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【読書】2024年5,6月に読んだ本

飛行機の前ポケットに読みかけの本を忘れてしまいました。なんということ。良いご本だったのに。買い直すことを検討しています。写真は、その本を忘れたオヘア空港。


村山修一『本地垂迹』(ちくま学芸文庫)

半分しか読めていません。だって飛行機の前ポケットに忘れてしまったから。具体的なページ数と内容をお示しして敷衍できないのが残念です。

わが国の歴史を一般教養として学べる箇所が数多くあり、教科書として読めて、とても勉強になります。日本における土着信仰(神さま)と外来宗教(仏さま)がどのように習合したのか、先行研究に依拠しながら通史を述べています。「この史料に基づいてこの先生はこう言うけど俺はこうだと思う」と根拠を示さず言い切る場面が何度かありますが、都合よく解釈しているのではなく、当時の状況を踏まえて整合性よく仮説を提示するとこうなるのだと感じました。
「当時の状況」というのは、為政者と宗教家たちの俗っぽさです。天皇と貴族と坊主たちの狂騒曲(ラプソディ)です。

崇高さを表すシンボルが如何に容易にスライドして他の要素と結びつくのか、豊富な史料が示されています。例えば、シンボル「雷(いかずち)」が疫病に結び付き、それが藤原道真公に結び付いて、既存の神社に合祀されるまでの過程など、最高に面白いですね。しかもその後、祟り神としての特性が薄れて学問の神様なんて別属性を負うようになるわけです。人間による意味付けの奔放さ(いい加減さ)よ。

ほかにも、九州の地元民が鉱山に対して大切に思う気持ちが、地名の訛りを経て、国生みの神話に絡まって、邪馬台国以来日本の神祀の基礎をなす様子なども面白いです。全体的に近畿の神社仏閣の成立の思惑が学べたのがよかったですね。この本を読むと、京都奈良の神社仏閣や、熊野大社などの山岳信仰に対して、同じ見方ではいられなくなってしまいます。朱雀門に赤いイメージがついているのは、桓武天皇が白色を重んじたことの反動なんですよ。そんな適当な理由です。

外来宗教と既存信仰が習合して洗練化することは珍しいことではなく、酒井健『ゴシックとは何か』ではキリスト教(父なる神)がヨーロッパ布教の過程で土着宗教(母なる大地)を取り込んでいった様子が描かれていますし、大川玲子『聖典クルアーンの思想』でもイスラム教成立の過程でユダヤ教やキリスト教の啓典を取り込んだ様子が述べられています。崇高さの変遷や歴史は本当に面白いですね。


上野達弘、前田哲男『〈ケース研究〉著作物の類似性判断 ビジュアルアート編』(勁草書房)

創作性とは何か。それは「選択の幅」である。「すなわち、あるアイディアを表現しようとする際、表現の選択の幅が狭い場合(例:ある人の死亡記事を100字で書く)には、個性を発揮しようがないため、創作性が肯定されにくいのに対して、表現の選択の幅が広い場合(例:ある人の伝記を10万字で書く)は、様々な個性を発揮しうるため、創作性を肯定されやすいと考えられるのである」(p14)。これは、表現される前のアイディアには著作権がないことも意味します。

単に似ているだけでは類似性アリと判断されません。「表現でないアイデアあるいは表現上の創作性が認められない部分において同一性を有するに過ぎない」(p66)場合は類似性は否定されます。

私は知的財産管理技能士2級なのですが、著作権のほうは実務として経験していないので、本書はとても勉強になりました。特許権と著作権の大きな違いはp23の脚注に明確に記載されています。

本書の魅力は各章の後半に用意された著者二名による4回の対談です。『現代思想』などの対談鼎談には何の面白みもないのですが、本書は違いましたね。これほど面白い対談は初めて読みました。
事件を扱った各章前半部のケーススタディ原稿を著者二名が読み込んだうえで対談に臨んでいるため、「この判決文をこう解説していますが実のところどうなんですか先生」とお互いに突っ込みあっています。あてはめと学説と判例のせめぎあいがあり、躍動感ある感想戦に立ち会えます。そしてグレーゾーンを実務としてどう扱うか議論します(p109、274)。また、著作権の外側にある他の権利にも言及せざるを得なくなります(p174)。

果ては著者(上野氏)をしてこう言わしめる。「どうもこの「表現上の本質的特徴の直接的感得」というのは、非常に曖昧な概念なのですけれども、裁判実務にとっては、そのような曖昧なものがあるからこそ、生の事件における様々な事情を取り込んで、いわば裁判官の公平感覚に合致する結論を導くことができる、というわけで、むしろ好都合なツールになっているのかもしれませんね。その良し悪しはともかくとして。」(p287)

法源、権利、客体とかは、過去未来において一貫性のある判断を支持するための理論的存在者であって、まあ生物学における「遺伝子」などと同程度に理論的なのだと思います。法律は他の学問と異なって裁判官という裁定者を用意していますから、理論にはさまざまな背景や文脈や心象がいっそう絡みつきやすいのだと思いました。


生成的AIで「ゴッホのスタイルで」とプロンプトを出すとゴッホらしき絵が出てくるのですが、その著作権は誰にあることになるのだろうかと疑問に思って、上記のご本を手に取りました。海外ではポルノ系AIを使ってエマ・ワトソン似の卑猥な写真を無限に生成している現実もあります。

私たち生成AIのユーザは、youtubeやspotifyが楽曲の著作権をどう扱っているのか微塵も意識しないままエクスペリエンスしているのと同じくらい、理論的な諸存在者を微塵も意識しないままプロンプトを発しています。上記のような生成AIの著作権や肖像権問題も、私たちが微塵も知らないうちに誰かが解決し解消されているのでしょう。

テクノロジーがもたらす問題を適切な情報源で調べ、理解でき、そしてうまく概説できる社会人になりたいものです。

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