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高校野球でペッパーミルが賛否。議論すべきは言い分ではなく……。
センバツ高校野球で起きた出来事が、物議を醸しています。
今、侍ジャパンの選手たちが流行らせている〝ペッパーミル〟のパフォーマンス。それを東北高校(宮城)の選手が行ない、審判から注意されたのです。
これに対し、東北の佐藤洋監督は「なんで、子供たちが楽しんでいる野球を大人が止めるのか」と問題提起。「駄目な理由を知りたい」と訴えました。
すると、高野連は選手の気持ちに理解を示しつつも「不要なパフォーマンスは従来より慎むようお願いしてきた」との見解を発表。
ネット上では、まさに賛否両論が巻き起こりました。
「高野連の考えは古いのではないか」
「相手に失礼だから、注意は妥当だろう」
「そもそも、ガッツポーズとの違いは?」
などなど。
さて、あなたはどう思いますか?
僕はというと……、
佐藤監督と高野連、どちらの〝言い分〟もわかるけど、どちらの〝言い方〟も足りていない気がしていて。
というのも、互いに〝自分主語〟の主張ばかりしているからです。
あらためて、両者の言葉を検証してみます。
東北の佐藤監督は「自分たちが楽しんでいたのに」という風に聞こえます。しかし、このように言っていたらどうだったでしょう。
✅あれは、大舞台でのびのびプレーするためのものだった
✅また、高校野球は自由で楽しいというメッセージを発信したかった
✅ただし、あの場面は相手がエラーしたあと
✅パフォーマンスのタイミングは考えるべきだった
印象は変わりますよね。
一方の高野連。
「パフォーマンスは、自分たちが理想とする高校球児の行為ではない」という言い方でした。また「もともと決まっていたことだから」という杓子定規な答えにも聞こえます。
これだと、佐藤監督の言う「駄目な理由」としては弱い。では、このような説明をしていたらどうだったでしょう。
✅高校野球は教育の一環として行われ、フェアプレー精神を重んじてきた
✅その方針を貫いてきたからこそ、現在の発展がある
✅今回は、あのパフォーマンスを不敬に感じる人がいるかもしれないということで注意させていただいた
✅ただし、時代が変化しているのも確か
✅こうしたパフォーマンスについては今後の検討課題としたい
こちらも違う印象になります。
過去の記事でもお伝えしてきましたが、近年は多様化社会。様々な立場の人がいて、様々な考えを持っています。
立場によっては、その言葉で不快になるかもしれない。
立場によっては、その表現が誤解を生むかもしれない。
立場によっては、その主張は自分本位かもしれない。
立場によっては、その説明では不親切かもしれない。
どれだけ熟慮し、配慮できるか。人に優しい文章にしていけるか。
今回の騒動は、そんなことを考えさせられました。
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