我が(成人した)息子ながらにして、すごいなって思うこと。
気がつけば、息子はいつも誰かしらに喋りかけられる。
誰かが息子に寄ってくる。
幼い頃から、そういうところがあった。
親しい同級生はたくさん居たし、先輩からも頼りにされ、先生からもよく話しかけられていた。
今日も、20ほど年のあいたアルバイトの人と喋っていた。
「え?その人と喋るん?」
私からすると意外な人とでも、いつの間にか喋っている。
ピンチヒッターとして山椒採りに現れる息子は、いつもは除草剤など薬剤散布を夫としていて、顔は知れ渡っているが、アルバイトの人たちとは出会わない。
対して、毎日アルバイトの人たちと居る私は、談笑することはあまりない。
いや、これでも、昔に比べれば、皆の会話に加わったり、自分から話しかけることも出来るようになったのよ。
「note」のコメント欄で、様々な方と交流させて頂いたお陰もあって、コミュニケーション能力も培われていると思うし。
だけど・・・。
昔から、他人が話しかけづらいバリアを張っちゃうところは変わらないし、何より基本ひとりが好き。
作業が始まると、作業に集中したい派だし、年をとって作業効率が落ちたといえども、仕事のテンポは沁みついているから、そう簡単には変えられない。
ただただ、ひたすら無口で、作業に夢中になる。
それにね・・・・。
ただただ暑い。
暑くて、喋る気力がない。
そのことを思えば、息子はすごい。
息子が山椒採りに現れるたびに、そう思う。
今日も、目の前で笑い声まで聞こえてきて、我が息子ながら、すごいなって思った。
この間は、私と同い年のアラフィフのおっちゃんと喋ってたものね。
農業を継ぐことになるまで勤めてた会社で、営業まわりをしていたせいもあるのかな。
だけどさ、そういうふうに息子を育てた私も、すごい!
灼熱の畑で何気に感じた今日のできごと。
息子と変わらない20代から、上は80歳か81歳のじいさん、ばあさんまで、20人足らずのアルバイトの人たちの中で。
いや、育てたのは私だけではなく、周囲の人皆に育てられたのは分かっているけれど。
それに、既に25歳になった息子のことを「すごい」だなんて、いつまで親バカぶりを発揮するんだろうね。
でも、その会話力を生かして、彼女なんてできたら、もっとすごいのに・・・ね!