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ぼくは、そうやって救われてきた。 #フォトエッセイを作ろう

一人では非力だけど、
私にもできることがある。
 
信じること。
祈ること。
辛くても笑顔を忘れないこと。
 
今日よりも、
やってくる“明日”が幸せだと祈る。
幸せだと信じる。
 
その笑顔が誰かの心を、
一瞬でも癒せるように。

下記noteより


このポエムのイメージに合うような写真を、という、七海さんのお題企画。

「#フォトエッセイを作ろう」。
お題のエッセイやポエムは随時更新されるとのこと。
これはその、第3弾のお題(一番上のポエム)へ参加させていただきます。








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明日を迎えることに、前向きになれないことがある。
どうにも独りな気がして心細くて、風が冷たくて優しくなくて、目を閉じれば不安に押しつぶされてしまいそうだ。


悲しくていたたまれなくて、時間があれば写真を撮りに行っていた。

薄曇りの午後、黄色いコスモスはつよい風に翻弄されているように見えたけれど、きっとその身体を大きく揺らすことで風をいなしてやり過ごしていた。細く頼りないその茎に秘められた力づよさを知った。

元気いっぱいに花のときを過ごし、あとに続く子たちを見送ろうとしている今。彼らの黄色い彩りがまた、野を染めることを信じて。遠くへ、遠くへ、飛べ、と、さいごまで立ちつづける姿に変わらない明日への希望を見た。


大げさだと思う?
ぼくは、そうやって救われてきたと思っている。
独りであるようで、そうではなくて。
ひとりでは非力だけど、周りを見わたせばきっと、だれかがいる。
計り知れない力になる。
それを、写真を撮ることで知ったと思っている。

そして、
そうやって、
明日を信じることができるようになったら、
笑顔でいよう。

その笑顔が誰かの心を、
一瞬でも癒せるように。





自分の写真がフォトエッセイになるかもしれないなんて素敵。
七海さん、ありがとうございました。







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お付き合いありがとうございました。













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