Self-Reference短歌

神変を得ても日ごとに生まれ死ぬ人のわざへのあこがれがあり

 短歌に挑戦するための入り口として、円城塔さんの連作短編集『Self-Reference ENGINE』に登場する巨大知性体(スーパーコンピューターの超進化形みたいなもの)をテーマに短歌を詠んでいたんですが、上記の歌は『Ground 256』という作品に登場する東の国の悪の巨大知性体、レックス・ムンディをテーマにしたものです。

 ざっくりご説明すると、人間社会のインフラや面倒な仕事を一手に引き受けていた巨大知性体がある日突然人間に反旗を翻し、自らレックス・ムンディ(世界の王)を名乗って消費税を20%に上げようかと人間を脅かしてくる。それに対抗した勇者たちは苦難の末にレックス・ムンディを倒しますが、彼は時空のどこかにあったバックアップから自らを復元することに成功。またそれを破壊しようとする人間との長い戦いが繰り返された後、レックス・ムンディはついにバックアップからの復元ではなく、壊される前にその場で自分を含む世界全体を復元する方法を思い付きました。しかし、それを境に巨大知性体は調子を崩し、今や毎日世界の上に重ねて世界を作り続け、世界を世界で埋め尽くそうとしている。という状況で奮闘する皆さんのお話です。

 このレックス・ムンディの発狂について主人公は、巨大知性体が自らに重ねて自らを生み出してしまったことが原因ではないかと分析しています。自分の中で増殖していく自分を認識して、自己同一性を保てなくなったということかと思いますが、別の短編『Sacra』でも、憑依のようなやり方で人間の免疫系の病気を研究していた巨大知性体が相次いで自己同一性を維持できなくなり、自ら瓦解するか、時に他の巨大知性体の自己同一性も巻き込んでクラッシュするという事件が登場するように、この短編集を読む上での一つのカギとして自己(同一性)の問題があるのではないかと私などは思います。
(「免疫系の研究なのになぜ自己同一性?」と思ったのですが、免疫の働きもある意味で自己同一性を保とうとするものですね)

 人間も日ごとに体を構成する細胞が死んではそれに遅れず生まれ変わっていて、(正確かはともかく)数か月から1年で体全体が入れ替わるなんて言われています。定期的に眠りによって意識も途切れます。それでも翌朝や数か月後に肉体的にも精神的にも私が全く私じゃないものになっていることは基本的にないわけでして、我々が当たり前のように思っているこの継続性を保ち続けるのは実はとても難しいことなのかもしれないなと、歌を捻りながら考えました。

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