話したりしてリラックスしていた。
一週間今まで通り、最高のトレーニングをした。準備は出来た。
僕たちは東山だけには負けられなかった。先輩が積み重ねてきた勝者の歴史。それを奪い返さないといけなかった。一年の頃から公式戦で対戦する度に負けていて、僕たちの代の対東山は5戦全敗だった。負ける訳にはいかなかった。みんなの思いが一つとなる。
さぁ行こう。新しい歴史を創りに行こう。
2022.5.29 インターハイ予選 準決勝 vs東山 0-1 敗戦
(当日の日記原文)
朝6時30分起床。いつも通りの朝を過ごして8時15分に太陽が丘到着。緊張は一切ない。割とすぐにスタジアムに入った。グランド準備から。自分達で創る舞台。枯れた芝生。雲ひとつない空。隣にいる奴は超ワクワクしている。そして俺もワクワクしている。終わってウォーミングアップへ。円陣で士気を高める。メンバー外の数人も一緒に。一つになった。ランシューでするアップは悪くなかった。すぐにピッチイン。SGスパイクで緑の芝生を踏む感覚はこの先忘れることは無いだろう。セービングいつも以上に飛んでる感覚。素晴らしい状態。ゴールキック一本目大成功。いい感覚のままロッカーへ向かう。小池さんから嬉しい一言をもらって帰っていった。ロッカールーム。みんなと確認する。とにかく色んなことをしゃべり続ける。無口にはなりたくなかった。みんなの目の色が凄かった。勝てると確信した。監督から熱い話を頂いた。部屋は暗くなった。Re makeが流れて昨年決勝の映像が流れた。胸が締まる。ロッカーアウトすると東山が並んでいた。れいやもいる。新谷、真田もいる。俺もここまで来たんだ。感極まりそうになった。そして入場。聞こえる拍手。選ばれし両チームの22人がピッチに歩く。俺がそこにいる。この為に生きてきた。そう思えた。前には仲間。振り返ると満席のメインスタンド。54321。痺れた。this is my life. どんなことも乗り越えてきた。負けた。壁を乗り越えられなかった。今の俺には何かが足りなかった。涙が止まらない。もう一度覚悟を決めて進もう。俺ならできる。冬は倒す。ぶち倒す。俺の人生を掛けて。全てを懸けて倒す。俺ならできる。信じてくれる人の為にも全てをかけてかつ。(5月29日)
負けたんだ。俺たちは負けた。あと一歩。届かなかった。終わった瞬間、みんなが倒れて東山の選手が抱き合って喜んでいた。その光景を一生忘れない。この夏もっともっと強くなる。そして冬、必ずリベンジする。そう誓った。
インターハイ全国大会には届かなかった。しかし下を向いている時間はない。すぐにプリンスリーグが再開する。歩みを止めてはいられなかった。
インターハイを終えて僕の立ち位置は厳しいものになっていた。直後の練習試合では控えにまわった。
やっぱ結果残せないと、勝ち残って行けへんな。
勝負の世界の厳しさを身をもって感じていた。
そんないつもと変わらない学校生活の中で休憩時間に廊下を歩いているとライバルくんが怪我をして以来ポジションを争っていたゴールキーパーの後輩くんとばったり会った。彼はなぜか左足首に氷を巻いて、友達に肩を借りながら歩いていた。
どうやら話を聞くと、彼は体育の授業のバレーで足首を捻挫したらしい。かなり腫れている。
その話を一緒に聞いていた、二年連続クラスが一緒の脳筋くん(菊池くん)がボソッと呟く。
「じゃ大地プリンススタメンやん!お前すごいな!えぐい運持ってるやん!」
怪我をした張本人の目の前で大声で笑う彼の言葉をすんなりと聞き入れた。
そうか。ライバルくんは膝の大怪我で先は分からない。そして今、後輩くんは足首を捻挫。
今週俺やん!!
そこからの授業はずっとソワソワしていた。
まさかの形でプリンスデビュー戦を迎える事になるかもしれない。後輩くんの怪我は想定外だったが、これは僕にとっては崖っぷちで訪れた大チャンスだった。
後輩くんは重症では無かったものの、今週の試合には間に合いそうになかった。
そして僕は念願のプリンスリーグデビューを飾った。
2022.6.18 プリンスリーグ関西 第7節 vs大阪学院 1-0 勝利
何をやってもベンチにすら入れなかった二年間を乗り越えて、諦めずに掴んだプリンスリーグ。
毎日毎日積み重ねてきたものがようやく結果となった。インターハイの敗戦後の初戦で再び橘高校の勝利の為にピッチに立って、エンブレムを背負って戦えたことを誇りに思う。
僕にとっての初勝利は格別だった。この試合では僕以外にも二人の同期がプリンスデビューを飾った。
一人は昨年からカテゴリーが同じで、一緒に頑張ってきた奴。もう一人はCチームの時期もあったがのし上がって来た奴。この二人がピッチに出てきた事が超嬉しかった。一緒にデビューした事は忘れられない。
ここからの4連戦。全てに出場して、3勝1分。失点も2と安定した戦いに貢献出来ていたと思う。チームも最下位を抜け出し、昇格争いが見え始めていた。
自分自身の成長を感じているなかでも、もっと上手くなりたい。もっとチームを救う選手になりたい。そんな選手としての欲が出ていてすごいいい状態だったと思う。
この手の中にある確かな手応え、そして自信を胸に高校最後の夏休みを迎えた。
2022.7.23 堺フェス3日目 vs筑陽学園 0-4
この日は僕の18回目の誕生日だった。
きっとこの日はこういう運命になる事が決まっていた。
僕の自信は過信だったのかもしれない。
僕のミスもあって0-3とリードされて迎えたハーフタイム。コーチの一言が僕の心に突き刺さった。
「プリンス1位、選手権優勝を目指してるチームのゴールキーパーがお前じゃ物足りないわ。勝てない。」
その通りだった。僕はこのチームを背負うのに相応しい選手じゃなかった。
落ち込む僕にある一人の同期が声を掛けてくれた。
「大地!最高なプレゼント貰った!この負けは神様からのプレゼントやで。これ乗り越えたらもっと強くなれるで!」
ほんとに仲間に救われている。彼はいつもこういうキャラの僕をバカにしてくるタイプだった。そんな彼が真剣に言ってきてくれた。
嬉しすぎでトイレに行って泣いた。
そうや。これは神様が僕に与えてくれたプレゼントなんや。これこそが反骨心となり、僕を上へと導いてくれるんや。
心からそう思った。生きてきて一番幸せな誕生日になった。ありがとう。
昨年経験した地獄の夏休み。今年こそは俺の夏休みにする。俺が一番になる夏にする。そう誓ったが、そう上手くはいかなかった。
遠征初日の試合に先発で出た。0-2でハーフタイムへ。ボードを見るとゴールキーパーが僕から後輩くんへ変わっていた。僕が先発だったのはコーチの勘違いだった。屈辱だった。
この日を境に、二ヶ月間の苦しい苦しい夏休みが始まった。
どれだけいいセーブをしても、どれだけチームを勝たせても序列が変わることは無かった。
チームがんの三人で人生初の坊主もした。
一度はしてみたかったのだが、この状況を変えたい一心だった。それがこのタイミングでの坊主という形になった。
この期間は本当に苦しかった。何度も葛藤した。高校生活では自分に圧倒的な自信があるのに、周りからの評価とはギャップがあるという現実にとても悩んだ。
夏の終わりにかけて調子を落としていっチームを勝たせるのは僕しかいないと考えていた。
本当に毎日毎日が勝負だった。この一日、この練習、この一試合、このセットプレー、このセーブで俺の人生が変わるかもしれない。一つのプレーへの執着心が凄かった。
しかし、夏休みを終えても後輩くんのサブのままだった。
猛暑を耐え抜き、夜に肌寒さを感じる季節。
僕は最も厳しい時期を迎えていた。
プリンスリーグには選手ブロック制度といい、各チーム出場時間上位14人は他のカテゴリーの試合に出場出来ない規定があった。僕はその上位14人に入ってしまっていた。
すなわち、現時点では控え選手にも関わらず他のカテゴリーに試合には出られない為出れる試合が無いという、言わば浪人生活を強いられた。
下のカテゴリーでもいい。試合に出たかった。試合で活躍することで自分の価値を示したかった。それすらも出来ない。無力感に襲われる。
そんな苦しい状況でも希望を決して見失わなかった。
絶対に俺が必要とされる時がくる。チームが俺を求める日がくる。
虎視眈々と。自分の出来ることを毎日積み重ねた。コツコツコツコツ。焦れずに折れずに。逃げずに、隠れずに。
しかし、時間だけが過ぎていった。夏が終わると夢舞台はすぐにやってくる。
僕たちの最後の選手権まで一ヶ月を切っていた。
選手権へ
チームは調子を落としていた。プリンスリーグでも敗戦を重ねて昇格争いから脱落した。
選手権に向かって強豪校との試合が増えてきていた。この時期は自分たちの在り方と戦い方を確立していくべきだった。しかしチームは最悪の状況だった。
強豪との練習試合では、劣勢を強いられ戦う度に自信をなくしていった。
肝心の僕も、まだ後輩くんから先発を奪い返せずにサブ組の試合に出場していた。
選手権前の強化試合 vs米子北戦
ここで何か残さないと俺はこのまま終わってしまう。ラストチャンスだと思って戦え。他の奴とはこの試合に懸ける思いの大きさが違った。
1-1で迎えた試合終盤、自陣ペナルティエリア内で味方がファール。
PK献上の大ピンチ。
逆に俺からしたら、大チャンスだった。
ここで止めたら何か変わるかもしれない。動くかもしれない。夢中だった。
目の前にあるチャンスを掴む為に全ての自分のパワーを出した。
止めた。窮地を救うセーブ。
他にもいいプレーをして、手応えを掴んだ。対して先発組は敗戦。これは何かが変わるかもしれない。
そんな期待を胸にグランドを後にした。
しかし先発組になることはなかった。どうしたらいいねん。まだあかんのか。
吹っ切れた。
下向いてる時間なんてない。やるしかないねん。
今週の試合に全てをかけろ!
今週末に海星高校との選手権前最後の練習試合が組まれていた。
ここで何かを残すしか、僕の夢舞台への挑戦権はなかった。人生をかけた試合だった。
先発組が0-3で完敗した。情けない、覇気のない試合。殴りたくなった。
逆にまたもや僕にとっては大チャンスだった。
後輩くんのパフォーマンスも良くなかった。
選手権前最終強化試合 vs海星戦
するとすごいことが起きた。
プリンスリーグに一緒にデビューした奴が後半にペナルティエリア内でファールをした。
二週連続のPK献上。止めるしか無かった。先週と同じゴール。同じ時間帯。
駆け引き。集中。
キッカーの後ろでみんなが大声で言っていた。
「大地絶対止めるから、信じてこぼれ球クリアしろ!絶対大地止めよるから!」
見せ場です草野。
信じて、最後まで見て、思いっきり飛んだ。
止めた。窮地を救った。二週連続のPKストップ。
震えた。痺れた。やってやった。
これでダメなら。後悔はない。そう思えた。全てを出した。出来ることは全部した。もうこれ以上はなかった。
試合が終わった。チームとしては0-3の完敗。選手権開幕まで後三週間だった。
コーチによるミーティング。コーチの熱い、勝ちたくて仕方ない思いが爆発した言葉の連続。
涙が出そうなミーティング。俺たちはこのまま終わってしまうのか。これで本物の涙を流せるのか。夢が夢のままで終わるのか。
色々な思いを抱えたミーティングは終わった。
この後、僕の感情は爆発した。日曜日だった。
次の週。週末にはプリンスリーグを控えていた。
戦術ボードに貼られたメンバーを見ると、先発組に僕が居た。
選手権開幕まで18日だった。
今週のプリンスリーグに全てを懸けよう。これこそが高校最後のチャンスだ。その舞台の権利は掴んだ。後は俺がチームを勝たせるだけだ。
今にも爆発しそうな強い思いを抱えていた。
しかし、試合前日の朝に行われた選手ミーティングに僕は遅刻した。
ほんとに俺はバカな奴だ。
つい何日か前にある奴に感情を爆発させたばかりなのに、僕自身がチームに迷惑をかけた。
自分自身の責任なのにかなりメンタル的にやられた。
俺が出ていいのかな。前日遅刻はやばいよな。
こんな自分自身の不安定さや仲間との不協和音というか、信頼関係を揺らがすような出来事の翌日の試合は最悪のものだった。
2022.10.8 プリンスリーグ関西 第15節 vs近江高校 0-3 敗戦
完敗した。僕のせいでチームが負けた。
翌日に行われた草津東高校との練習試合。
チームも僕もボロボロだった。勝ち方を忘れ、自分たちの在り方を見失っていた。1-7の大敗。
本当にチームに迷惑をかけた。俺はピッチに立つべきではなかった。
オブザピッチはオンザピッチに大きな影響を与えた。
やっとの思いで掴んだチャンスを、自らドブに捨ててしまった。この日の夜は眠れなかった。
もう終わりだ。僕の選手権への道は絶たれた。絶望した。自分を責めても何も変わることは無かった。
俺の選手権は終わった。
どん底に突き落とされた。
翌週に選手権前最後のプリンスリーグ。京都サンガFC戦が待っていた。
この週は僕は大学の入試があった。その為紅白戦を行う水曜日と木曜日の練習に参加することが出来なかった。
先週のプリンスリーグと練習試合での大敗に加え、今週の練習に参加出来ていない。
再びサブに戻ることを覚悟していた。
京都サンガ戦前日の金曜日、珍しく紅白戦が行われた。戦術ボードに貼られたメンバーを見ると僕は先発組に居た。
先週のパフォーマンスからは想像できなかった。思わず声が出た。
同時に、期待と信頼を感じることが出来て嬉しかった。
近江戦は自らの行動によって不安を抱えながらプレーし、チームに迷惑をかけた。
本当に最後のチャンスだった。
掴むも取りこぼすも全ては自分次第だった。
チームを負けさせてしまったぶん、次は俺が勝たせる。
そして並々ならぬ思いを胸に90分間の激闘を戦った。
2022.10.25 プリンスリーグ関西 第四節延期分 vs京都サンガFC 0-0 引き分け
試合後に両チームの選手がピッチに倒れ込む。文字通りの激闘だった。
全てを懸けた。ラストチャンスを掴む為に無我夢中だった。
観ている人の心を動かす熱い試合が終わった瞬間、自然と涙が零れた。
チームは一つになった。俺たちは出来るんだ。大きな自信を胸にプリンスリーグを終え、夢舞台へと歩みを進めた。
初戦まであと一週間だった。
選手権開幕
僕たちは最悪の時を共に乗り越え、成長した。
主将のライバルくんを始め話し合いを重ねて、チームとしての在り方を見つめ直した。
78人を背負う責任、覚悟。
監督、コーチから何度も言ってもらった。
ピッチに立つ選手、ベンチに入る選手。
その影には孤独を抱えていたり、怪我で十分にプレーできなかったり、苦しくて仕方ない選手が沢山いる。
それでも応援してくれる。
皆の為に戦わなくてはいけなかった。
橘高校を代表してピッチに立つのは俺たちだから。
特に僕の一人の親友は腰の怪我で歩くもの痛い状況でも、何とか最後に橘を救うストライカーになりたいと下のカテゴリーでも毎日頑張っていた。
そんな彼を見て僕は橘を背負う意味を知った。
この頃他会場で徐々に選手権が開幕していた。僕の幼い頃からの友達が二回戦で敗退したことを知った。
僕のすぐ近くに夢舞台が近づいてきていることを実感する。
SNSにも選手権に関する情報が多くなってきていた。
また本当に信頼出来る山田さんというトレーナーのかたのご縁で、選手権期間に山田さんをはじめとする沢山のトレーナーの方に、ケアをしていただいた。感謝してもし切れない。また新しいご縁が繋がった。この人たちの為にも勝ちたい。そう思った。
毎日を生きるなかで、日常の緊張感が高まってくるのがわかった。
あっという間に僕たちは初戦を迎えた。
2022.10.23 全国高校サッカー選手権予選 三回戦 vs京都先端付属 2-1 勝利
(当日の日記原文)
「生きるか死ぬかの戦いの果て」
朝5時30分起床。今日は選手権三回戦vs京都先端。行きのチャリで色んな思い出を思い出してた。こういう時に頭に思い浮かぶのは勝ったり嬉しかったことよりも、苦しくて泣いて耐えた日々やった。本当に色んなことを思った30分間のチャリやった。最後に俺に一言かけた。「ここまで頑張ってきてよかったな。」会場に到着したらビッグフラッグと横断幕があった。コーチが前日にやってくれたらしい。感謝してもしきれへん。素晴らしい舞台がやってきた。ロッカールームに入ったらKIRINのアップ着がハンガーにかかってて鳥肌が立った。幸せやなー。ほんまに。感謝すぎる。いつも通りみんなでおしゃべりしてリラックスする。トレーニングルームでフィジカルとかストレッチして身体をいい方向へ向かわす。8時5分アップへ。かなりスリップする。気をつけないと。終わり。ロッカーへ戻る。最後に円陣を組んでピッチへ。54321。大声で。9時キックオフ。相手は引いてブロック。たけしのシュートがポストに当たる。相手の応援は200人いる。ワンプレーごとにバカ騒ぎ。ホームやのにアウェーみたい。少しずつ飲まれていく。飲水後FKを与えた。池戸が被る。雨でスリップする。失点。完全にやられた。俺のミスやった。頭が真っ白になった。急いで集まる。「焦るな、大丈夫、前半で追いつこう。」
だいぶ動揺してた。そのままハーフタイムへ。監督がハーフタイムになっても俺が居るし大丈夫って言ってくれた。信頼を感じた。飲水。0-1で負けてる。色んなことを覚悟した。両親が居ない所で負けるのか。萌誠の事も盛太朗の事も君のことも。CKゲット。池戸のヘッド炸裂。同点。残り五分での同点。5分後池戸また炸裂。逆転。会場が揺れた。逆転勝利。ピッタで泣いてもうた。もうほんまにみんなに感謝。また選手権に向けて一週間頑張れる幸せを噛み締めて生きていきたい。
今思い出すだけでも胸が熱くなる。
選手権の魔物が居た。敗退を覚悟した。
でも最後まで信じ続けた。
お願い。決めてくれ。
僕のライバルくんをこんなとこで負けさせる訳にはいかなかった。
失点は明らかに僕のミスだった。固かった。
また来週選手権を戦える現実にホットした。
僕たちはこの試合でまた強くなった。そう思えた。
翌日朝掃除の為に学校に行くと、僕たちより早くに吹奏楽部が掃除をしていた。自転車で道を通ると仲のいい二人の友達が僕を呼び止めた。
「大地に昨日嬉しかったことを報告してあげよう。」
なんの事か気になった。
なんや。と返す。
「大地が試合に出ていたことだよ!!!」
どうやらこの二人は僕が先発なことを知ると、涙が出てきたらしい。
こっちまで泣きそうになった。幸せな朝だった。
また一週間頑張れることを幸せに思った。
この選手権期間は朝練でPK練習をしていた。フィールドプレイヤーはゴールキーパーに蹴る方向を教える。それを止められたら全員が走るという鬼畜練習を乗り越えた。
ゴールキーパーは四人でゴールは一つで回していた為ゴールキーパーは超元気で、ほぼ全部のシュートを止めた。今になってしまったけど、みんな朝から止めすぎてごめんなさい。笑
今週の四回戦、3年生だけで試合に挑むことが決まった。これが三年にとっては最後のチャンスだった。
この一週間は従来のAチームにBチームの三年全員を加えたメンバーでトレーニングをした。
何より久しぶりに一緒にトレーニングをする同期もいて凄く嬉しかった。
三年の選手権に懸ける思いは後輩とは比べ物にならない。
この一週間は三年にとって特別な時間だった。
紅白戦ではチャンスを得た三年組が、Aチームを撃破した。
俺たちならやれる。俺たちなら勝てる。今まで積み上げて来たものを全部出そう。この試合に懸ける想いが皆の目から伝わって来た。そしてこのような舞台を作ってもらったことに感謝していた。
2022.10.30 全国高校サッカー選手権大会 四回戦 vs南丹高校 4-0 勝利
(当日の日記原文)
「一生の財産。心からありがとう。」
今日が最後。誰一人欠けることのない21人の試合。vs南丹。4-0で勝利。後ろから見てて頼もしかった。個人的には安定してプレーできたし、ハイボール処理も良かった。取り組みを出せたと思う。また、嬉しいことが多かった。先制点は親友がとった。彼のゴールは本当に嬉しい。頑張ってきてよかったな。俺はお前の頑張りや苦しさ、涙を誰よりも知ってるつもり。約束果たそう。喬介。悔いはないな。頼もしかったぞ。最後まで諦めないこと二年間貫いたな。陽介。最高やったぞ。点とって欲しかった。そーち。まだ身体細いよ。でも二年前より強く勇ましかった。久保。最高や。頑張ろう。実。大好き♡。康太。バテるん早すぎ。クロス最高やったで。洪水だけはやめてや。せいのすけ。息を切らしてさ駆け抜けた道を振り返りはしないのさ。ゆうた。久しぶり。中学はなかなか一緒に出れなくてさ。でもここへ来てまた出れた。偶然のような運命やね。たかはし。おかえり。三村。固すぎ。パスする時膝真っ直ぐ伸びきってたよ。愛しとる。ベンチのみんな。日本一なるぞ。みにきてくれた皆さん。ありがとう。
アップ開始と同時に後輩たちの応援が始まる。ハイタッチして向かったピッチ。ずっと一緒に頑張ってきた奴らがピッチにいる。幸せだった。
今年に入って初めてライバルくんとメンバーに入った。彼の声を枯らす姿は一生忘れない。
こうして三年生に用意された特別な舞台は終わりを告げた。この試合は間違いなく21人全員の財産になったと思う。
準々決勝の週を迎えた水曜日。朝は胸ポケットにスマホを入れて小さい音で音楽を流して登校している。
選曲はシャッフル機能に任せているのだが、その日はゆずの「栄光の架橋」が流れた。
6年ぶりのこの曲を聞いた。
覚えている歌詞を歌っていると、朝6時30分に自転車に乗りながら一人で大号泣していた。
「あの時思い描いた夢の途中に今も何度も何度も諦めかけた夢の途中。いくつもの日々を越えて辿り着いた今がある。だからもう迷わずに進めばいい、栄光の架橋へと」
僕の人生のような歌詞だと勝手に心が震えた。何百回も泣いて、情けない思いをして、折れそうになったけど頑張って良かった。
俺が橘を勝たせるんや。絶対に全国に連れていく。そう誓った肌寒い朝だった。
2022.11.3 全国高校サッカー選手権大会 準々決勝 vs洛南 2-0 勝利
この試合の橘はサッカーどうこう、戦術どうこうの前に在り方が良くなかった。これは観ている人の心になにも響かないし、応援組も納得出来ないと思う。
爽やかに熱く戦う姿勢。チームの為に身体を張ること。誰よりも走ること。当たり前のことが出来ていなかった。
スコアレスで迎えたハーフタイムに喝を入れた。
このまま負けたら、一生後悔するぞ。もっと戦えよ。こんな試合して勝っても何も残らへんぞ!俺たちならもっとできるぞ!!
後半チームは戦う姿勢を前面に押し出して得点。
後ろもしっかり粘って完封した。
試合後も選手だけでミーティングをして、来週に控える準決勝に向けて出来ることを全部した。
勝ちたいねん。俺がチームを勝たせたいねん。
全ての行動の動機は勝利への欲だった。
準々決勝からは会場が公共施設となり、人が一気に増えた。
学校の友達や昔お世話になったコーチなど、色んな人が僕や橘を応援しに来てくれている。
バス代や電車代を掛けても来てくれる人がいる。その人たちの為にも勝たないといけない。
少しずつ橘を背負う責任の大きさを身をもって感じ始める。
たまらなく幸せだった。
一日でも長くみんなとサッカーをしたい。夢を追いたい。そんな事ばかり思っていた。
迎えた日曜日、準決勝のピッチに立った。
2022.11.6 全国高校サッカー選手権大会 準決勝 vs大谷 5-0 勝利
(当日の日記原文)
「いざ、ファイナルへ」
小学校の時、西京極のピッチで戦うサンガの選手たちをサポーター席で旗を振って応援していた。今日は俺がピッチに立って応援してもらえる。人生って何が起こるか分からへん。誰がこのピッチに俺が立つと思った?信じていたのは俺だけ。そしてそれを実現させた。かっこいいぞ。沢山の人への感謝を忘れるなよ。今日もバックスタンドは人でいっぱいやった。vs大谷 5-0で完封勝ち。立ち上がりからアグレッシブに守備ができた。後半何分かに交代。0で抑える役割は果たせた。先輩方が来てくださって嬉しかった。もっともっと成長したいと思う。試合後初めてKBSの取材インタビューを受けた。凄い経験をさせて頂いた。かいや、けいちゃん、りうと写真撮ったりおしゃべりした。こいつらの分まで勝ちたい。帰りは洛南イオンのしゃぶ葉へ。家族全員で行った。
中学時代Bチームで一緒に頑張ったけいちゃんと試合に出たのは相手ながら嬉しかった。
試合後に受けた初めてのインタビューは緊張した。
とにかく俺がチームを勝たせたいねん。って言うことを伝えたかった。
この動画も是非ご覧下さい。
夢舞台まであとひとつ。自分の行動に心残りがないように。自分が選んだ道を確かめに行くだけだった。
準決勝の翌日の月曜日お世話になった先生に会いに母校の中学校に向かった。
その先生に大学合格と選手権決勝の事をお話させて頂いた。自分の事のように喜んでくれた。
中学の頃は馬鹿ばっかりして散々迷惑をかけてしまったが、今でも応援してくれていることがとても嬉しかった。先生の為に、先生の自慢になるように頑張ろう。そう思った。
そして決勝への1週間が始まった。
火曜日。いつもお世話になっているトレーナーさんの第一子誕生をらみんなでお祝いした。チームの雰囲気は良かった。
水曜日。チームビルディングが行われた。福富さんが仰った一言が心に残った。
「今の自分は過ごした18年間の答え。」
今日からでも勝つ為に1%でも確率を上げることをやろう。山田さんの言葉も心に残った。
木曜日。髪の毛を整えに力の湯へ行った。
金曜日。乃木さんの乃木神社に参拝して勝ちま栗に宣言した。僕が橘高校を全国に連れていきます。
終礼終わりにクラスの友達が寄せ書きを創って渡してくれた。嬉しくて泣いた。
家族やクラス、地元の友達、元チームメイト、親戚など沢山の人が応援してくれている。勝利を届けたい。応援してもらえる感謝を忘れない。
18年間の誇りを持って堂堂と進んでいこう。
山の頂点はもうすぐそこにある。その時にがけ崩れを心配する必要はなかった。
親友のライバルくんを泣かせへん。全国へ連れていく。
そして運命の日がやってきた。
2022.11.12 全国高校サッカー選手権大会 決勝 vs東山高校 0-3 敗戦
(当日の日記原文)
「終わりなき旅」
1ページでは収まりきらへん一日が終わりを迎えた。この先一生忘れることのない思いを胸に今に至る。この舞台に立ち、橘を勝たせることを夢見て毎日死ぬ気で生きてきた。様々な困難に耐え、希望を見失わず、決して諦めることなく進んできた。沢山の事を犠牲にした。多くの人に嫌われた。それでも選手権の為ならって思えた。そんな夢舞台。俺の夢舞台。そこに俺は立った。ウォーミングアップから両チーム応援団の太鼓が響いていた。スタンドがどんどん人で埋まっていく。ロッカールーム。いつの間にか泣いていた。いざピッチへ。痺れた。俺は掴んだ。このピッチに立てたGKは2人だけ。幸せを感じた。応援団の前に立った時、涙が零れそうになった。こんなにも沢山の人が橘高校を、俺を応援してくれている。東山は強かった。0-3の完敗。夢が敗れた瞬間、身体の全ての力が抜けたのを感じて立てなくなった。夏は怒られた。泣くなと。だから必死に我慢した。たけしずるいわ。お前が泣くなよ。ほうせい。本当にごめん。お前の為に戦った80分間やった。父さん、母さん。本当にありがとう。3年間サブやのに試合来てくれて。B戦やのに遠征来てくれて。皆さん本当にありがとう。
勝てなかったけど、追ってきた夢舞台は最高やった。
結果は残せなかった。そこには必ず理由があって、自分たちの責任。甘くて、逃げていた部分があったから最後に勝てなかった。あと少しが届かなかった。
それでも。高校サッカーには夢があった。
中学時代Aチームの公式戦に出たことの無い俺が決勝のピッチに立った。
何が起こるか分からない。いつ、誰にチャンスが来るのかは分からない。
だけどこれだけは言える。
毎日いつ来るか分からないたった一回のチャンスを掴むために死ぬ気で生きてきた。
どこかで諦めていたら、どこかで自分を信じることを辞めていたら、確実にこのピッチには立っていなかった。
この文章を読んでくれている君に伝えたい。届けたい。
絶対にチャンスは来る。だけどそれを掴むか逃すかは自分次第。
いつどこで誰が見てくれているか分からない。人と同じように生きていても特別な人間にはなれない。
毎日毎日自分を使い果たして、もうこれ以上は無理っていう日々を過ごそう。
現状に満足するな。上には上がいる。別の世界がある。
チャンスを掴める人間になってみろ。
俺もまだまだ頑張るから。
目の前でカモンロッソをされたあの屈辱。
目の前で優勝トロフィーを掲げられた屈辱。
これからの僕の反骨心となる。
橘を応援してくれた方、僕を応援してくれた方。全ての方に心から感謝を伝えたいです。
本当にありがとうございました。
選手権終了。最後の使命。
なにもする気力が起こらない。明日から頑張ろうって思う頃には外は暗くなっている。
お世話になった先輩と電話させて頂いたり、2歳からの友達と夜散歩をした。
それでも心は晴れない。心にポッカリと穴が空いている。切り替えないといけない。次に進まないといけない。
そんな思いがかえって自分を追い詰め心を疲労させていった。
お母さんの沢山のママ友からメッセージや動画を頂いた。嬉しかった。
この人たちの為にも戦い続けないといけない。
分かっていても、なにも行動する気になれない。しんどい。もう嫌だ。
毎週恒例の火曜日の小論文。少し元気をもらった。好きな人たちと喋ることは心を癒してくれた。本当に助かった。
敗戦後初めてグランドへ行った。
カテゴリー変更があった。
京都府一部リーグ組(Bチーム)に入った。
選手権が始まる頃にはプリンスリーグの出場時間上位14人から外れ、どこリーグでも出れる登録になっていた。
京都府一部リーグは残り四試合を残して2位につけていた。
残りの四試合が全て上位4チームとの直接対決だった。結果次第ではプリンス2部への昇格戦に参戦できる。
昇格出来ればチーム史上初めての快挙だった。
監督やコーチから特に説明を受けた訳ではないが直ぐに全てを理解した。
俺がこのチームを昇格させないといけない。これが最後の使命だ。
歴史を創ろう。
そんな週の木曜日。心の中で何かが崩れた。
2022.11.17 トレーニング
(当日の日記原文)
「止めずに泣いて枯れるまで。」
ずっと心に大きな穴が空いている。次の使命の為に全力で戦いたいと思っている。だからこそ今の自分に腹が立つ。太田さんに全てを隠さず話した。あの負けをずっと忘れられず引きずっていること。頑張らないといけないことを理解しているのに体現出来ていないこと。気づいたらボロ泣きしてた。負けた後より泣いたかもしれへん。太田さんは色んな言葉をかけてくれた。
「人間は毎日100%では生きられへん。だからその日の全力、もしくは80%でもいいんやで。」
「木の葉でも枝でも幹でもなく、根を育ててきた。だから今は咲かなくても折れても大丈夫。また頑張れる。」
ほんまに救われた。自分を肯定してくださった。太田さんの辛い過去の話もしてくださった。心から前を向いて進もうと思った。ゆっくりゆっくりと歩いていこうと思えた。
ここで日記は終わった。きっとこの時厳しい言葉を受けていたら本当に壊れていたかもしれない。
救われた。そしてら何より嬉しかったのが
「同じ負けなら、大地が出て負けてよかった。」という言葉だった。
様々なご縁が運命のように訪れ、それに救われ、学びながら前に進む。
幸せを感じた。
リーグ昇格戦に向けてチームは四連戦を戦った。
vs立命館宇治高校 2-1 勝利
この日は主力の三年を受験で欠き、僕と三村くんと釣本くんの三人でチームを引っ張って戦い抜いた。ここを落とせばほぼ昇格は厳しくなる一戦をなんとかものにした。
vs洛北高校 2-0 勝利
安定した戦いで勝利を収めた。ここでの勝ち点3は絶対だった。様々なプレッシャーと戦いながら、しっかりと勝った。
vs京都共栄 2-1 勝利
既に優勝を決めている相手に対して恐れてしまった前半。しかし強気な姿勢で挑んだ後半ラストプレーで逆転ゴールを押し込んだ。全員の勝ちたい思いが一つとなって大塚の頭に宿ったのだと思う。
夏終わりの絶不調を乗り越えて3連勝。
そして最終節。相手は因縁の東山高校。
勝った方が昇格戦という最高のレギュレーションで迎えた最後の戦い。
勝ち点の関係上引き分けでも昇格戦だったが、勝利だけを見据えていた。
11月12日の屈辱を晴らすチャンスが来た。最後こそ、俺がチームを勝たせる。強い気持ちで運命の舞台、吉祥院へ向かった。
2022.12.3 京都府一部リーグ最終節 vs東山 1-1 引き分け
いい準備をしてきた。心残りはない。前半我慢の時間が続く。相手のロングスローが思っているより飛ぶ。それでも何とか耐えて0-0で折り返し。58分。右サイドからロングスローが出た。パンチングした。振りすぎて当て損ねた。俺の目の前で3人がゴールカバーしてくれている。俺は何も出来ない。ボールがゴールに吸い込まれていくのをただ見ていた。そりゃ東山は大騒ぎ。俺の高校サッカーはロングスロー一本で終わるのか。15秒だけ考えた。でももう切り替えて声を出して、仲間を信じた。こいつらならやってくれる。84分。暖の右サイドのフリーキック。先週見た事あるよな。三村が押し込んだ。劇的同点弾炸裂。覚えてない。穂積曰くめちゃくちゃ泣いてたらしい。
救う時もあれば、救われる時もある。救われないで苦しむこともある。
最後に俺を、チームを救ったのは苦労人の三村彪人だった。
チームはまた一つに強くなった。
そして初めてのプリンス2部昇格戦へと駒を進めた。
結果はあと1つ勝てば昇格の試合でPK戦負け。
5人目のキッカーは僕だった。5人目までに俺が止めて、最後俺が決めて勝つ。
誰もがこのシナリオを描いたと思う。
期待と信頼を受け取り、嬉しかった。
だけど結果は相手の10本のキックを1度もセーブできずに敗戦。
こうして俺の高校サッカーは幕を閉じた。
国立の舞台を目指していた。
早すぎた。まだ戦いたかった。
でも、もうそれは叶わない。
俺たちは、俺は、負けた。
この受け入れ難い、目を背けたくなるような現実も受け入れて、糧にして前に進まなくてはいけない。
本物の勝者にならないといけない
何が本物の勝者なのかは分からない。
だからこそ、この目で確かめに行きたい。
きっとこの三年間が俺のかけがえのない財産となり、この悔しさや屈辱を忘れずに挑戦を続けることが出来たら、また新たな素晴らしい景色に出会えるだろう。
俺はまだまだこんなもんじゃない。
俺はもっと上に行ける。
もっともっと成長して、強く、逞しくなって、
必ずプロサッカー選手になる。
親友であり、家族であり、ずっとライバルだったあなたへ。
最後は貴方に感謝を伝えたい。
今の僕は貴方が居たから強くなれた。
貴方と比較し自分を苦しめたことも、貴方の高すぎる壁に諦めかけたことも、貴方が居なければって思ったことも、貴方を憎んだことも全ては僕と貴方の財産だと思う。
でも僕たちは本当の仲間に、家族になった。
犬猿の仲だった中学一二年から、毎日一緒に自主練するようになった中学三年。
3回だけ一緒にサンライズにメンバーに入った。
毎日一緒に帰った桃Gからの帰り道。大声で歌いながら帰った。
どっちが出ても、お互い全力でサポートした。
ほとんどの行動を君と共にした。
どんどん遠い存在になっていった高校二年。それでも一緒に自主練したな。
一緒にバカみたいに筋トレしたな。
誰にも言えない愚痴を言ったな。
俺が怪我している時に、貴方があんな大怪我をするなんて思っていなかった。
絶対しんどかったと思う。一人で泣いたと思う。
自分を責めたと思う。
辛くて、辞めたい時もあったと思う。
でもそんな姿はみせずに頑張ってたよな。
でも俺にはお見通しやで。
なんでこんな大怪我してんのにチームの為に頑張れるんやろって何回も思った。
そこには隠されている思いがあるんやろなって勝手に想像してた。
色んな公式戦のアップを一緒にやって、夏頃に少しの間一緒に練習出来て、
俺ら2人でチームに革命起こそや!って言って
俺らで来年こそは橘を勝たせようと約束して、
最後まで支え合ってきた。
プライベートなことも全て話した。
貴方との出逢いは僕を男にしてくれた。
僕に出逢ってくれて本当にありがとう。
あの時、逃げずに貴方と競争する道を選んでよかった。
貴方に出逢えた人生でよかった。
きっとこれからもずっと、俺たちの関係は続いていく。
そうあって欲しいと願う。
ライバルくん。いや、田中萌誠。
本当にありがとう。
ここには描ききれない事も沢山あります。
沢山の葛藤や試練を乗り越えた先に待っていた舞台は素晴らしいものでした。
信頼してくれた監督さん、コーチの皆さん、選手のみんなに心から感謝を伝えたいです。
本当にありがとうございました。
そしてお父さん、お母さん。本当にありがとう。
まだまだ描き足りない事がありますが、最後まで読んで下さってありがとうございました。
これからも自分の夢の為に毎日真っ直ぐ生きていく。
これからも沢山のことを犠牲にして、辛い思いをしながら、決して諦めずに生きていく。
俺は俺を貫いて生きていく。
俺には叶えたい夢がある。見せたい姿がある。その姿を見て欲しい人がいる。
四年後、プロサッカー選手になります。
厳しい道のりです。でも、諦めずに挑戦します。
そこのお前。絶対諦めんじゃねーぞ。
あの日に自分で選んで進んだこの道。
本当に橘高校を選んでよかった。
こんな幸せな高校サッカー。本当にありがとう。
34650字となった「僕の高校サッカー」を購入して読んでくれた皆様。本当にありがとうございました。
苦しい時はこのnoteを読みに帰ってきてください。そして、僕も頑張っているので勇気を持ってください!!!
皆さんの人生が素晴らしいものになりますように。
皆さんの幸運を心より祈っています。