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キケロの政治思想〜キケロ『国家について』『法律について』から【読書ノート】
共和政ローマ末期の有名政治家にして、ラテン文学の模範とされる大著述家、キケロ。
彼がまとまった形で政治について述べた著作が、『国家について』と『法律について』です。
この両著作を読んで、そこに書かれたキケロの政治思想について自分なりに整理してみました。
『国家について』と『法律について』の構成と概容についてはこちら↓
国家と正義をめぐるキケロの政治思想
キケロの『国家について』と『法律について』に書かれた政治思想は、国家と正義との関係を問題にしています。
これは、プラトンの『国家』で取り上げられたテーマでもあります。
この問題が集中的に扱われる『国家について』第3巻は、
登場人物の1人であるピルスが「国家にとって、正義ではなく不正こそ有用である」という主張を展開し、
他の登場人物ラエリウスや小スキピオが「国家に正義は必要不可欠である」という反対論を述べるという構成になっています。
国家と正義・法律
「国家にとって不正こそ有用である」という主張は、
「他国に対して自国だけの利益を押し通そうとする=不正に振る舞うことは、国家にとっては賢い選択である」、
「国内の各勢力が互いに不正を加え合おうとするからこそ、互いに不正を受けないために国内の調和や正義の遵守が発生する」、
という帰結を含む議論です。
前者はともかく、後者は現代にも真っ当な考えとして受け継がれています。
三権分立論やコーポレート・ガバナンスにおけるチェックアンドバランスの考え方の源流です。
〔『国家について』第3巻23節〕
しかし互いに相手を恐れ、人間が人間を、階級が階級を恐れるとき、誰も自己を頼ることができないので、一種の協定が国民と権力者のあいだに結ばれます。
そこからスキーピオーが称賛した、国の混合体というものが生じるのです。
すなわち、正義の母親は自然でも意志でもなく、無力なのです。
じじつ、不正を加えるがそれを受けない、あるいは不正を加えそれを受ける、あるいはどちらもしないことの三つのうち、どれか一つを選ぶべきであれば、
いちばんよいのは、できれば罰せられずに不正を加えることであり、
第二に不正を加えもせず受けもしないことであり、
もっともみじめなのは不正を加えたり受けたりしてはげしく争うことです。
〔同28節〕
個人について言えることは、また国民についても言えます。
いかなる国も、正しい奴隷であるよりも不正な支配者であることを望まないほど愚かではありません。
そして、これらの主張が、「法や正義とは、人間が勝手に決めた相対的なものであり、自然に存在する普遍的なものではない」という前提から出発して導き出されているのが、キケロの議論の特徴と言えると思います。
不正は国家にとって有用・必要である(『国家について』第3巻)
「国家にとって正義ではなく不正こそ有用である」という主張は、〈A〉「法や正義が自然に基づくものではない」という議論から出発します。
そして、〈B〉「他人に不正を加えながら不正を受けない生き方が最良」、〈C〉「不正であろうと支配権を握る方がよい」というような考え方が、法が自然に基づかないことから派生したものとして展開されます。
〈D〉人がなぜ法に従うのか、〈E〉国内の調和や安定した体制の原理は何か、〈F〉賢人の国家との関わり方も、法が自然な存在か否かによって見方が大きく変わって来るものとして示されます。
〈A〉 法の本性:法や正義は、自然に存在する普遍的なものではない
法とは、国家において制定されるもの、人間が決めるものである。
時と場合に関係なく通用する、自然に存在する普遍的なものではない。
法が自然のものならば、正義も不正も常に万人にとって同じであるはず。
しかし、それらは時と場所、民族ごとに異なる以上、法は自然的なものではない。(13節)
〈B〉 人間の行動方針
万人に適用できる法や正義がない以上、正義にしたがって生きるのは最良の生き方とは言えない。
他人に不正を加えながら、自分は不正を受けないのが最良。
他人に不正を加えず、自分も不正を受けもしないのが次善。
お互いに不正を加え合うのは、それらに劣る。(23節)
ましてや、他人に不正を加えず、むしろ正しいことを行なったにもかかわらず、不正を加えられるなど論外である。(27節)
〈C〉 国家の行動方針
国家についても同様である。
ある国家ないし民族にとって有益な政策であろうと、他の者にとって公正とはかぎらない。(16節)
むしろ、万人にとって正しいわけではないような、自分たちの利益をはかる不正な方策の方が賢く、国家にとって有益で必要である。(24節)
いかなる国も、正しい奴隷であるよりも不正な支配者であることを望まないほど愚かではない(28節)
〈D〉 なぜ法に従うのか
それゆえ、国家や法に人々や他国が従うのは、そこに正しさがあるからではない。
人々は、利害に強制されて支配されるのであり、正しいから自発的に従うわけではない。(18節)
〈E〉 優れた政体とは何によって生じるか
また、国内の調和や安定した体制は、特定の勢力が他を圧するほどの力が無いことから生じる。
国民や権力者の各勢力の間で、お互いがお互いを恐れ、協定が生じるからである。
国家における「正義の母親は自然でも意志でもなく、無力」である。(23節)
〈F〉 立派な生き方
このように、国家が自然の正義とは無関係である以上、やむをえない事情がなければ賢者は国事などに関わらない。
善意や正義をそれ自体で好ましく思うより、恐怖や不安、危険を避けるのが立派な人の生き方である。(26節)
キケロの政治思想の問題圏
キケロ自身は、「国家にとって不正こそ有用である」という主張に賛同していたわけではありません。
むしろ、「国家にとって正義は必要不可欠である」という、全く正反対の主張こそ、キケロ自身のものでした。
「不正有用論」は、敵役として『国家について』に登場させられたのです。
そして、この「不正有用論」と「正義必須論」のコントラストが、キケロの政治思想を構成する構図となっていると言えるのです。
キケロの政治思想の論点
〈A〉法の本性
法や正義は、自然にもとづくか、それとも人為にもとづくか
〈B〉人間の行動方針
人間にとって、正しさにしたがって生きるのが善いか、それとも不正をなしながら罰せられないのが善いか
〈C〉国家の行動方針
国家の運営維持にとって必要なのは、正義か、それとも不正か
〈D〉なぜ法に従うのか
法に従うのは、それが正しいから自発的にか、それとも利害によって強制されてか
〈E〉優れた政体は何によるものか
国内の調和や安定した体制は、正義によって生じるか、それとも無力から生じるか
〈F〉立派な生き方
立派な人物は、国家に奉仕して生きるべきか、それとも出来るかぎり国家を避けて閑暇に生きるべきか
法や正義は自然にもとづいて存在する(『法律について』第1巻)
「不正有用論」が「法や正義は人為的なものである」という主張から出発していた以上、それと正反対の「正義不可欠論」も、真逆の主張から出発します。
つまり、〈A〉「法や正義は自然に存在し、人間の自然=本性にもとづき、人間が勝手に決められるような人為的で相対的なものではない」、これがキケロ自身の立場であり、彼にの政治思想の根幹になります。
この「法や正義は自然にもとづく」という基礎的なテーゼをメインに据えたのが、『法律について』(特に第1巻)の内容になっています。
もともと法律lexとは民会の決議や官職者からの命令ではない、
全宇宙を貫き、神と人間とに共通する理性こそ、本来は法律と呼ばれるものであるというのです。
そして、この理性という自然の法律によって、人々は徳や立派なこと、善悪について判断すべきであり、
国家の法は、この自然の法律に従って制定されるべきであると、キケロは主張します。
〔『法律について』第1巻43-45節〕
しかし、法が国民の決議に、指導者の布告に、裁判官の判決に基づくとすれば、強盗も、姦通も、遺書の偽造も、大衆の投票あるいは決議によって是認されるかぎり、合法となるだろう。
(中略)
だが、わたしたちは、自然という規範によるのでなければ、善い法律と悪い法律を区別することはできない。
また、法と不法のみでなく、およそ立派なことと恥ずべきことのすべてが自然に基づいて区別されることになる。
というのは、自然が共通の観念をわたしたちに与え、わたしたちの心の中にそれを芽生えさせたため、立派なことは徳として、恥ずべきことは悪徳として教えられるようになったのであるから。
これらのことは意見に基づくのであって、自然に基づくのではないと考えるのは、狂人のすることである。
法や正義が自然にもとづいて存在するならば、当然〈B〉〈C〉人間も国家も法や正義にのっとって行動するのが善い。
そして、〈D〉法に従うのはそれが正しいからである。
法律に従わない者、利害によって従う者は、不正な者である。
〔『国家について』第3巻33節〕
じつに、真の法律とは正しい理性であり、自然と一致し、すべての人にあまねく及び、永久不変である。
それは命じることにより義務へ招喚し、禁じることにより罪から遠ざける。
しかし、それは正しい者に命じ、あるいは禁じるとき無駄に終わることはないが、不正な者を、命じることまたは禁じることによって動かせない。
国家とは何か/「不正な国家は存在しない」
キケロは、この自然にもとづく本来の法律によって結合した集合のことを国家と定義します。
〔『国家について』第1巻39節〕
国家res publicaとは国民の物res populiである。
しかし、国民とはなんらかの方法で集められた人間のあらゆる集合ではなく、法についての合意と利益の共有によって結合された民衆の集合である。
民衆の集合の第一原因は一人では無力であることよりも、むしろ人間に生まれつきそなわる一種の群居性と言うべきものである。
王にせよ貴族にせよ民衆にせよ、専制化して正義に反するならば、法律による結合は解体される。
この国家の定義に従えば、そのとき、もはや「国家は存在しない」ということが帰結する。
〔『国家について』第3巻43節〕
国民を作り上げる一本の絆、集合体の合意と結合が失われたとき、そのとき誰がそれを国民の物、すなわち国家と呼ぶことができようか。
(中略)
欠陥のある国家ではなく、いま理論上の必然的帰結として、およそいかなる国家も存在しないと言うべきである。
〔『法律について』第2巻12節〕
法律を欠いている国は、まさにそれゆえにけっして国とみなすべきではないのではないか
「法律=人為論・不正有用論」の立場からすれば、「悪法も法なり」「不正かどうかは国家が決める」という意味で「不正な国家は存在しない」。
一方、「法律=自然論・正義必須論」の立場からすれば、「不正な国家は国家として存在していない」という意味で「不正な国家は存在しない」ことになります。
立派な生き方(「スキピオの夢」:『国家について』第6巻)
『国家について』の末尾を飾る「スキピオの夢」では、〈F〉賢人、立派な人物はどのように生きるべきかを説いています。
「スキピオの夢」とは、小スキピオが夢の中で、亡き義祖父の大スキピオに出会い、天界へと導かれて、正しい生き方について教え諭されるという物語です。
そこでは、まず、天界から見た地球や祖国はとても小さいことが示されます。
そして、地上の世界がそれほど狭小である以上、そこに暮らす人々の評判にこだわることを重んじる必要はない、と説かれます。
しかし、そこから現世の虚しさや軽蔑すべき今生というテーマを説くのではありません。
逆に、地上で祖国のために精一杯はたらくことを勧めるのです。
そして、地上で祖国に尽くした者には、死後には天界で至福の生が待っていると言います。
〔『国家について』第6巻13節〕206頁
…このように心得るがよい。
祖国を守り、助け、興隆させた者すべてのために、天界において特定の場所が定められており、そこで彼らは至福の者として永遠の生を享受できる、と。
というのは、全世界を支配する最高の神にとって、少なくとも地上で行われることで、法によって結ばれた、国と呼ばれる人間の結合と集合よりもいっそう気に入るものはないからである。
〔同29節〕217頁
この魂の力をおまえは最善の仕事において発揮するように。
そして、その最善の仕事とは祖国の安全のための配慮であり…
つまり、現世で世のため人のために尽くすこと、そのなかでも祖国を指導して活動することが人の生き方として推奨されているのです。
これは、『国家について』第1巻の冒頭の序文でキケロが述べていたことでした。
平穏や閑暇の中で自分のことを一番に考えて生を楽しむより、あるいは学究にはげんで観照的な生を送るより、友人のため同胞のため、国家を指導するなど自身の徳を活用して生きる方が立派であるというわけです。
キケロの政治的スタンス: キケロは混合政体を支持したと言えるのか?
どのような政体がもっとも優れているのか?
これは、古代ギリシア・ローマの政治思想を貫く問いです。
これに対して、キケロは、「君主政、貴族政、民主政を混ぜ合わせた混合政体をもっとも優れた政体と考えた」と教科書的には整理されています。
しかし、実際に『国家について』や『法律について』を読むと、そうとは言えないんじゃないかという感想を抱きました。
混合政体の推奨
たしかに、(小スキピオの口を借りて)キケロは、混合政体がもっとも優れた政体であると述べています。
その理由としては、国家がもっとも安定することを挙げています。
〔『国家について』第1巻69節〕
以上のごとくであるから、最初の三つの種類〈の中で〉王政がわたしの考えでははるかに優れているが、他方、最初の三つの国家の様式から均等に混ぜ合わされたものは、王政そのものにまさるだろう。
なぜなら、国家には若干の卓越した、王者に似たものがあり、若干のものが指導者たちの権威に分け与えられ、若干の事柄が民衆の判断と意志に委ねられるのがよいと思われるからである。
この体制は、まず、自由人があまり長く欠くことのできない一種の[大きな]公平と、さらに、安定をそなえている。
なぜなら、あの最初の種類は容易に反対の、欠陥のあるものに変わるため、王から専制支配者が、貴族から党派が、国民から群衆と混乱が生じ、また種類そのものがしばしば新しい種類に変わるからである。
だが、このことは結び合わされ適当に混ぜ合わされた国家の体制においては、指導者たちに大きな欠陥のないかぎり、ほとんど起こらない。
各人がその地位に確固として配置され、真っ逆さまに落ち込む陥穽がないところでは、変革の原因があるわけはないからである
なぜ混合政体が優れているのか: その不適切な説明?
では、なぜ混合政体が安定しているのか。
『国家について』第3巻では、自分勝手に支配したい各勢力が相互に牽制し合うこと、チェックアンドバランスがその原因であるという説明がなされています。
〔『国家について』第3巻23節〕
じじつ、国民にたいして生殺与奪の権限をもつすべての者は僭主ですが、自分たちが至善のユッピテルの名称によって、すなわち王と呼ばれることを望んでいます。
他方、特定の者が富、血筋あるいはなんらかの勢力によって国家を支配するとき、それは党派ですが、彼らは貴族と呼ばれます。
しかし、国民が最大の権力をもち、すべてがその裁量によってなされるとき、それは自由と呼ばれますが、じつは放埒です。
しかし互いに相手を恐れ、人間が人間を、階級が階級を恐れるとき、誰も自己を頼ることができないので、一種の協定が国民と権力者のあいだに結ばれます。
そこからスキーピオーが称賛した、国の混合体というものが生じるのです。
すなわち、正義の母親は自然でも意志でもなく、無力なのです。
じじつ、不正を加えるがそれを受けない、あるいは不正を加えそれを受ける、あるいはどちらもしないことの三つのうち、どれか一つを選ぶべきであれば、いちばんよいのは、できれば罰せられずに不正を加えることであり、 第二に不正を加えもせず受けもしないことであり、もっともみじめなのは不正を加えたり受けたりしてはげしく争うことです。
ただし、問題は、この説明が「法律=人為論」にもとづいた「不正有用論」のなかで述べられていることにあります。
つまり、この説明はキケロが反対する一連の主張の方に属する議論なのです。
そのため、キケロ自身がこの主張に賛同していたかどうかは、留保する必要があると思われます。
キケロが推奨する混合政体
しかし残念ながら、キケロが混合政体を支持する理由を詳しく述べている箇所は、上に挙げたもの以外には、残存する著作内には見当たりません。
そのため、どのような混合政体が望ましいかを述べた部分から類推して解釈する必要があります。
そして、私が『国家について』や『法律について』を読んだかぎりでは、
キケロが推奨するのは、民衆が支配階層の国政指導に自発的に従うような体制であり、
(あるいは雄弁によって民衆が説得される=「自発的に」判断する体制)
支配階層と民衆の対抗にもとづくような混合政体ではない印象を受けました。
〔『法律について』第3巻27-28節〕
だが、元老院は官職についた者によって構成されるのであるから、監察官による補充指名が廃止されたのち、国民によってでなければ誰も最高位に達することができないというのは、たしかに民衆に迎合するものである。
しかし、この欠点を緩和する方法は用意されている。元老院の権威はわたしたちの法律によって確保されているからだ。すなわち、次に、「その決議は効力をもたなければならない」と言われる。
じつはこういうことだ。
もし元老院が国策の指揮者となり、その決議をすべての者が支持するなら、
またそのほかの階級がこの第一階級の政策によって国家が統治されることを望むなら、
権限は国民にあるが権威は元老院にあるという権利の均衡によって、あの穏健で協調的な国家体制を維持することができるだろう。
とくに次の規定が守られるなら、なおさらである。
次の規定では、「元老院階級には悪徳があってはならない。またそれはほかの者にたいして模範とならなければならない」と言われる。
〔同39節〕
それゆえ、わたしたちの法律では、〔民衆に〕外見上の自由が与えられ、貴族の権威が保持され、紛争の原因が取り除かれることになるのだ。
私見: キケロは混合政体を支持したと言えるのか
キケロは、言葉のうえでは、混合政体を推奨しました。
しかし、彼が支持する混合政体とは、
ポリュビオスに見られるような、国内勢力間の牽制と均衡にもとづき、不正を相互に防止する積極的な意味をもつものではないと思います。
むしろ、民衆には支配者に従う節制の徳を求めるような、いわば各階層が己の分をわきまえることで達成される、プラトン風の国内の協調体制をキケロは混合政体と呼んでいると思われました。
このキケロ流の混合政体が、民衆には支配者に賛同する「自由」しか許さないのなら、その実体は混合政体と言うよりただの貴族政(優秀者支配)ではないかと思うのは、私だけでしょうか。
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