義母のひと言に救われた日
義母が、グループホームへ入所して1カ月ほどたつ。
その間、私たち夫婦は義母に会いに行かなかった。
山椒採りで忙しかったことが理由のひとつだが、施設に慣れようとしている時期に会いに行くと、義母の気持ちも又揺らぐかもしれないという夫の見立てからだった。
入所当初は夫に2回ほどかかってきた電話も、一切かかってこなくなった。
「季節の変わり目は、季節に合った服を持ってきてもらうことになります」とケアマネさんが仰っていたので、そろそろ連絡があるかもしれないし、山椒採りを終えることができたので、仕事の合間を見て会いに行こうかと、夫と話しているところだ。
「お前らに迷惑をかけるから、早くワシを施設に入所させてくれ。」と言う一方で、さいごまで入所を躊躇していた義母。
「あらまぁ!この味付け、うまいことしてる!美味しいわぁ」と、私が用意する夕食のたびに、義母が毎日口にするようになったのは、グループホームに入所の数週間前のことだった。
「ほんま、上手い事味付けしてるなぁ」
「ワシは、ほんま、幸せや。こんなに美味しい料理が食べられるなんて」
「この、人参、ほんま、キレイに揃って切ってあるなぁ!」
「kakiemonさん、どこかで修行してきたの?!ほんま、料理がうまいな!」
義母がうんざりするほど私を褒めるなんて、嫁いできて30年近くのあいだに、まぁなかったし、20年ほど家族皆の料理を作っていた時期もあったにもかかわらず、料理に関して横から口を挟まれることがなかった代わりに、褒めれもしなかった。
だから、認知症になったことを自覚して、自分で食べるものを用意できなくなった義母が、私をおだてて食いはぐれのないように、言ってるだけだと思っていた。
決して料理が上手といえない義母が言葉にするにせよ、わざとらしく聞こえたし、うんざりしていた。
「修行」の言葉が出てきたときには、イライラは頂点に達しようとしていた。
「修行」って、ここで「修行」したんやぁ!
自分(義母さん)が、少しも料理しようとせえへんかったやんか!
忘れたんかぁっっっ!
だけど、あの日だけは違った。
夕食を終え、いつも通り台所を通ってお風呂に向かうとき、またもや義母のわざとらしい声。
「kakiemonさん、この料理・・・・」
もうええって!また始まった・・・。
うんざりして、くすんだ気持ちのままお風呂へ向かった私。
その日はひどく疲れていた。
仕事から帰ると、一足先にデイサービスから帰っている義母が居る手前、すぐにご飯を作り、薪を焚かなければならない。
慣れていることとはいえ、仕事が休みが取れない日が続くとひどく疲れる。
それに、柔らかいものしか食べることができない義母のことを、多少なりとも意識してメニューを考える日々。
もともと家事が苦手だった義母とはいえ、仕事が忙しくなってくると『なんで?』が先立つ私。
浴槽に浸かると、無意識に涙がぽろぽろ溢れ出た。
泣くのは久しぶりだった。
そこで、初めて自分がひどく疲れているのだと気付いた。
なんで?
なんで?
私疲れてるんやで。
膝、痛いのに、山椒採りしてるんやで。
膝、大丈夫かなってビビりながら仕事してるんやで。
手抜き料理といえども、仕事から帰ってきて、休む間もなく、夕ご飯作るのん大変なんやで。
なんで、あんたらは・・・。
別の農作業をしている夫が仕事を先において、アルコール片手に自分の好きなものでお腹いっぱいにして、作った料理を次の日に食べたり、息子が、友達との約束を優先して、作った料理を次の日に食べることを、普段はスルー出来るのに、その日はできなかった。
ふたりして、冷蔵庫に私が作った夕食を放り込んだ事実を知ったとき、悲しかった。
ほんっと、腹が立つ!
なんで、娘がおらへんの?
私の料理を、一番美味しそうにたべてくれる娘に帰ってきてほしいと、初めて思った。
娘・・・帰ってきてえや・・・。
娘がまだ実家にいた頃、市内の高校へ遠距離通学で、部活に励んでいてお腹を空かせて帰ってくることが多く、いつもおかずの残り物まで食べてくれた。
夫や息子よりも美味しそうに食べてくれた娘。
思っても仕方がない事を思い、泣いた。
そんなとき、スッと入ってきたのが、義母の声。
つい先ほどまで、くすんだ気持ちでしか、義母の言葉を受け取ることができなかったのに、ほんと人間って都合のよいようにできている。
ほんま、美味しいな
浴槽の中で、義母の言葉がリフレインする。
義母は、本当に美味しいと思ったから、美味しいと言ってくれたんかな。
はじめて、「美味しい」が素直に私の心にスッと入ってきた。
その日は、義母の言葉に救われた気がした。
もう二度と、義母に料理を振る舞うことはないだろう。
義母は8年ほど前に、畑仕事を引退して、義父の分と自分の分をずっと料理して食事を用意していたが、さいごは同じパターンの料理ばかりを作っていた。
義父が料理を口にするたび、「美味しいか?」「味付けはどう?」としつこいくらいに聞いていた。
「美味しい」と返ってくると、心からほっとした様子だった義母。
「美味しい」は、義母が義父に言われたかった言葉だったのだろうか。
だから・・・。
とも、思った。
年が明ける頃には、全く料理をしなくなって、再び義父母の食事を8年ぶりに用意することになって、本音は気が重かった。
だけど、入院前に随分食が細くなっていた義父が、「美味しい美味しい」とおかゆを食べてくれ、柔らかく炊いたかぼちゃをひと切れふた切れ食べてくれ、さいごは、義母が「美味しい」と繰り返し言ってくれたことは、忘れられそうもない。
実の親には、お粥ひとつ振舞ったことがない。
普段は年に数回しか顔をみせない義姉が、容態が悪くなった義父や義母にと、タッパに入れたおかずを、時々持ってきたことがあるが、嫁の立場の私としては、複雑な思いがする反面、羨ましかった。