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彗星をめぐる論争ーガリレオ『偽金鑑識官』

いま、ここ100年ではもっとも明るい彗星が地球に接近しているそうですね。
この紫金山・アトラス彗星(ツチンシャンと読むらしい)、地球に再接近する2024年10月12日頃には、肉眼でもはっきりと見ることができるとのこと。
この彗星をフォーカスしたムック本を書店で見かけたくらい天文界隈が大きく扱うほどならば、天文素人の私でも結構はっきり見ることができるほどすごいんじゃないかなと期待しています。

そして、この彗星について知ったのが、ちょうど、ガリレオが彗星について書いた本『偽金鑑識官』を読み終えたタイミングなのも奇縁を感じています。


ガリレオ『偽金鑑識官』は何について書かれているのか?

ガリレオ・ガリレイの『偽金鑑識官』は、「自然という書物は数学の言語で書かれている」という名言の元ネタ(原典の表現は少し異なっている)として、よく言及される書物です。
しかし、ガリレオの主著でもありませんし、実際にその内容が読まれているとは思えないマイナーな書物です。
そもそも「偽金鑑識官」というタイトル自体からして、何について書かれているのか、ちょっと想像できません。

彗星をめぐる論争の書

そんなマイナーで怪しげな『偽金鑑識官』は、実は彗星について論争した書物です。
彗星は宇宙の天体であるという論敵の見解に対して、彗星がハロや虹のような地球付近の現象である可能性をガリレオは擁護しました。

彗星は、ガリレオの論敵が主張したように、宇宙にある天体でした。
つまり、結果論としては、ガリレオは誤った主張の可能性を擁護したことになります。
しかし、論敵サイドの議論の内容や主張すべてが正しかったわけではなかった。
ガリレオは相手の議論の欠点をひたすら突く戦術にでます。
論敵が著した本のほぼ全部を引用して、それを内容のまとまった一定の固まりごとに分け、逐一どこがおかしいかを指摘、論争相手をけちょんけちょんにノックアウト。
科学的には間違った主張をしているガリレオが論争に勝ったようにしか見えないのが、彼の文筆のすさまじいところです。

「教会におもねる偽学者を告発した書」?

ちなみに、邦訳の出版社による内容紹介では、「教会におもねる偽学者を告発し、科学の絶対性を提起した書」なんて書かれていますが、大嘘もいいところです。
「教会におもねる偽学者」扱いの論敵グラッシ神父ですが、立派な天文学者です。
彼が所属したイエズス会は、現在も使われている太陽暦、グレゴリオ歴の制定に関わるなど、当時の天文学の権威でした。
グラッシ神父は、ガリレオが『天界の報告』で行なった諸発見にも支持を表明しています。
地動説が科学的に証明されるのが19世紀半ばである以上、天動説を支持しただけで17世紀前半の人物を偽学者扱いするのは厳しいものがあります。
(地動説の科学的な証明については、最近読んだ松原隆彦『宇宙とは何か』SB新書の第1講の説明がわかりやすく読みやすかったのでオススメです)

むしろ「教会におもねる」という点では、『偽金鑑識官』出版時のガリレオこそあてはまるとも言えます。
『偽金鑑識官』が出版されたのは、自分に好意的な人物がローマ教皇に選出されたタイミング。
しかも、この書はその教皇に献呈されているのですから。

派生した諸議論

『偽金鑑識官』では彗星に直接関わる議論だけではなく、そこから派生したさまざまな話題が触れられています。
火と熱、燃焼と摩擦についての議論、回転する容器とその中の流体、流体上の個体の運動に関する議論、感覚とその対象についての見解など、派生した話題は多岐にわたっていて、(少なくとも私には)容易には要約できないほどです。

『偽金鑑識官』における彗星をめぐる論争

彗星をめぐる諸見解

アリストテレス、セネカ、占星術、近世の天文観測者たち、ティコ・ブラーエ、オイラー…
古来、彗星については様々な見解が存在しました。
(これらの諸見解については、山本義隆『世界の見方の転換』の第9章と第10章が取り上げていて参考になります)

ここでガリレオの議論に関わるのは、アリストテレスとティコ・ブラーエの見解です。

旧来のアリストテレス主義によれば、彗星とは、月より下の地上界に属する現象で、地表から発散した蒸発物が上昇して燃え上がっているものであるとされていました。

これに対して、他の追随を許さない精確な観測を行なっていたティコ・ブラーエは、視差の観測結果から、彗星が月よりも上の天界に属しているとしました。
さらに、その軌道は太陽の周りをめぐっていると主張。

(恒星の年周視差が観測できないことから天動説を支持したティコは、「太陽と月が地球を中心に回転し、他の惑星は太陽を中心に回転する」というティコの体系をその後に創案。
これが、ガリレオが生きた17世紀前半での天動説の最有力バージョンとなっています。)

『偽金鑑識官』の出版の経緯

1618年の10月から11月にかけて、3個の彗星が出現。
これを受けて、イエズス会のオラツィオ・グラッシ神父が無署名で『1618年の3個の彗星について』という著書を翌年に出版。
ティコと同じく彗星は月よりも上の領域に属するとする一方、太陽ではなく地球の周囲をめぐっているとした。

彗星が地球の周囲をめぐるという主張は、コペルニクスの体系に不利な証拠として受け止められ、地動説側からの反論が期待されることとなった。
そして、ガリレオは、助手マリオ・グィドゥッチの名義で『彗星についての論議』を1919年に刊行。
彗星は天体ではなく、地表から上昇した蒸発物が太陽光線によって輝いているものである可能性を提示した。
(この説にガリレオ自身が本当にコミットしていたか、単に天動説を弱めるためだけに便宜的に持ち出した仮説ではないかという疑惑については諸説あり)

・これをうけて、グラッシ神父はロッタリオ・サルシという偽名で『天文学的哲学的天秤』を1919年に出版。
グラッシ神父は以前ガリレオの天文学の諸発見を支持していたが、ここでは猛烈なガリレオ批判を行う。

・1923年、サルシの『天文学的哲学的天秤』をほぼ全文引用して反論した『偽金鑑識官』をガリレオが出版。
(偽金鑑識官とは、黄金を計測するようなもっとも精確な天秤を扱う者。論敵への当て擦りで命名)

『偽金鑑識官』でのガリレオの反論の要旨

・サルシ(グラッシ神父)は、ガリレオ側の主張の内容をちゃんと理解していない。
そのため、ガリレオが主張していないことまでガリレオ側に帰して、的外れな批判をしている。

・望遠鏡の仕組みを誤って理解しているため、望遠鏡を利用した天体までの距離の求め方が誤っている。
「望遠鏡によって、彗星はほとんど拡大されず、惑星は著しく拡大されるが、恒星は拡大されない。そのため、彗星は惑星より地球から遠く恒星より近い」というのは誤った推論。

・もし彗星に実体があるのなら、たしかに視差によって彗星の位置を求めることができ、彗星は天界に存在すると言える。
しかし、もし彗星が虹や幻日のような実体のないものであるなら、視差を用いて位置を求めることは不適切だ。
彗星が実体か否かサルシが議論できていない以上、彗星が太陽光線の蒸気雲への反射である可能性は否定されていない。

「自然という書物は数学の言葉で書かれている」

今日、ガリレオの『偽金鑑識官』が言及されるのは、本来の主要部分である彗星をめぐる論争ではなく、近代科学の幕開けを告げるような「自然は数学の言語で書かれている」テーゼの元ネタとなる文章がほとんどのようです。

哲学は、眼のまえにたえず開かれているこの最も巨大な書 〔すなわち、宇宙〕のなかに、書かれているのです。
しかし、まずその言語を理解し、そこに書かれている文字を解読することを学ばないかぎり、理解できません。
その書は数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円その他の幾何学図形であって、 これらの手段がなければ、人間の力では、そのことばを理解できないのです。
それなしには、暗い迷宮を虚しくさまようだけなのです。

『世界の名著26 ガリレオ』308頁

この文章を引用して、ガリレオの方法論やら近代性がウンヌンと語られるわけです。
しかし、実際に『偽金鑑識官』の中で読むと、それほどの重みを感じる文章ではなかったというのが正直な感想です。

それは、この一節が含まれる文脈のせいではないかと思います。

「哲学が宇宙という書物に含まれる」という冒頭の文章は、「有名な著者の書物に依拠して哲学する」論敵サルシとの対比という文脈で登場しています。
具体的には、ティコ・ブラーエという当時の天文学の権威をサルシが持ち出したことへの揶揄です。

「数学の言語で」の方は、前後で掘り下げて説明や展開がされず、前後の文脈では中心的な役割を果たしていない文章です。
そのため、ここで「数学的な言語での読み解き」とは、引用より前の文章で話題にされていた、観測から彗星の距離を求めた幾何学的な手続きのことを意味していると解するしかない。
そして、「暗い迷宮を虚しくさまよう」とは、ティコが間違った数学的議論で彗星の距離を求めたこと、そしてその間違いが書かれたティコの本に追随したサルシも誤っていることを指しているわけです。

非常に乱暴な要約をすれば、「自分では数学がわからないクセに、数学が必要な議論に首を突っ込んでくるんじゃねえよ!」というくらいの内容としてしか文中で機能していないように読めるのです。
そして、「数学の言語で自然を読む」というのも、ここでは古来から行われている天体観測と計算という具体的なことを指しているだけ。
そうなると、この部分を「近代的科学のマニフェスト」的な感じで引用するのは、実際の文章を読んだ後では、ちょっとなぁ…と思ってしまうのが正直な感想です。

邦訳について

ガリレオ『偽金鑑識官』の邦訳は実質的に1種類、刊行物としても2種類しかありません。
『世界の名著26  ガリレオ』豊田利幸[編]中公公論社 1979年(『世界の名著21 ガリレオ』1973年の再刊)と、中公クラシックス版 2009年です。

中公クラシックス版は、『偽金鑑識官』のみを収録、解説を短いものに差し替えています。

「世界の名著」は、中古品ならそこかしこの古本屋で数百円で入手可能なシリーズ。
こちらでは、『偽金鑑識官』だけではなく、「レ・メカニケ(機械学)」を収録。
そして、収録作以上にすごいのが、約200ページの編者解説「ガリレオの生涯と科学的業績」
編者解説中には、ガリレオの若書き「小天秤」全訳と、ガリレオの著作や書簡から抜粋された抄訳が複数収録されています。
さらには光の波動説を唱えたホイヘンスの『光についての論考』の抄訳(第1章の全訳)まで含んでいるという凄まじさです。(解説文中では名前をハイゲンスと表記)

中公クラシックス版もすでに新刊では入手しにくくなっているようですし、値段的にもお得度的にも「世界の名著」版の一択ではないかと個人的には思っています。




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オリグチ@読書中
最後まで読んでいただき、ありがとうございました‼