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まだ記憶がないお金

最近ビットコインが絶好調ですが、何が私たちをビットコインや仮想通貨に駆り立てているのでしょうか

「簡単に稼げそうだから。」「人は新しいものに興味を持つから。」「最新技術を搭載し将来性がありそうだから。」このような理由がよく挙げられますが、それら新しい通貨が持て囃される本当の理由は何なのでしょうか。

たとえ個人単位ではそれらの投機的な理由に起因するとしても、「根本的な何か」が私たちをそれらへ駆り立てているはずです。例えば、

私たちがビットコイン等の新しい通貨に興味があるのは「それらは記憶をまだ持たないから」という考えはどうでしょうか

お金とは、交換機能、価値保存機能、価値尺度機能の3つの機能のもと「私たちの経済活動を仲介するもの」という簡素な定義でよく論じられますが、実際のところ、私たちはこれまでお金とどのように生きてきたのでしょうか。

お金は私たちの感情や記憶を投影するもの」という別の定義を与えてみるのはどうでしょうか。

バブル期前後を経験した方々は、「お金が作り出したマジック」を目の当たりにしてきた一方、バブル後の氷河期に就職で苦労した方々はお金に対しシビアなイメージを持っているとよく言われます。また、平成生まれは、生まれた時から日本経済が停滞していたため、倹約堅実主義の方が多いとか少ないとか...世代により、経験してきた景気が異なり、それが「お金」や経済に対する彼らの価値観を形作っているのではないでしょうか。

私たちが現在使っている「円」をはじめとする法定紙幣は長い歴史を持ちます。例えば、今日本で使っているお金の単位「円」は、明治時代の初頭からとされており、私たちは、「円」とともに様々な記憶や感情を経験し、それを消費活動や貯蓄を通して経済活動(円の動き)に投影してきました。

ファイナンス学は、誤解を恐れず言うならば、"Time discounting"(時間割引) "Risk Pricing"(リスクプライシング)の二本柱によって成り立っています。一つ目は、お金のHorizontal (平行線に沿った)な動きから生じるもので、二つ目は、お金のVertical (垂直)な動きによるものです。私たちの貯蓄や投資は時間軸(平行線)に沿ったお金の移動であり、私たちの消費や交換(ExchangeやTrading)は現時点に焦点をおいた垂直なお金の移動です。個人的に、この一つ目であるHorizontalな動きが最近停滞していると思っています。日本はマイナス金利ですし、過度な貯蓄癖もよく指摘されています。それは私たちの「円」との経験、私たちや私たちの前の世代の方々が「円」に投影した苦い感情や記憶によるものではないでしょうか。よって「円」やそれに依存した日本経済は、その過去に対しSticky(くっついて離れない)な貨幣な気がします。

経済政策も財政政策も大事です。株価のテクニカルな分析も大切です。しかし、本質的にお金を使っているのは私たちであり、「ただの紙切れに対し価値をもたす」お金の物語性を更新しているのも私たちです。

ビットコインはまだ若く、まだ多くの記憶や感情を投影されていません。だからこそ、この新しい貨幣が作り得るストーリーに私たちは期待しているのではないでしょうか。


(個人的に私は、"Neurofinance" に分類され得る、人の記憶がどうお金の記憶にすり替わって継承されていっているのかといった分野に興味があります)


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