数学に音を、色をつける。そして歪める
人工的に共感覚を再現することにより、故意に私たちの日常の認識を歪め、私たちが生きていると錯覚しているこの日常を、この社会を別のスライスから見たい
ファイナンスを専攻している身分として、日々数学に多く触れているのですが、「数学は静かだな」と常々思っています。これは、数学を「解く」過程で「感情を必要としない」ゆえか。または、公式に従う場合「想起(イメージ)しづらい」ゆえでしょうか。
「共感覚」といって「ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象」を伴う方々がいるそうです。文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたり、それぞれの感覚が共鳴しているような状態でしょうか。
残念ながら私にはそのような感覚が備わっていないため、数字は数字であって、何の色も音も、匂いも手触りも持っていません。ですが、この「共感覚」私も是非、追体験してみたいなと思っています。
元々、音も色も、ある程度数理的に表すことができるものです。例えば、音楽認識における数学的構造や色空間の数学的モデル、数理視覚科学など研究分野が既に確立しています。さらに最近は、第六感に訴える方法として、最近流行りの3D、4D映画やプロジェクトマッピングなどが映像作品においても良く用いられています。ルービックキューブも、数学的パズルのなかで色に踊らされているようなものな気がします。よって、気づかないうちに共感覚のようなものを追体験しているのかもしれません。
しかし、これからそれらの共感覚を再現する応用が進み、例えば、
物語をテキストマイニングでグループ分けして、そのグループごとの物語(ドラマ)に呼応する音や色を順につける。(「文字→数字→音、色」へと人工的変換)
など「経験」や「体験」を重視するサービスが多いなか、今後さらにそのような試みが進展していく気がします。
これらの経済や金融分野への応用はどうでしょうか。
例えば、株価の動きに色をつけることで、私たちがお金の流れを別の角度から見て感じ得ることができるのでしょうか。景気、株価を変動させているのは、私たちの経済活動であり、私たちをそれらの活動に駆り立てるのは、私たちの欲求であり、心情です。例えば、
株価の暴落が起きたときの、トレーダーの心拍数のリズム(音)と株価推移(数字)の相関性の心模様を描くことはできるのでしょうか
既存の経済、統計分野における研究方法は確立論等一定の既存基礎数学に依存しています。しかし、今後、数字、確率論に囚われないニューロ経済等の「私たちの感じ方」により近い分析調査、現状認識、理解がより必要になっていくはずです。
私はいつか、人工的に共感覚を再現することにより、故意に私たちの日常の認識を歪め、私たちが生きていると錯覚しているこの日常を、この社会を、別のスライスから見てみたいです。