うつが治ったきっかけは農作業だった
私はこちらに嫁いできて二十数年になる。
その間、一度うつ病を発症した。
「うつ」を発症した経緯
「農家で義両親と完全同居」という無謀な環境へ自ら飛び込むことを決めたのは自分自身だった。
覚悟はしていたつもりだったけど、全部自分の想像の上のことだけで、実際、生活がはじまってみると、義両親との同居と、慣れない農作業は「うつ」になるに十分な要素だった。
それだけストレスが大きかったのだ。
そのうえ、私の悪いクセで、「良い嫁ならなきゃ」「がんばらなきゃ」と120%くらいの超高速で走っていた。
一方で、結婚したらすぐできると思っていた子供に中々恵まれず、主人と2人して諦めたこともあったが、肩の荷が下りたせいだろうか。思いがけず、年子で2人の子供を授かった。
それは手放しで嬉しかったが、「何か」が、産前産後の私の身体をむしばんでいくのに拍車をかけた。(実家の環境が整っていなくて)里帰りすることもなく、出産後は基本自宅で一人、家事をしながら育児をしたが、農繁期は倉庫で子供を見ながら仕事を手伝った。
そのうち、私の精神状態は普通でなくなり、とうとう下の娘を産んで、秋の収穫期を終えたころ、バタンキューとなった。
人生で初めて「うつ」と診断されたのだ。
うつになったお陰で立ち止まれた
結婚して5年ほどたっていた。
私は結婚してこのとき、初めて時間をかけて自分と向き合った。
その頃、主人との関係は険悪だったからだ。
だけど、自分と向き合うことで「うつ」はたくさんの『気づき』を与えてくれた。
どうしてこんなに自分がストレスを感じるのか。大変なのか。許せなかったのか。自分を責めることはしなかったけれど、自分の何がいけなかったのか省みた。
身体が重く、何をする気にもなれなかった私は、最低限のことだけをして生活をした。もちろん、育児も家事も農繁期の手伝いもせざるを得なかったけど、スローペースで動くことにした。
自分への負担を最小限に抑えるために、何もかも効率よく工夫してやろうと思ったのもこのころかな。
鉛のように重かった身体が生き返った瞬間
そんな私の身体が生き返った瞬間を今でも覚えている。
それは出産して3年後。子供たちを保育園に預け始め、いよいよ畑復帰となったとき。
「身体が動くかな」と多少不安を抱えながらの、春の農繁期。重労働ではないけれど淡々とこなしていく蕾落としの農作業だった。
アルバイトのおばちゃん達に多少愛想も振りまきつつ、なまった身体を奮い立たせていた。
しばらくたって、私の身体に変化がおきた。
まるで止まっていた血が体中を駆け巡り始めたような、冬眠していた白くまが目覚めたような感じ。
全身に血液が生きわたるのが分かった。
うっわぁ・・・気持ちいい・・・・
声には出さなかったけど、久しぶりにサンサンと輝く太陽の日光が気持ちよく感じられた。
とても天気の良い春の日で、その日は1日太陽の日光を浴び続け仕事を終えた。
「うつ」は生活スタイル×思考スタイルで発症する
私の「うつ」はその日を境に少しずつであるが改善していったように思う。
ただ、太陽の光を浴びるだけではダメだったと思う。
「うつ」によって得た「気づき」、自分自身の思考スタイルによってストレスを助長させると分かったので、それをも意識して変えていくようにした。
その話しはまた機会があったら書いてみようと思います。