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【読書】2024年10月に読んだ本
映画『ラストマイル』を見てきました。満島ひかりが見せる外資系女子にありがちな一挙手一投足にまんまとイライラしました。また、外資系企業にもれなく整備されている「わが信条(Our credo)」が社員の不作為を社員同士で論難するための根拠となり、また言い訳を反駁するための正当化にしか使われていない様子に、既視感と諦めしか感じませんでした。映画が何かを嫌がる一般市民の様子を描き、そして視聴者もまた同じように嫌がることができたので、とても良い映画だったと思いました。
10月は以下の本を読んでいました。
まくるめ『その怪異はまだ読まれていません』(KADOKAWA)
存在しない本━アリストテレス『詩学』第二部━を存在せしめるために、ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』をものしました。それと同様に、著者は近代文芸史最大の「怪異」に存在論的コミットメントを示すために、本書をあらわしました。なお、逆杜くんがp161で述べるように、その怪異は、この物語で「何も飲んだり食べたり」していません。
まだ読まれていないだけでなくまだ生じてすらいないものを生起させるために逆杜くんや反後さんや著者が用意したのは、本という実在するメディアでした。本書には本の実在性を高める工夫が随所に盛り込まれています。
例えば、p64と65の見開きにきっちり限定して背景知識を記述したり、p92をめくった瞬間に反後さんの依頼人の霊障の原因が分かるように配置しています。メディアの特性を介して、その実在を感得できるようになっています。今後書かれるはずだった怪談(存在しない作中作)は、この本という「存在する作品」に包含されることで、存在できるようになりました。「見てきたように言いますね」(p66)。違います。言って書くことによって、見てきたことになるのです。見てきたんだからしょうがないだろ。
読者は、語り手を信用できなくても、本の手触りなら信用できてしまうのです。そして著者もまた本の実在を信頼している。著者と読者は共犯して本を存在せしめます。本は存在する。しかしストーリーや小道具(作中作)から語り手だけが遊離する。読まれる前にも、読まれた後にも、何にも基礎づけられていない語り手。著者は「怪異あれ」と言われた。すると怪異があった。
大変すばらしい御本でした。
マシュー・スチュワート(稲岡大志訳)『マネジメント神話 ─現代ビジネス哲学の真実に迫る』(明石書店)
社会人に必要なのはマネジメントでも訓練でもない。教育だ。「それ以上でもそれ以下でもないことは言うまでもないのだ」(p450)。「よいマネジメントは、ビジネス・スクールでの学位記を授与することから生まれるのではなく、法律、共通の価値や期待、よい公教育によって技能を得た人たち、給与所得者を支える法制度に対する普遍的なリスペクトから生まれるのだ」(p443)。この当たり前の事実を私たち読者に伝えるために、しかし、著者は感情のジェットコースターの中で絶叫したりしないし、数々のゴッドファーザーたちの教説を上書きするようなマネもしません。著者は、自身がコンサルタントとして歩んだ個人史と、近代的マネジメントの誕生の歴史とをただ語り、「この誤った考え方の系譜学を描」きます(p24)。前者の歴史はコンサル業廃業という終わりを迎えましたが、後者はまだ終わっていません。私たちはその歴史と神話の真っただ中にいます。
本書で触れられた近代的マネジメントの「正史」にはいちいち驚かされ、またゾッとしました。なんか『インテレクチュアルズ』(ポール・ジョンソン)を思い出しましたね。
歴史的事実だけでなく、明日から使える話法もたくさん散りばめられています。マトリクスは問題を並べ直すだけであって、根底にある力学を変えることはできない(p260)。行動に先立つ意思決定の集合に戦略が埋め込まれているかどうかは、自明な真理や合理的な規定ではなく、経験によってテストされるべき仮説にすぎない(p307)。トム・ピーターズはマネジメント理論を会議室から引っ張り出し消費者向けビジネスにした(p346)。科学的態度と科学それ自体は異なる(p82)。科学的マネジメントはレトリックの衝立でありユートピアを描く展望である(p88)。どういうことかって? 「科学的マネジメントの魅力とは、究極的には、アメリカが持つ民主主義という価値と経済的近代化への衝動という現在進行中の対立、つまり、アメリカをめぐるジェファソン的構想とハミルトン的構想との間の対立に、輝かしいフィナーレをもたらすことができるという希望にもとづいている」(p118)。
この400ページ超の神話詩の最大の山場は、p201~205だと思いました。また「マネジメントの教祖になるための簡単な五つの方法」と題された節(p390以降)を読めば、「恐怖訴求」は消費者と経営者双方に対してまだまだ有効なコミュニケーションスタイルなのだと思い知ります。
大変良い御本でした。
後者を読んでいて、なんだか共感性羞恥のような、変な気持ちになってしまいました。ヘイシャは過去、ダートマス大でMBAを取ったBCG出身の経営者が生産の集約化と合理化を進めたり、また別の経営者が「クジラ曲線」を愚直に振りかざして「プロフィトロール」ではない顧客を選別して取引をやめたり(もちろん彼もMBAホルダーです)、また別の機会でATカーニーに(目ん玉飛び出るようなお金を払って)「戦略」を請うたりしてきたので、なんだかもう、読んでいて辛かったです。これらは私がやったことではありませんが、私が見聞きしてきた個人史の一部ではあるので、本書とうまく距離をとりながら読むのが難しかったですね。しばらく寝かせてから何度か読もうと思います。