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「note」に書いたことは、脳に深く刻まれる。

義母が介護施設に入所してから、1週間以上たつ。

便りがないのは良い知らせ

とはよく言うが、少し気になっていた、そのタイミングで、役場から義母の新たな「介護保険」の認定書が届いた。

認定書が届いたことを、ケアマネさんに連絡した夫が、義母の様子を少し聞いたらしいが、どうやら機嫌よく過ごせているようだ。


介護施設へ入所のその日、夫の運転する車に乗って、私も義母に付き添うことは予定になかったが、行って良かったと、つくづく思う。


家を離れるそのタイミングで、義母に思いの丈を伝えることができたから。


ありがとう。


と。


私は、ここ最近、愛情を込めた思い、思いやりを込めた感情は、なるべく早いうちに相手に伝えるようにしている。


伝えないと後悔することもあるし、伝えるタイミングを逃すこともあるから。


だから、今年3月に亡くなった義父が、昨年容態を悪くしたことから弱気になったのか、初めて、私たちに感謝の気持ちを伝えてくれた時に、私もその時感じた思いの丈をそのまま伝えた。

傍にいた義母にも伝えた。


亡くなる直前にも、義父とじっくりと向き合って、思いの丈を伝えた。


今回、介護施設に入所することになった義母にも、一度は感謝の気持ちは伝えたが、嫁いできて六十数年あまり経つ嫁ぎ先をあとにする義母の立場を、私なりの視点から感じた思いの丈をそのまま伝えた。


恨みつらみ、やっかみ、罵りあいは、深い溝を作って取り返しがつかないこともあるけど、思いやり、愛情のこもった言葉は、相手に伝えていいはず。


言葉にしないと、相手に伝わらない。

感じたその時に伝えないと、タイミングを逃すこともある。


伝えるタイミングを逃し、後悔したことを、「note」に書き記したために、より深く心に刻まれたように思う。

「note」に書き記したあの日から、私はその思いを強くしてきた。


だから、義父母との「別れ」に、じっくりと向き合うことができた。

実家とは疎遠で、父が定年を迎えたタイミングで、両親が故郷であるこちらに帰ってきて数年たったある日。

父方の墓参りへ行ったときに、偶然父方の祖母に連れられた父との再会を果たすが、父は糖尿病の合併症である認知症を発症していて、私のことが分からなかった。


父とゆっくり話せたのは、それから10年以上たってから。
およそ3年前のこと。


父の亡き骸と対面した時だった。


その当時の思いを、「note」に書き記した。

時を同じくして、母方の祖母にも「感謝の気持ち」を、結局は伝えることができなくて後悔した当時の「note」に思いを書き記している。

祖母は、父の一年後(今から2年前)亡くなった。


対して、義父母との別れは、じっくりと向き合うことができた。

特に義父には、亡くなる直前に、実子である義兄や義姉、夫以上に、思っていることを全部伝えた。


「あのとき、オレは『ありがとう』って伝えるのが精一杯やったけど、お前が全部言いたいこと言うてくれたから、ありがたかった」

夫のその時の気持ちを、最近聞いた。


もしかすると、夫の言いたかったことを横取りした形になったのかもしれないけど、言わなきゃ後悔すると思って、思いの丈を全部ぶつけた。


もちろん、恨みつらみは置いといて。


義父に長々と話しかけたのは、あの時が初めてで最後だったけど、血のつながり以上の何かしらが最後にのこった気がする。

義母に対してもそうだった。

実子である義兄や義姉、夫とは又別の視点から私なりに感じた思いの丈を義母に伝えた。

夫が義母に何も伝えることができなかったのは、六十数年余り過ごした地元に向かって手を振る後部座席に居た義母の姿を、確認したからかもしれない。

後になって聞かされたが、またしても、義母に対する思いの丈を、夫の代わりに伝える形になった。


義母が施設に入所するにあたって、付き添いとして同乗した車中での義母との会話を再現しながら思いを書き記した前回の記事で、コメントを頂いて、改めて思いの丈を言葉にして伝えることは、全てのタイミングが合わないとできないことだと実感した。


簡単なようで難しい。


伝えたいことがあるならば、言わなきゃ伝わらない。

伝えるタイミングを逃すと、一生後悔することもある。


「note」にその思いを書き記し、思いが深く刻まれたから、迷うことなく義父母に伝えることができた。

どちらかというと、思いを言葉にして伝えることが苦手な私が、それを実行できたのはすごい。


先日、私が思う娘に対する、素直な気持ちを伝えようかと、「note」に書き記したことも実行できた。


あとは、年を重ねて感じる、実母への感謝の気持ちをいつか伝えなきゃと、今まで何度か書き記したことがある。

実母とは、過去に恨みつらみ罵りあいで、溝は深まった。


恨みつらみ罵りあいは、何も生むことがない。
深い溝ができるだけだ。


対して思いやりの言葉は、何かしらを生む。


義父母に伝えることが出来たように。

娘に伝えることが出来たように。


母に伝えることができるだろうか。


書き記すことで、母に対する思いも、また深く刻まれるのかもしれない。

※「note」を初めた頃に書いた過去記事で、今以上に読みにくいです。
3年続けていると、多少なりとも、読める文章を書けるようになってきた気がします😅


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