暗闇で水を飲むひとよ
だれにも話したことはないが、ずっと探しているものがある。
恋人や幸せのような大それた話ではなく、もっと小さなものだ。他人に話したことがないのは、人に言えない悩みだからではなく、その心の揺れがさざなみのように小さく、文字通り「言うほどのことでもない」からである。
それは例えば、失くした折り畳み傘のカバーとか、丁度いい町中華とか、お気に入りのパンツに映えるカットソーとか、座右の銘とか、手頃な丼茶碗とか、そういうものだ。頭の隅でずっとうっすら探している。でも見つからない。普段はそれすら忘れているが、何かの拍子に思い出す。繰り返し。
僕にとって、そんなもののひとつが「闇の中で水を飲む曲」である。
僕は「闇の中で水を飲む曲」を2曲知っている。というか、2曲しか知らない。2曲だと座りが悪いから、3曲目を見つけよう。そんな曖昧な境界線を引いて3曲目を探してきた。
1曲目はロックバンド・キリンジの「Drifter」という曲だ。
もう十年以上前、大学生の頃に聴いて、この部分が妙に心に残った。闇の中で水を飲む。喉の渇きという生理的欲求を満たす。ただそれだけの行為が奥行きを持って感じられた。「シラフな奴」とは何で、彼はどんな「誓い」をたてたのだろう。ボトルに直接口をつけて水を飲む荒っぽさにも惹かれて、想像を巡らせた。
2曲目に出会ったのは五年ほど前、就職してからである。
この「お前を安心させたいんだよ」という歌詞がとても好きだ。「幸せにする」よりも「安心させる」は明確だし、優しいと思う。でも、そう思うのは僕が心配性だからかも。ただ、この主人公も何かを悩んでいるのは確かだ。その悩みを吹っ切るように水を飲んでいる。(なぜか、生ぬるい水道水を連想する)
人は悩める夜に水を飲むのかもしれない。例えば、その悩みに寝付けない夜や目醒めさせられる夜に。深い夜の中で、人はときに孤独や絶望と向き合う。眠れぬ夜は暗く、「死」を連想させる。心配事があって眠れない経験は多くの人にあるのではないかと思う。
そんな中にあって、「水を飲む」という行為は「生」を指向している。生きていくことを決して自発的にはやめない身体に従っているからだ。喉の渇きが癒されると頑張るぞ、と気力が湧く。ような気がする。
「闇の中で水を飲む曲」には、暗闇の中にあっても、生きていくという手さぐりの意志を感じるのだ。
(おわり)