品格が欲しくなった、アラフィフの私。
動きがしなやかで、しゃべり口調が柔らかく、優しい感じの上品な人に憧れる。
芸能人でいうと、浜ちゃんのテレビ番組「プレバト」の「俳句」のコーナーに出てくる、夏井いつき先生のような。
いつも着物を着ていらっしゃるから、一層上品さを際立たせるのかもしれないが、初めてテレビでお目にかかったときに、目上の方に失礼かもしれないが、「なんて可愛らしい」と印象的だった。
若い子に対する「可愛い」とは別かもしれないけど、年の重ね方による「可愛らしさ」、「愛らしさ」といったところだろうか。
時には、番組のゲストにツッコミを入れたりしてキツイことも仰るが、度をわきまえていらして、普段は言葉に丸みがあって丁寧なものの言いかたをされる。
私も、こんな人になりたいなと、初めて自分の理想の年の重ね方を意識した芸能人なのかもしれない。
「note」をはじめて特に口からでる言葉は、その人となりを表すと感じてきた。
「note」でも、言葉と向き合った記事をいくつか書いてきた。
言葉の大切さを人並み以上に感じてきたのは、もともと喋るタイプの人間ではなかったからかもしれない。
相当心を開いた人としか会話をできなかった。
だけど、本来の自分は喋りたい人だったのかもしれない。と、最近思うようになった。
お喋りが楽しいと思うこともあるし、「note」でのコメント欄での人と交流をもつことも、最初の頃と比べて随分意識がちがう。
ただ、自分に自信がなく、他人に心を開くことができなかっただけ。
だけども、「note」を書くようになって、自分が思っている以上に自分は関西人なんだと気付いた。
こうして記事を書くときにも、どうしても喋り口調で書きたくなることがある。
それは「note」を書くときに、自然体でいられるということを表しているのかもしれないし、普段の口調のままのほうが自分を表現しやすいのかもしれない。
敢えて訂正はしないが、いかに自分が関西弁にまみれているかを物語っているかのように、私の記事には時折、喋り口調そのままの関西弁がでてくる。
文字にすると、より自分のクセが分かるものだ。
今まで自分のことを、そこまで関西弁丸出しだとは意識したことがなかったけど、日常生活の自分の言葉遣いを意識すると、今更ながらだが、関西弁をなんと多用しているかに気付いた。
自分で多用しながらにして、関西弁はちょっとキツイかなと感じる。
義母が同じことを繰り返し夫に訴えているのを見て「もうそんなこと言わんとき」と。
義母がお風呂に入っている私に、薬を飲んだのか確認に来た時に「もう飲んだやんか」と。
あと何かにつけ「言うたやん」と、つい口癖のように言ってしまったり、「もう、それしたやんか」「あの時、わたし持って行ったやんか」など、「~やんか」なんかも結構使ったりする。
無意識に次から次へと、関西弁がでてくるのは驚く。
ちなみに、義父母や夫、(大阪出身ではない)両親なんかもそこまで関西弁を多用しているような感じではないところをみると、私が話しているのは「関西弁」ではなく「大阪弁」なのかもしれない。
あと品格と言えば、やはり動作やしぐさに現れるのが一般的である。
しずしずと歩き、指先まで動きがしなやかで、食事をするのも、お箸の使い方も正しくお上手でいらして、おちょぼ口で上品に食べられるのを想像する。
その点、私は上品に育てられたわけでもなく、特にこちらに嫁いできてからは、『とぅりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁあ!なんでもかかってこいっ!』と、上品とは程遠い環境できたので、今更上品な人を目指そうと思ったら、生きてきた年数分かけないとなれないだろう。
髪の毛振り乱しながら育児するのは一般的だとしても、しずしずと畑を歩くわけにはいかず、重いコンテナや肥料を上品に下げることが出来なかったし、「しっかりとしなきゃいけない」事情しかり上品ではいられなかった。
数年前、山椒採りのアルバイトに来た、娘と同い年の女の子は、関西弁丸出しのわたしが怖いと言っていた。
関西以外の出身の子だから、尚更その印象が強かったのかもしれない。
生まれて一度も自分が「キツイ」と思ったことがなかったし、関西弁にそのような印象があるとも思ってもみなかったし、それ以上に、娘に接するように意識して優しく接していたから、当時は落ち込んだが、今なら分かる。
やっぱし、関西弁は、人によってキツく感じるやろな。
山椒採りのこの時期、大勢の方がアルバイト人員として来られるので、ときに私の感情は殺気立つ。
チョット!〇○さんと、△△さん!来てくれる?
山椒採りの仕方、もう一度言うとくわ。
こう、山椒を自分の方へむけて、シュッシュッと引っ張ってとるねん。
山椒がどっち向いて成ってるかも見やなアカンで。
向きによって、引っ張りやすい方向、引っ張りにくい方向あるから。
とり方によってだいぶ効率ちがうし。
新人のおじさん達ふたりが、お喋りをやめ、作業の手を早めたのを見届けて、別の人へ聞こえるように言葉を投げかける。
(おじさん達には、別々に仕事をしてもらうことにした)
脚立と一緒に移動して仕事してや。
一段、二段上ると見える景色もちがうし、効率が全然ちがうで。
今は少ない十人ほどの人数も、7月に入ると多い時で倍ほどの人数になる。
しかも男性が多く、年齢もバラバラ。
平均年齢は、私の年齢位かもしれないが、70代の方も多い。
作業している場所は決められているにせよ、小さな声では通らないし、ある程度しっかり言わないと聞いてくれない。
作業効率が悪い人に、個人的に注意を促すときには、なるべく丁寧に優しい口調を心がけているが、逆に楯突かれて怖い目に遭ったこともある。
私が山椒採りを取り仕切るようになって10年足らずだが、一年に一度夏にやってくる数か月の合間の山椒採りが始まるとなると、今でも気持ちがキューッとなる。
いちばんは別の農作業で忙しいために、夫が居ないこと。
夫が居てくれたら、仕事の進行を全部任せることができるのに、義父が取り仕切ってきた仕事場で、仕事の進行についても、仕事に対する姿勢に対しても丸っきり違う考えのわたしが、メンバーが変わらない、言わばアウエィ状態のその場でやっていくとなったとき、心を律しないと仕事は進められないと感じた。
放っておくと、自分の好きな場所で作業をしたり、脚立やコンテナを放りっぱなしにしたり、作業の手が止まったりと、銘々がバラバラの目標にむかって仕事をする。
アンタたらも生活かかってるかもしれんけど、私らも生活かかってるねん。
こんな山の中まで誰もアルバイトしに来てくれへんのは、よう分かってる。
だから、メチャクチャなことは言わへん。
そんなこと言うてたら、誰も来てくれへんのん分かってるし、他の農家に比べたらユルユルやと思うで。
だけど、せめて最低レベルは超えてくれやな、私も困るねん。
その気持ちから、自ずと声もきつくなる。
この時期は、上品ではいられない。
だけど、私が臆することなく声を出すようになってから、風向きは変わっていった。
多少の緊張感が加わり、一日に採れる山椒の量も増えていった。
当時のメンバーは、高齢で辞められた方もいらっしゃるが、半分くらいの方は残っていらっしゃる。
そこに柿の固定アルバイトの人が加わり、残りは新メンバーだが入れ替わりが激しい。
的確に指示をするだけではなく、時には感謝の気持ちを伝えたり、挨拶は欠かさずすることなどを心がけて、皆それなりに協力してくださるようになったが、良いことも悪いことも、ハッキリと言わないと伝わらない。
最初は標準語で少し遠慮がちに、それでも声が通るように大きな声で言うことだけは心がけて言っていた私も、慣れてきたせいだろうか。
最近は、喋り口調そのままの関西弁丸出しで、大きな声で言う。
それが怖いのかもしれない。
だけど、当分のあいだは、上品さからはかけ離れた生活になるかな。
そう、昨年から継いでくれている息子がしっかりするまでは。
それに、今一緒に山椒採りをしてくれている息子が別の農作業で抜けるため、7月からは、私ひとりで仕事を回していかなければならない。
また、にぎやかな日々がやってくる。
「note」をはじめて、ますます自分のことが好きになる私。
喜ばしいのだが、こうとなると欲が深まるのがおばちゃん。
年相応の「品格」が欲しくなるだなんて思ったこともなかったのだが、ずうずうしいにもほどがある(笑)
ま、当分の間は無理だろうから、仕事をもう少し手放すことができるその時から目指そうかな。
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