ロシア・ウクライナ危機に潜む距離
*現時点(2022年2月28日早朝)で、まさに現在進行中の国際的な危機・戦争・侵攻であり、国際政治等に疎い一般市民が一般報道により知り得る範囲の情報を元に記す記事です。ご了承下さい。
*また、参考とする動画、Web上の記事の信憑性の検証作業は残念ながら現時点で行っていません。普段からおおよそ信頼に値すると判断して利用している情報ソースからのものもあれば、ネット上の簡単な検索を通じて行き着いたまま、掲載しているものもあります。不適切な情報があればご指摘下さい。
*そのような情報収集に基づく思考が、現代における「社会」と「自分」との距離を形作っている、その思いによる、試験的な考察(あるいはその考察のための準備)にもなります。
1. 主要な距離
「ロシア」と「ウクライナ」の距離
もちろん、今回の、一番の距離は、「ロシア」と「ウクライナ」という国家間の距離に尽きる。
この、まさに、国家間の距離がどうあるべきなのか、どうあり得るのか。
それは、定常的に保てないものなのか。常に、変容し続けるものなのか。
「核抑止力」なるものを背景に、ようやく均衡を保てるものなのか。
一体、「国家間の距離」とは、何なんなのか?
それは、単なる、物理的な境界線?
その物理的な境界線を引くのは、文化的な境目? 言葉の違い? 民族の違い? 通過の違い? そもそも、そんな要素で、明快な境界線が引けるのか?
「プーチン大統領」と「国家の意図」の距離
今回の、世界を揺るがせているこの危機を生み出しているのが、ロシアという「国家」なのか、プーチン大統領という「個人」なのか?
ロシアという国家の問題になるが、「国家」と「個人」の距離も背景にあると言っていいだろう。
「NATO」と「ロシア」の距離
ロシア、あるいは、プーチン大統領が、ウクライナに侵攻する目的として、「NATOの東方拡大を阻止したい」ということがよくあげられている。
あまりにも色々語られてるので敢えて省くが、「NATO」v.s. 「ソ連を中心とするワルシャワ条約機構」という対峙関係(距離)のうち、後者「ソ連を中心とするワルシャワ条約機構」が、ソ連の崩壊と共に消え去ったわけだから、関係としてはバランスが悪くなる。
それがロシアの言い分らしい。
そのロシア、プーチン氏の言い分を支持するつもりは毛頭ないが、片方からみると、その「距離」が非対称に見えることは事実であろう。
「ウクライナ東部地域」という距離
不思議なことに、ウクライナ東部、ドネツク地域・ルガンスク地域の一部は、親ロシア系住民が多く、ロシアが既に、「人民共和国」として認め、パスポートも付与し、コロナワクチンもロシア住民として供与しているとのこと。
詳細は測り得ないが、国際的な境界線として引かれている国境線が、時として、住民の思いと一致していないことはあり得る。
世界各地で、分離・独立の主張を掲げる地域は多い。
そういう、「国家に従属することを疑わない地域」と「国家に従属しない、別の国・地域」という間の距離にある「国家に従属していると思われながら、実は分離・独立を願っている地域」が存在する、というのも、世の常である。
2. 背景としての距離
「西側諸国」と「東側諸国」という構図に基づく、地理的かつ歴史的な距離
この辺りも、テーマが重すぎるので、思い切り端折るが、現在プーチン大統領が問題視する、NATOの東方拡大は、そもそも、米ソ冷戦時代のに生まれたものだ。
しかし、旧ソ連とアメリカ、という大国同士の距離から、「西側諸国」と「東側諸国」という大きな距離が生まれた歴史も興味深いが、それが未だに解消されていない…という事実も重い。
一般的に冷戦は第二次世界大戦終結の1945年からソ連崩壊に至る1989年までと言われている。
さまざまな距離がテーマとなるだろう。
「NATO」と「ワルシャワ条約機構」との距離
「NATO」と「アメリカ」との距離
「ロシア」と「ソ連」との距離
ロシア自体、そんな、冷戦構造の終結に伴い誕生した国家だ。
「ソ連」から「ロシア」へ。そこには、連続性と隔たりと、双方が同居しよう。
「西洋文化」と「ロシア文化」との距離
しかし、そもそも、ロシアも西洋文化が密に交流する地であった。
あるいは、ヨーロッパとアジアの間に存在する距離としての国家であった、とでも言っていいのか?
3. ロシア・ウクライナ危機の内部にある距離
「親ロシア派」と「親ヨーロッパ派」の距離
勝てば官軍の世界で、一国家の政治の行方の正当性を他国の一市民が判断するのは難しい。
キエフ大公国以来の長い歴史がある。
理解可能なのは、ソ連崩壊後のウクライナの歴史としても、親ロシア派とヨーロッパ合流希望派両者が存在し、激しく対立してきたことだ。
https://news.ntv.co.jp/category/international/c2af5f08cf8a44329dfa670a4c71157a
ウクライナ国家の内部にも、当然、いろんな距離が存在する。
「ウクライナ内ロシア系住民」と「ロシア」との距離
そして、その親ロシア派住民は、ロシアとの距離を縮めようとする…
4. ロシア・ウクライナ危機の周辺にある距離
「クリミア半島」という距離
実は、ウクライナにとって戦争は始まっている。
クリミア半島自身が、「ロシアとウクライナの距離」を象徴する場所であり、事件でもある。
「ベラルーシ」という距離
元々、ソ連崩壊に伴い、独立宣言しながら、いろんな経緯を踏まえ、結局ロシアと連合国家を形成し、ロシアとの関係を深めているベラルーシ。
ロシアにとっては、「ロシア」と「ヨーロッパ」の間にある、「距離」としての親ロシア派国家であり、ウクライナにとっては、「ロシア」から「ヨーロッパ」へ移行したいが失敗するとああなる、移行する「距離」の中にある、反面教師のような国家かも知れない。
「ヨーロッパできた旧ソ連構成国」か「親ロシアを貫く、あるいは、無理やり貫かされた旧ソ連構成国」との距離はどうなんだろう?
「黒海」という距離
極寒の地にあるロシアは歴史的にも不凍港を求めている、という事実がある。
海、港、という場所、施設が、「ロシア」と「世界」をつなぐ重要な距離でもあった訳だ。
ロシア内部の距離
今回、下記、「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】(2022年2月9日)が、興味深かった。
日本のメディアは、欧米よりの視点から解説することが多いが、敢えて、ロシアのロジックで考えるとどうなるか、これを知りたかったが、まさにそれに応えてくれている。
どんな距離も、そこに問題が発生している場合、その距離が相手から見たとき、どう見えるか、を理解しないと、問題の糸口すら見えない。
詳細は省くが、ロシアの一方的な観点から眺めれば、歴史的に、ロシアは他国から侵略されてばかりいる、という苦い思い出と、領土が広いゆえに、緩衝地帯がなければ国防は難しいという脅威があるということか。
であれば、本来、そのロシアの本音と、欧米に合流したいと願うウクライナの国家としての本音とを、詳にした上で、NATO加盟国 v.s. ロシア、という構図を変容させるしかないのではないか、と思うのは、素人すぎる感想であろうか。
「ロシア」と「トランプ前アメリカ大統領」との距離
しかし、相変わらず、トランプ氏の発言と行動には驚かさせられる…
元々、いろんな噂が囁かれている、トランプ氏とプーチン氏の距離でもあり、「国家間の距離」と「個人の距離」との「距離」というのも、実に厄介なテーマであることが痛感される。
「ロシアとウクライナの距離」と「他国」の距離
NATO構成、およびその歴史的背景として、主役でもあるアメリカは、その対ロシアとの関係で注目されるのみならず、アメリカ国内でも、これを機に、「バイデン現アメリカ政権」と「トランプ前アメリカ大統領」との距離が注目されてしまう。
日本も、北方領土を抱えており、ひとごとでは決してないし、今回、全面戦争ともなれば、経済的な影響も甚大であるはずだ。
「戦争」と「オリンピック」の距離
オリンピックを「平和の祭典」、と形容することもあるようだが、その反動として、オリンピック後に戦争が起こりやすいのか。いや、戦争等からの現実逃避で束の間の世界の一体感を演出するための大規模商業イベントとして敢えてオリンピックを開催しているのか、どちらかわからないが、2014年ソチオリンピックの後に、クリミア半島への侵攻が行われた。
元々、西側諸国と東側諸国という距離の構図を元に、オリンピック参加ボイコットなどの、政治的な意思表明に使われることも多い。
「オリンピック」自身が、多数の国家が集う国際的なイベントであり、かつある種の「戦い」であることは事実だ。
日本も、かつて大会返上・中止に巻き込まれた。
「ナチスドイツ」と「オリンピック」の距離についてもよく語られる話題だ。
と問う考察もある。
http://ir-lib.wilmina.ac.jp/dspace/bitstream/10775/179/1/KC34_067.pdf
とはいえ、「オリンピックのもつ暴力的性格」は確かにあるかも知れぬが、その「暴力的性格」は、良くも悪くも、「大規模商業イベント性」と「エンターテイメント性」をも兼ね備えている。
言うなれば、オリンピックは、ある種、何重かの意味で「距離」の祭典、と言ってもいいのかも知れない。
「ロシア」と「中国」の距離
さらに、中国の台湾戦略への影響を懸念する説についても、いろんな議論が飛び交っている。
5. 戦争という距離
「危機」 --> 「侵攻」 --> 「戦争」という、距離の様態の変化
国家間の「危機」が、いつの間にか、「侵攻」と呼ぶ他のない事態に陥っている。
ウクライナも応戦する形で、既に「戦争」となった。
「危機」を、解消するか、あるいは少なくとも「危機」は「危機」として、きちんと管理運営する術は無いものか。
「戦争」と「サイバー戦争」の距離
既に、侵攻前から、ハッキングや、マルウェアの散布など行われているとのこと。それで、実際の戦争が回避されるなら、多いに推奨したいくらいではあるが…
メディアを通じた、戦争の悲惨さ、戦場に向かう前に最後の子供との別れを示す動画なども話題になるが、その信憑性を問うものもいる。
シリア移民が国際的な問題となっていた頃、幼児の遺体の写真が、世論を動かすきっかけとなった事実もある。
これらは、サイバー戦争というよりも、「戦争」と「メディア」の距離の問題と言えるかも知れないが。
そして、それは、「戦争」と「世界中の一般市民」との距離をつなぐ問題でもある。
「戦争」と「経済」との距離
今回の、危機/侵攻/戦争が、どのように動き、最終的にどう経済に影響するかは、不明だ。さまざまな予測はあるが、予測可能な戦争などない。
そもそも、ロシアへの経済制裁で、ロシアに揺さぶりをかけられるのかどうか。
無論、直近二度の過去の大戦も、結果、世界の経済に大打撃を与え、そこから新たな世界秩序再編にもつながった。
そもそも、古代から、戦争と経済は密接なことも言うまでもない。
ここまで様々に記した「距離」が今回の、危機/侵攻/戦争を誘発したといえるが、その誘発した「距離」の一つに、当然「経済的な距離」も含まれれば、結果としての「経済的な距離」も産む。
6. 望むべき未来について
意識、距離、暴力
前回、「親子の距離」として記事を書く中で、下記のように記した。
二つの異なる人間個体だけでなく、二つの国家間においても、お互いを相手として認め意識した瞬間から、距離が生じる。そして、そこに、暴力的なパワーが発生しかねない。
その暴力的なバワーを、幸福な形に昇華させ得るか、悲劇としての戦争に費やすか。いや、そのどちらの究極に至ることなく、親子の関係と同様、ある種の揺らぎを温存したまま、変化していくこの「距離」を見据えるしか無いのではないか。
国家間の権利関係としては、公平にあるべきだが、親子の「距離」がそうであったように、それはある種、非対称な距離となるかも知れない。
時として、一方的な、思いの届かぬ「距離」となることもあるだろう。
(ただし、国家は、どちらかの国が、相手の国から生まれて育っていく、という関係とは違うため、もちろん、単純に親子の関係を当てはめるのは拙速であることは言うまでもない。)
一方的に、どちらかが我慢せよ、ということではない。
多少の時間をかけ、周囲の協力も得ながら、お互いの健全な成長を促進するために、国際的な「距離」を調整する、真に有効となる具体的な国際的機関と、国際的な新たな哲学が必要なのかも知れない。
現状の距離をどう変容させうるのか? 「危機」 --> 「侵攻」 --> 「戦争」 の先にあるもの
具体的には、親ロシア系住民の多いと言われるウクライナ東部地域をロシアに譲る、という落とし所がないと、停戦に至らない、とも言われているようだが、
「危機」 --> 「侵攻」 --> 「戦争」 --> 「停戦」
とせず、本当に、「危機」を、解消するか、あるいは少なくとも「危機」は「危機」として、きちんと管理運営する術は無いものか。
言ってみれば、「距離」を「距離」として認め、それを正しく付き合うこと。
先にも記したが、様々な「距離」が、「危機」 --> 「侵攻」 --> 「戦争」を誘発した。が、その結果、基本、それら様々な「距離」は縮まらない。
ロシア側の一方的な、「NATO」と「ロシア」の適切な距離は確保できるかも知れないが、あまりにも非対称で歪みすぎている。
むしろ、様々な「距離」は縮まるどころか、決定的に乖離してしまう可能性の方が高いだろう。長い歴史の中で、その決定的に乖離した「距離」を育み直すことは可能だろうが、気の遠くなる時間が必要とされよう。
長い歴史を持つ国家同士の「危機/侵攻/戦争」であり、他国の一介の中年男性に解決の糸口がある、と夢想している訳ではない。
が、国家間であれ、親子間であれ、民族間であれ、世代間であれ、その関係性の上では、様々な「距離」が、内部・外部・周縁に存在することは、50を過ぎた身として、容易に理解できる。
直接、今回の危機/侵攻/戦争の解決に寄与できなくとも、もっと小さなスケールで構わない、別の場で似たような困難に出くわして戸惑っている若者たちに、少しでも役に立つ知恵として、「距離」と言うキーワードを使って、何かしらのヒントとすることは出来ないか?
それくらいの、夢想は許されて良いかと思う。
ロシア・ウクライナ危機の、早期終結を心よりお祈りいたします。
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