『第三の波 20世紀後半の民主化』 サミュエル・P・ハンティントン[著] 【読書ノート】
『文明の衝突』著者の主著、新訳で登場!
100分de名著で取り上げられた『独裁体制から民主主義へ』に興味を持った方には特におすすめ!
民主主義が揺らいでいる今だからこそ読みたい、20世紀比較政治学の金字塔的著作『第三の波』です。
1970年代半ばから1990年の間に、南欧、南米、アジア、共産主義圏で民主主義体制への移行が起きました。
ジーン・シャープの『独裁体制から民主主義へ』は、これらの成功例から民主化への実践的なノウハウを引き出しています。
一方、サミュエル・ハンチントンの『第三の波』は、これらの政治現象の全体的な特徴について理論的に分析した著作になります。
また、『第三の波』では、過去についての分析から、将来起こりうる可能性がある政治動向をいくつかあげています。
知名度では本作を上回るハンチントンの『文明の衝突』も、冷戦後の国際秩序をどう捉えたらいいか、どう変化していくかを思考した著作です。
しかし、2020年代の現在では、想像をたくましく働かせて書かれた『文明の衝突』より、『第三の波』の控えめな予測の方がより現実味を帯びてきているように思えます。
(今回の新訳では著者名が「ハンティントン」と表記されていますが、今まで翻訳された著作では「ハンチントン」とされていたので、以下では従来の表記を使用しています)
『第三の波』の概要
競争的な選挙を通して指導者を選抜する手続き制度、民主主義。
民主化の手段でもあり目標でもある競争的な選挙は、いかにして導入され、また逆に、いかにして放棄されるのか。
ハンチントンが1989年から1990年にかけて執筆した本書『第三の波』では、冷戦終結前の四半世紀における一連の民主化現象の原因や規則性が分析されています。
そして、そこから将来的に起こりうる幾つかの可能性を示唆しています。
民主化の「第三の波」とは何か(第1章「なに?」)
本書が分析の対象としているは、1970年代半ば〜1990年までの世界的な民主化傾向です。
およそ30カ国が民主主義体制へ転換し、20カ国では権威主義体制下での自由化や民主化運動が活性化しました。
(本書では、民主主義的ではない体制を一括して権威主義体制と呼んでいます)
南欧、南米、アジア、共産圏で起きたこの動きをひとまとめにして、ハンチントンは民主化の「第三の波」と呼んでいます。
では、なぜ「第三」なのか?「第一」や「第二」もあるのか?
著者のハンチントンは、本書が書かれた1990年までの民主化の歴史を、5段階に分けています。
・民主化の第一の波:
アメリカ独立やフランス革命の余波で、参政権が拡大するなど、19世紀を通じてヨーロッパ周辺で進展。
・第一の揺り戻し:
ロシア革命や世界恐慌の影響で、共産主義、全体主義、軍事政権が成立し、イデオロギー言説が跋扈。
・民主化の第二の波:
第二次世界大戦の後、連合国の占領に端を発する民主主義体制が複数確立。
・第二の揺り戻し:
アフリカの権威主義体制下での脱植民地化や、軍事クーデタによる民主主義体制転覆が発生。
・民主化の第三の波:
本書の分析対象。最終的には共産圏の崩壊にまでいたる。
民主化の原因(第2章「どうして?」)
第三の波の時期には約30カ国が民主主義体制へ移行しました。
なぜ、これらの移行は起きたのか?
なぜ、他の多数の権威主義国家では民主主義体制への転換が起きなかったか?
また、どうして、民主化が起こったのがこの時期だったのか?
ハンチントンは、〈1〉経済成長と都市中間層の拡大、〈2〉権威主義体制の正統性低下、〈3〉国際環境、外部勢力の影響、〈4〉雪だるま効果を、民主化の原因として挙げています。
〈1〉経済成長と都市中間層の拡大
一般的に、経済発展のレベルとりわけ都市中間層の規模と、民主主義体制の存在との間には、高い相関関係が認められます。
1960年代の世界的な経済成長は、生活水準の向上、教育の拡充、都市中間層の拡大をもたらしました。
豊かさが市民の価値観や態度に影響し、政治によって分配可能な資源が増加したことが、民主主義を導入できる下地を用意しました。
〈2〉権威主義体制の正統性低下
いかなる政治体制でも、時間の経過とともに正統性は低下していきます。
その体制が成立した際の事情に由来する正統性、特に前体制への否定という要素は確実に目減りしていくからです。
そうなると、業績による体制正統化の必要が時間とともに比重を増していきます。
特に、権威主義体制の場合は、政権の業績悪化が、そのまま体制そのものの正統性を低下させてしまうから、なおさらです。
この点が民主主義に比べて権威主義体制の弱いところです。
民主主義体制ならば、選挙を通して業績の悪い政権を拒否することと、民主主義体制そのものを否定することとが直結していないからです。
そして、「第二の揺り戻し」から一定期間が経過した1970年代以降、経済開発の停滞、軍事的失敗、オイルショックによる経済不振など、短期的な失政が、権威主義体制を揺るがすタイミングを提供しました。
〈3〉国際環境、外部勢力の影響
アメリカやソ連の意向は、他国の内政に直接ないし間接に影響を及ぼします。
元植民地では、旧宗主国の影響も無視できません。
また、スペインやポルトガルなどのヨーロッパ周辺では、ヨーロッパ経済統合への参画可能性も民主主義導入への呼び水となりました。
この時期、特にインパクトがあったのはカトリック教会の方針転換です。
既存の体制への従順から民主主義へのコミットメントへと舵を切り、カトリック教徒の多い国での民主化を支援しました。
〈4〉雪だるま効果
「第三の波」の後期では、デモンストレーション効果あるいは雪だるま効果がより大きな意味を持っていきます。
先発の民主化成功が他国の運動を刺激し、民主化実現の方法にモデルを提供しました。
これにより、他の権威主義国家の体制派にとっても反体制派にとっても、現実味のある選択肢として民主化が浮上してきます。
それが更なる民主化を呼び寄せ、雪だるま式に民主化への傾向を強化しました。
そして、テレビや通信衛星をはじめとして情報通信が世界規模で強化されたことが、これらの効果に拍車をかけました。
民主主義体制への移行(第3章「どのようにして? 民主化の過程」)
民主化の過程は、どの政治グループが民主化を主導したかによって、大きく3つに分類されます。
権威主義体制内の改革派が民主化を推進した変容型、民主化グループが権威主義体制に取って代わった交代型、権威主義体制内の改革派と民主化グループ穏健派が交渉協調して成立した混合型の3種類です。
民主化への政治的リーダーシップ(第4章「どのようにして? 民主化の特徴」)
第三の波における民主化は、武装勢力が戦闘によってもぎ取る形ではなく、非暴力的な手段を中心にして実現されました。
どの種類の移行過程でも、政治エリート間の交渉と妥協が民主化プロセスの中心にありました。
そして、選挙が実施されると、ごくわずかな例外を除いて、権威主義政府主導の選挙でさえも、体制側が敗北して民主化が強化されることとなりました。
これらの選挙結果は、体制側にとっても反体制側にとっても驚きでした。
なぜこのような「驚異の選挙」現象が起きたのか?
目立った抵抗が表面化せず順調に見えていた体制内コントロール状況が楽観を招いたという、権威主義体制のフィードバック機能の不全に起因すると考えられます。
民主主義体制の定着(第5章「どれくらい?」)
・過渡的な問題
民主主義体制への移行で、最初に問題となるのは、前体制関係者の罪責への対応と、速やかな軍や警察の掌握です。
特に、前体制への訴追と処罰を試みる政治的コストは、道徳的な利益より重くなりやすいものです。
この問題については、「もっとも不満を生み出すやり方が、訴追しない、処罰しない、許さない、そして何より、忘れないことであることを認識すること」(邦訳254頁)が重要です。
・民主主義体制の定着
逆説的にも、民主主義への無関心、不満、幻滅が始まった時、民主主義は定着したと言えます。
なぜなら、経済問題をはじめとする権威主義体制が抱えていた諸問題は、その国がもともと置かれていた文脈であり、民主主義体制になったからといって解決するわけではないからです。
新しく成立した民主主義政権への幻滅は、4通りの行動において現れます。
〈1〉投票率の低下をはじめとする、諦め、冷笑、無関心の態度。
〈2〉現職政権を選挙によって交代させる民主主義システムの実行。
〈3〉現職のみならず既成勢力全体への拒否反応、政治的アウトサイダーへのポピュリズム的な支持。
〈4〉民主主義システム自体への拒否、別の権威主義体制の模索。
・民主主義体制の安定
民主主義体制の安定は、市民が、政府や統治者と政治体制そのものを区別して捉え感じることができるかに依存します。
さらに、その国がすでに抱えている諸問題に対して、政党指導者やビジネスリーダーなど主要な政治エリートが協力できるかどうかにかかっています。
これらその社会の文脈的問題について、その問題を生み出したという理由で政府を非難することに固執するべきではありません。
民主主義はさらに拡がるのか、それとも権威主義へ揺り戻されるのか(第6章「どこへ?」)
・民主主義が拡大する可能性
第三の波を引き起こしたもともとの原因の多くはすでに弱まり、1990年代も民主化が継続するとは思われない。
また、儒教やイスラム教の文化圏では、民主主義的価値観への政治エリートのコミットメントが不十分であり、民主化の拡大を阻害しかねない。
しかし、民主主義を可能にするような経済発展がすすみ、政治的リーダーシップがそれを現実にしようとすれば、民主主義が拡大した世界への扉は今後も開かれている。
・権威主義への揺り戻し可能性
第一と第二の揺り戻しをもとに、いくつかの可能性を想定できる。
〈1〉ロシアやインドといった、民主主義国あるいは民主化途中の大国が権威主義に転じて、他の国々に影響をあたえて雪だるま効果を発生させる。
〈2〉経済が十分に発展していないなど、もともと民主主義が安定する条件を欠いた国家が民主化、その後に失敗して権威主義体制に転じた場合、民主化の安定条件が弱い国々に影響をあたえて雪だるま効果を発生させる。
〈3〉非民主主義国の領土拡大
〈4〉時代の必要性に適したさまざまな形態の権威主義の登場
権威主義的なナショナリスト政権、宗教的原理主義運動の政権獲得、
また、複数の民族、人種、宗教グループが政治に参加する民主主義国家で特定のグループが社会全体での支配を確立するかもしれない。
他にも、「情報、メディア、通信の洗練された手段を操作する能力によって正統化され、可能となる」「テクノクラート的な電子独裁」(邦訳318頁)など、新時代に適応した新しい権威主義が見出されていく可能性もある。
感想・雑感
印象
● まずは、1970年代半ばから1990年という時代区分が興味深いと思いました。
共産圏の民主化という出来事をソ連の崩壊という物語の中で今まで捉えていたので、1970年代から世界規模で起きた民主化という枠組みを設定すること自体に馴染みがなかったのです。
● 民主化を扱っているわりには、民主主義に対して冷静に距離をとった著作という印象を受けました。
国家が民主化したところで権威主義の抱えていた問題が解決されるとはかぎらない、民主化への政治的リーダーシップがあろうと経済発展など条件がそろわなければ民主主義は定着しない、などの部分です。
記事の冒頭で触れたジーン・シャープの『独裁体制から民主主義へ』では、「いかにして民主化するか」に注力しすぎて、抜け落ちていそうな視点です。
● 歴史研究でありながら、昨今の政治情勢を思い起こさせる内容が多いように思えます。
現在のロシアや中国を予言したような将来の予測は言わずもがな、前政権への免責問題は韓国の日本統治時代への態度を想起させる箇所です。
ハンチントンの他の著作との関連で
ハンチントンが『文明の衝突』を書いたとき文化に着目したのは、民主化の進展にとって儒教やイスラム教の価値観が障害となるという『第三の波』での見方から出発したのかもしれません。
9・11テロ事件によって大きく注目された『文明の衝突』。
文化やアイデンティティが政治的要素として台頭するという『文明の衝突』の視点は、今日さらに現実味を増しています。
しかし、文明を代表する諸中核国同士が協調するか対立するかが国際秩序の大枠を決め、中核国に同文明圏内の他国が反発する地域あるいは文明圏に中核国が存在しない地域では平和が訪れにくいというヴィジョンは、いまだに評価しがたいものがあります。
冷戦期国際秩序の表看板であったイデオロギーを文化に書き換えて、多分に偶然的に積み重ねられてきた諸国際関係に物語を充てようとしている風にしか私には読めなかったからです。
国際関係論でいうところのリアリズムに加担するわけではありませんが、文化的側面を判断材料に入れるまではいいとしても、それを前面に押し出すのはやはり違和感が残ります。
同じく文化の視点を政治に持ち込んだハンチントンの著作としては、アメリカのナショナル・アイデンティティについて問うた『分断されるアメリカ』があります。
2004年に出版されながら、後のトランプ現象を予見したとも評される著作です。
WASPメンタル丸出しな部分はありますが、『第三の波』の民主主義の安定化問題を引き継ぎ、さらに文化の視点を取り入れたと位置づけられるかと思います。
ハンチントンの著作のうち、センセーショナルな部分で勝る『文明の衝突』より、学術的に堅実な『第三の波』や現実味のある『分断されるアメリカ』がもっと評価されて読まれてもいいように思いました。
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