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物欲のある今のほうが幸せ

親を責めるわけではないが、何も買ってもらえない家で育った。

小遣いも、お年玉もなかった。

祖母だけはお年玉をくれたが、全部貯金した。

周りの同世代の子どもは、ゲームや「こえだちゃんファミリー」だったり、漫画本を買ってもらっていて、羨ましいと思った覚えがあるが、欲しいとは思わなかった。


買ってもらえないと、分かっていたからだろうか。


そのうち、物欲はなくなった。

おしゃれをしたいとも思わなかったし、お化粧をしたいとも思わなかったのは、親に制限されたからかもしれない。

制限されたときは不服と感じたが、そのうち何とも思わなくなって、服代も化粧代もかからなかった。

おかげで、結婚にかかるお金は、社会人になって貯めたお金で、全部賄えた。(寮費が破格の家賃だったこともあって)


残りのお金は、結婚して、リフトや選果機や車の購入費などに充てた。

経済的窮地を逃れることができた頃、僅かに賃金をもらえるようになったが、使う当てがなく、面白味がなかった。


相変わらず欲しいモノはなかった。

その代わりに、娘が服を買いたいと言ったときには、サイクルが早いと感じていても、渋る夫を説得した。

おかげで、娘は「おしゃれさん」へと成長した。


一方で、物欲がない私の人生は、面白くないなと感じた。


はじめて物欲を感じたのは、40代の後半のことだ。

育児がひと段落して、子供の手が離れた頃、不思議に物欲をかんじた。


あの頃の自分とは、違っていたからだろうか。
自分の気持を、大事にしていたからだろうか。


手始めは、化粧水。
無精だから、乳液が一緒になった、オールインワンのものだけど、ちょっと高めのものへと変えた。

それまでしなかった、顔パックをしたり、クリームをつけるようになった。

それまで勿体ないと思っていた、入浴剤も使うようになった。


それまでの、自分の価値観からいうと、どれも贅沢だと感じることだった。

年を取ると、入り用が増えるということだろうか。


だけど、滅多に湧いてこない物欲を、見逃さない。

そう決めた。


今まで十分頑張ってきたじゃん。

そう思うと、何でも買えちゃう。


まな板やふきん、フライパン、洗濯ばさみがついた物干しなどの、毎日使うものは、古くなったら、躊躇なく買い替えることにした。

気持ちよく過ごすには、毎日つかうものこそ、ストレスなく使いたい。

最初でこそ、同居の義母に合わせたが、古いモノは捨てるし、使えなくなると買い換えるようにした。


私が毎日食べようと決めた、「あたりめ」や「ミックスナッツ」なんかも、昔の価値観からすると、チョット贅沢。


最近は、6つパックの「膝アクティブ」も、迷わずかごの中へ。
お酒や、たばこに比べたら、安いモノじゃない!


とはいえ、昔に比べれば贅沢になったものの、依然、欲しいものが、そんなにある訳ではない。


そんな私に、久しぶりに「物欲の神様」が舞い降りた。

外出用の「かばん」と「さいふ」がほしい。

滅多に出番がないが、もう長い間、買い換えていないので、ボロボロだ。

部屋の「断捨離」を進めていくうち、自然と湧いた物欲だ。


何度かチャンスがあって探したが、「これ!」というものがなかった。


そんな折、再びチャンスが訪れた。


見つけた「かばん」は、まさしく私が欲しかった大きさのかばん。


見つけた「さいふ」も、中のお札と小銭とカードを入れる場所のバランスもよい。


迷ううちは買わないが、一目見て「運命」を感じたら、深くは考えない。

またとないチャンスだから。

本来、ものすごく迷う性格の私は、モノを買うとなると、思い切りがよくない。

迷っているうちに、本心は揺らぎ、そのうち、夫の掛け声が聞こえてくる。

「おーいっ!決めたかぁ?!」


結局、買えずに終わったことが幾度かある。


あと、普段買わないものに対して、「運命」を感じることは、そんなにないと学んだ。

その時を逃すと、次はないかもしれない。

「運命」を感じたものは、直感で買わないと、結局、後悔することになる。


いちども身に付けたことのない、財布の「ピンク」に少し躊躇したが、買うことにした。

今までの私なら、ゼッタイ選ばない色だ。


でも、これに決めた!


帰路に着く頃には、嬉しくワクワクした。


なんだか、満たされて幸せ🧡


物欲がなかった時には、感じることのない幸せ感だ。


人生後半は、「物欲」を大事にしていきたい。


「使うかもしれない」と置きつつ、使わなかった過去のものを含め、4つのかばんを気持ちよく断捨離することができた。


モノを与えてもらえなかったのは、そこまで家が裕福ではなかったからだと分かったのは、大人になってからだ。

「裕福ではない」と子供に感じさなかったのは、母の唯一凄いところ。

母方の祖母に援助してもらいながら、一軒家を購入し、私を短大へ、弟と妹を大学へ通わせるのは、さぞかし大変だっただろう。

父も母も、お金を使わない人だった。

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