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サピエンス全史と写経

読書感想文を書こうというのではない。
ただ、ネタばれになってしまうような気がしてるが、それも私のただの妄想だろう。

今回、コロナ渦以前から、気になっていたユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」をオーディオブック版で購入して完聴した。

なぜ、時間が有り余っているこの状況でオーディオブックなのかというと、まず私はカタカナが大の苦手だ。 それを読んでいるだけで疲れてしまって途中で面倒になる。

また、その前からのマイブームの写経の練習もあったので、オーディオブックは私にとって好都合だった。

さて、これまた、面白いことに 最高の組み合わせだということが解った。ご興味のある方は試してみていただきたい。

「期待しない偶然の出来事と発見」はこの世でいう「幸福感」をもたらしてくれるものだということを実感した。

少々 注意欠陥多動特性がある私にとって、「写経」は「苦行」だったw
ではなぜ、始めたのか。。。それは ただ、ブックオフへ立ち寄ったとき、可愛らしい コンパクトな筆と墨と硯のセットが売っていたので500円で購入。動機は「インテリアにでもなるかとかな?筆で手紙とか書いたらオサレ?墨絵アートでもやるか?」とかが浮かんだ。。。 インテリアにするほど整然としたうちでもなく、字も汚い、墨絵もしたことない。

買ってから、何をしようかと、ブックオフのはす向かい(同じホームセンター内)の100円ショップで 無地はがきを買おうか、どうしようかと悩んでいたら、そこに「写経用紙」が売っていた。 なぞり書きなら、私でも練習できるというそれだけで始まった。

もちろん数年前に般若心経を読誦(音読)、暗誦(見ないで唱える)というのにハマったこともあった(事情があってそれはやめた方がよいということで一切読まなくなったらまた忘れてしまった)ので、とくに特別なことを始める感覚はなかった。

ただ、気持ち的には、精神統一、一字一字を大切にすることはあったのだけれど、それは大体5行ぐらいしか毎日持たないほどだったので、一枚仕上げるにも結構時間を費やしていた。

別に師匠がいるわけはないが、自分なりに紆余曲折しながらも、この2年ほど不思議と仏道に接する機会が多くなっていたので、自然の流れのように感じていた。

そこで、「サピエンス全史」と出会った。

もちろんすでに書かれてから6年が経過していて、流行に乗り後れていることは間違いないが2019年の秋ごろに、「ベストセラー!」という広告で出会った。

このコロナ渦中の、「何もしないこと」で白い目で見られずにのんびりとやりたいことをやっていても文句が言われない状況が訪れた。

まるで、パンデミックを予言していたかのようなハラリ氏の言葉に頷きながら、「聞きながら写経」を続けていた。

面白いほどい筆が進む。疲れない。。何時間書いてもだ。

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と、上巻が終わるころ、不思議な感覚が訪れた

「あれ?この本って般若心経に似てない?」と言葉が浮んだ。

不増不減、不垢不浄

写経の文字をたどる。耳から同じような意味の言葉が入ってくる。

下巻に移る。

すると「宗教」の章だった。

古代からの宗教を含め、キリスト教、イスラム教、仏教、などの概要を説明しているが、どう考えても仏教、特に「ゴータマ・ブッダ」その人の思考に傾倒しているようにも感じられた。

ある意味、特筆以上に「特集」といっていいほど集中講座になっていた。

中略

そんなわけで、あっという間に長編だけれども楽しむことができた。
内容のレベル的には高校生でも理解できるぐらいだと思うが、その一つ一つの歴史のストーリーに興味を持つかどうかで、受けるインパクトは大きく変わってくるだろう。

ただ、私のようにツボにはまる人もいるわけだ。

ハリーポッター7巻が終わってしまったときの喪失感によく似た「サピエンスロス」を味わっている。が、これもすぐになくなるかもしれないし、私の血肉となるかもしれない。

この数日間で得たことは、知識だけでなく、平静や持続力、思考力など、多くの習得にもなった。

まして、これからの人生のなかで「ヴィジョナリー(選択的未来透視)」「愛の探究者」と、新たにヴィパッサナー瞑想者として「祈り人」になる道を見つけることができた。

仏教の写経のお作法ではないかもしれないけれど、間違いなくこれで感覚は研ぎ澄まされる。

天野Sagjo


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